大分の旅V(臼杵)

                               2022年3月 天笠富夫

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   宿泊先


 

  


 

○臼杵へ(うすき)

 朝起きると、小降りの雪が降っていた、今日は、大分を経由して臼杵へ向かう予定、

 午前8時にタクシーを呼び湯布院駅に行く、列車で1時間大分駅で乗換後、

 臼杵駅にいく。


 

 臼杵に着くと雪は止んでいた、臼杵は大友宗麟が城を築いた臼杵城と臼杵石仏が有名

 です、観光バスも当てにならないので、観光タクシーで臼杵石仏と臼杵の城下町を

案内してもらった。


 

○臼杵石仏  

 駅から車で20分、一方が崖に囲まれた広々とした広場に出てきた、ここが臼杵石仏

だ、崖に沿って石仏が所々にあり、屋根が造られ覆われていた。


 

 この石仏の歴史は古く、平安時代に造られたものもあり、国宝に指定されていて、数

体ずつが、グループにまとまって、展示されている。


 

   

 石仏1


 

   

      石仏2


 

   

    外観  屋根と石仏


 

 だが、残念ながら石仏の良さがよくわからない、また、このあたりに「石仏が多い

のは、なぜか、」運転手に聞いてみると、崖を構成する石が加工しやすいためらしい、


 

ここより城下町周辺に戻る。


 

○臼杵城周辺

 臼杵城は、海に面した海城で、干潮の時一カ所だけ、砂州ができ、陸地とつながると言

われた城で、石垣に囲まれていて、城郭の上今ではないが、天守閣があったという。


 


 

○臼杵城

 城は、大友氏が亡びた後、慶長5年(1600年)美濃の郡上八幡から稲葉家から

移封された。それ以来、稲葉家五万石の城になり、城下町には稲葉家の下屋敷もある。

城は、建物もなく、こじんまりしているが、石垣を残している。


 

  城1


 

   城2


 

有名な大友宗麟に関する史跡を捜してみたが、あまり残っていなかった。


 

 <大友宗麟>

    1530−1587 現在の大分を中心に活躍し

最盛期は、豊後・豊前・筑後・肥後・肥前・豊前の

6カ国を領し、キリスト教に帰依し、ポルトガル交易に

    積極的に活躍したが、だが、島津氏に敗れ衰えた。


 

   

    稲葉家 下屋敷


 

   


 


 

○その他

 あまり見学する時間がないので臼杵駅に戻り、列車で大分駅に出て、大分市内経

由でバスに乗り大分空港へ向かった。


 

大分駅周辺は、県庁所在地らしく、立派だが、時間なく、良く見られなかった。


 

○おわりに

 □大分の旅は温泉が多いみたいだ、後で調べてみると、温泉湯量として、全国で1

  が別府で、2位が湯布院言われているが、温泉の入り心地では、あまり感激はなかっ

  たが、


 

  別府の温泉は、名が知られていて、情緒があると、思っていたが、湯煙は、目に

するが、湯に特徴をあまり感じなかった。


 

湯布院の宿泊先は、静かな農村風で、強く刺激を受け、今まで泊まった旅館の中で

雰囲気が、最高の場所でした。


 

□臼杵は、まだ見所はあるのだろうが、小さな城下町、陸上からしか見ていない、後

で考えると海城と言われる城、海から見たらどうなるのだろうと気になる。

 

□マラソンについて

応援は参加できなかったマラソンは、前日に来た長男によると、

  「青山学院の監督や瀬古選手と一緒に来たらしい。」だが旅行中は全く見な

かった。


 

                ―――終わり―――

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