オーストリア・ベルギー・フランスの旅Ⅴ    2013.12.10  

         フランス                 天笠  富夫

 目次  ウィーン市内見物1   ウィーン市内見物2   ザルツブルグ  ベルギー

―――――――――――――フランス市内見物―――――――――――――――――――

○オルセ美術館

 セーヌ川の川沿いにある、オルセ美術館に行く、鉄道の駅を転用して、美術館にした

らしく、駅の雰囲気が出ている、ここは、セザンヌ・ゴッホ・ゴーギャンの絵が展示

されているが、撮影禁止のため建物しか写せなかった。絵はあまり詳しくないが、見

たことのある絵が散在していた。宗教画がなかったのでほっとした。

 

PA082938A.jpg

  外観

PA082940A.jpg

  駅の雰囲気が出ている

○オベラ座

フランスのオペラ座を見学する、ここは、案内者がいないので、許される範囲自分勝

手に見た、ともかく、席は、2000席あるので、ウィーンのオペラ座より大きく

豪華である、また、ここは小説「オペラ座の怪人」の舞台になったところである。

 

PA082994A.jpg

   オペラ座外観

 

PA082968A.jpg

   オペラ座内部

 

PA082975A.jpg

    オペラ座内部

 

今日は、公演があるみたいで、観客席内でフラッシュをたく撮影は禁止だ、ウィーンの

オペラ座のように説明がなく、よく分からないのであまり感激はない。

 

○オランジュリー美術館

 コンコルド広場の近くにあり、モネの描いた「睡蓮の大きな絵」が有名、絵は良く分

からないが色遣いがよく、睡蓮が咲いている池などが神秘的な感じがする、地下には

印象派の絵が飾られていた。

無題2.jpg

  モネの睡蓮

 

○セーヌ川遊覧

少し雨が降りはじめたが、エッフェル塔に移動、塔の下からセーヌ川遊覧の船に乗る、

下から見ると視点がかわり、おもしろい、オルセ美術館・ルーブル美術館等の建物が

見える。

PA082931A.jpg

   上・下はセーヌ川遊覧

PA093030A.jpg

 

―――――――――――パリーから成田空港へ―――――――――――――――――

○パリー空港

 いよいよ帰国だ、天気は曇ったり、雨が降ったり落ち着かない、半日ほど観光する時間

 があったので空港までバスを利用した、バスは、国内用と国外用とバスの乗り口も分

けられていて、行き先も、空港は第一ターミナル・第二ターミナルに分かれている。

 

第一ターミナルは、旧の空港、入口が細かく分かれていなく、昨年使った第二ターミ

ナルより暗い、ANAを利用、手荷物の検査飛行機の乗り口の近くにある、こんな事

は珍しいと感じながら、ANAの飛行機で帰国した。

 

 

―――――――――――――――お わ り に――――――――――――――――

○ヨーロッパの話し

今回訪ねた、オーストリア・ベルギー・フランスの各国は日本から遠く感じますが、

フランスのパリーから見て、高速鉄道を使うと、パリーからロンドン(イギリス)

へ3時間、ベルギーのブリュッセル1時間25分で行けるそうです、すごく時間的

な距離が短く感じます。

 

また、国の大きさをみると、オーストリアは北海道ぐらい、ベルギーは北海道の

40%ぐらい(秋田+青森+岩手ぐらい)、フランスは日本の1.5倍ぐらいの広さ

です、ですから日本も大きな国だとよく分かりました。

<参考 ドイツは日本と同じくらいの広さ>

 

訪ねた各国は、安定してうまくやっているように、見えますが、それぞれ課題

をかかえているように思いました。

     

○オーストリアの話し

地震・台風がなく気候は非常に安定しているし、農業国で自活でき、永世中立国世界

で住みやすい場所として必ず上位に入る。

 

税制をみると、相続税はないが、税金の負担率として、収入の45%とられる、平均

の実際年収は、200万円くらいである。

 

反面、医療費・学費ゼロで私立の大学もない、年金は、80%保証されている、失業

率は4%くらいで、非常に就職率が高いが、日本人は、ほとんど就職の許可が得られ

ない。

 

大学では、音楽関連で日本人が留学していますが、医学関係は、日本人は入学でき

ない、卒業は大変で卒業レポートは800枚以上の論文をださないと卒業できないと

言われている。

 

この国は、観光に力をいれている事がよく分かる、たとえば、歩いている人に道を

聞くと、誰一人として、関係なさそうな顔をしないで、面倒を見てくれる、タバコを

吸っている人に声をかけても、タバコを吸うのをやめて対応してくれる、これは、

日本以上の「おもてなし」の世界だ!

 

生活する場として、日本と比較すると、非常に福祉関係の完成度が高く、よく見える。

だが、小さくまとまっているため、国際間が大きく変動していく時代に、対応力を

含め、長い目で見ると、どちらが良いか分からない気がする。

 

○ベルギーの話し

ベルギーの首都は、ブリュッセルで、地方都市のブルージュに行ったのは、15世紀に

北海(ヨーロッパの海)と結ぶ運河でヨーロッパの貿易拠点として栄えたが、運河が

沈泥したので船の航行ができなくなり衰退し、そのため中世の街並みがここだけが

残ったと言われている。

 

また国内をみると、言語が オランダ語(55%)フランス語(44%)とドイツ(1%)

との割合で、国として、オランダ系とフランス系と分裂気味で不安定だそうです。

 

国が小さいとまとまり易そうに思えますが、民族と、それぞれの言語が違うと、まと

めるのが大変みたいです。

 

○フランスの話し

 歴史も文化も大きな国なので、うまく文章がまとまらないので、省略します。

 

PA072812A.jpg

  夜の凱旋門

 

○ハプスブルグ家の話し

 ハプスブルグ家は、代々政略結婚を積極的に進めて、戦わずして領地を拡大していた

が、オーストリアに進出した、ナポレオンが来て、ハプスブルグ家の者と再婚し、ナ

ポレオン2世をもうけたのには、ハプスブルグ家らしく、驚いた。

 

その後もハプスブルグ家は、沢山の領地を統治していたが、大きくなりすぎて各国で

独立運動が活発になってきた、{王宮(ホーフブルグ)で展示されている}皇帝フランツ

・ヨ-ゼフ1世と王妃エリザーベートの皇太子と、皇帝がブタペストの独立に関して

意見対立があった。

 

そのため、ウィーンの森の女子修道院で自殺したという皇太子が皇帝により、暗殺さ

れたという説もある。この後の王位継承者は、甥に移りがサラエボで暗殺され、第一

次世界大戦が勃発し、1916年にオーストリアは戦争に負けて、降伏しハプスブル

グ家が亡んだ。

 

考えてみると、ハプスブルグ家が645年も続いたのは、目立たないで、争う事が

少なかったからだと思われる、これは、現代にも通じるかもしれない。

                            <終わり>