オーストリア・ベルギー・フランスの旅V   2013.11.20

            ウィーン市内見物2                 天笠 富夫

目次  ウィーン市内見物1  ザルツブルグ   ベルギー  フランス                 

            

―――――――――――――ウィーンの市内見物U―――――――――――――――

○モーツァルトの家

ザルツブルグから戻り再度ウィーン市内の見物だ、宿泊先の近くに、モーツァルトの

住んでいた家があり、展示場になっている。展示物(写真不可)

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 モーツァルトの家の入口

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 モーツァルトの家からの外の景観

 

モーツァルトは、6歳の時ウィーンの王宮で演奏をした天才的音楽家である、25歳

の時ザルツブルグから、大司教と一緒に、ウィーンに来たが、大司教と仲が悪いため、

モーツァルトは、ザルツブルグに一緒に帰らず、ウィーンにとどまり、ヨーロッパ中

を演奏旅行に費やし、この場所で2年半生活したそうだ、

 

窓から外を見ると石畳み、モーツアルトが馬車でさっそうと降りてくるような感じがす

る。

 

○王宮(ホーフブルグ)

路面電車で、王宮(ホ−フブルグ)へ行く。王宮はハブスブルク家の歴代の皇帝の居

城で、20世紀初めまで規模を拡大してきた、全体は大きい、現在は市庁舎・博物

館・図書館・教会に使われている。

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   旧王宮

 

このうち旧王宮を見にいく、日本語版の説明資料が準備され、王宮で使用した皿など

の食器類が大量に展示されている、現在でも使用可能なデザインある

 

 宮廷内部にシシイ博物館があり、写真撮影はできないが、美貌の王妃エリザーベート

の日常生活が展示されていた、王妃は、ハプスブルグ家の実質最後の皇帝フランツ・

ヨ−ゼフ1世が后を決める時、姉妹の姉とほとんどきまっていたが、妹の15歳美人

のエリザーベートを気に入り決めたという。

 

 

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  旧王宮の展示品

ここには、皇帝の部屋の他、王妃(エリザーベート)が美貌を維持するためのマッサ

ージ・風呂など贅沢三昧の生活の内容が展示されている、だが王妃は旅行中スイスの

レマン湖でイタリア人の無政府主義者に暗殺され波瀾万丈の生涯を終えた。

 

○美術館&博物館

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  美術館&博物館

王宮の隣にある、美術館&博物館に行く、中はオーストリアの至宝と思われ絵画・

彫刻などが展示されていたが、写真撮影は不可でした。

 

このような美術品が残すために、第二次大戦中美術品を全部ザルツブルグに運び隠

したそうです、その美術品をソ連が狙っていたので、終戦後占領がとけ、落ち着い

てきたら元にもどしたと言われている。

 

中は、立派な建造物・カフェーもありすばらしい。

                              

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 カフェー

 

―――――――――――――ウィーンの森ツアー―――――――――――――――――

○地底湖

午後から観光バスで、ウィーンの郊外にある、「ウィーンの森 半日ツアー」に行く、

日本人を対象としているせいか、客は全員日本人、バスで、リヒテンシュタイン城

(リヒテンシュタインは、別の独立国)を脇に見ながら、地底湖に行く。

 

 

 

 

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   地底湖の入口  歩いて降りていく

 

ここは石灰岩を掘っていた場所で、いつのまにか水がたまり、湖になった、今では

採掘はやっていないが、水位を調節するために、水をくみ上げているそうだ、第二次

大戦中は、ナチス・ドイツが、この地下洞でジェツト機の開発をやっていた、もしも

開発に成功したら世界で初めてのジェト機ができたと言う。

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  地底湖に繋がれている船

鉱山の入口のような坑道をドンドン歩いて下がっていくと、真っ暗中に、照明があり

湖がある、湖より遊覧船があり、船に乗り一周15分でまわれる、地底は石灰で白

く、照明で青白く、きれいに見える。

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  遊覧船からの景色

 

○修道院

地底湖より、バスで10分、男子修道院に行く、教会ではお祈りをやっていた、ここは

中世の修道院施設が完全に残っているという、ここで休憩をした。

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  男子修道院

 

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   女子修道院の周り

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    女子修道院

更にバスで奥に行くと、女子修道院がある、周りは、一面牧草と森の田園風景の中

に、教会があり、入る時に、教会の大きな扉をノックし、許可を得てから入場する。

 

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女子修道院 内部

 

中には修道女はいなかったが、管理をしている老女がいた、信仰の対象として、キリ

ストに対して頭を下げ、祈っている40歳くらいの男性が印象的でした。

 

この修道院は、昔は、ハプスブルグ家の昔は狩の城で、1889年1月30日ここ

で王妃エリザーベートの息子のハウスブルグ家の皇太子ルドルクが、17歳の男爵

令嬢を道連れにピストルで自殺した、これをマイヤーリンクといい、「うたかたの恋」

とも言われている。後でこの場所は、皇帝の命令により、修道院になった。

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