福井・金沢の旅V (金沢他) 2020年4月 天笠
○あわら温泉から金沢へ あわら温泉は、山梨の石和温泉と同じように、畑の中から温泉が湧き出したという、 宿泊先も農地の近くにある、ここでの旅館もコロナの影響のため、キャンセルも多く、 宿泊者も少ないため、予約していた部屋よりも1ランク上の部屋に案内してもらえた。
部屋に入り、翌日、奇岩で有名な名勝地「東尋坊へ行こうか」と迷ったが、交通の便が あまりよくないので、諦めて、旅館の車で、JR芦原温泉(あわら)まで送ってもらった。
駅はさびれていたが、隣で線路の増設工事中でやっていた、(4年後に北陸新幹線が 延びる)ここより在来線で金沢に戻った。
金沢は、コロナの影響を受け、前日まで、21世紀美術館・兼六公園は前日まで休館し ていた、21世紀美術館では、開館の許可が出ても、入場する場合には、人と人の間隔 も、1メートル以上、開けて並ばせられたそうです。
かなり観光客の行列も長かったみたいです、行きたかったが混みあっていそうなので、 昔行った金沢城の石川門周辺に行く事にした。
石川門
○金沢城公園 <金沢城の歴史> 江戸時代には、加賀藩主前田氏の居城で、加賀百万石の象徴である、
この城の歴史をみると、この地は、1546年加賀一向一揆の拠点で、浄土真宗 の寺院「尾山御坊」が建立された、ここは、寺といえより要塞があった。
1580年織田信長の命令で佐久間盛政が「尾山御坊」を落とし「金沢城」 として改称した。
1583年賤ヶ岳の戦い後、前田利家が豊臣秀吉より加増を受け入城した。 1600年関ヶ原の戦い 1615年大阪夏の陣
1602年天守が落雷により焼失、天守を建てないで三階櫓が建造された だが三階櫓は1631年に焼失して復元されていない 1881年石川門・三十間長屋・鶴丸倉庫を残して焼失 2001年菱櫓・橋爪門続櫓・五十間長屋が復元
河北門(1881失火 2011再建)
▽見学 金沢城行きのバス停は、行き先の方向により、案内がきれいに整理されていた、金 沢城公園駅のバス停で降りた。
以前に来た時は、金沢城は、有名な石川門を除き、ほとんどが金沢大学の敷地に なっていて金沢城の中味は見ていなかった。その後、金沢大学は、山沿いの金沢 角間町に移転した、
ここより、兼六公園を左手に見て、金沢城のシンボルである石川門に向かった、石川 門は、金沢城の遺構の一つで、もともとは、正門(大手門)でなく、城の裏口で、火 災の焼失から逃れていた。
構造は、枡形構造の城門 一の門(高麗門)・二の門(櫓門)続櫓と2層2階建ての 石川櫓で構成されている、最初の門(一の門)を入ると枡形虎口になっていて、右に 90度曲がったところにもう一つ門(二の門)がある。 (一の門から入って正面の壁と左手の壁の部分が石垣の 積み方がちがっている。)
金沢城の建物は何度も焼失し、復旧作業の途上にあるみたいだ、計画として、 二の丸屋敷の再建(10年かかる)・三階櫓の復元・天守閣の再建等がある。
城の中には、金沢城の3門と言って、有名な門がある、河北門・橋爪門 石川門があり、1759年に河北門・橋爪門は焼失し、2011年(平成22年) に共に復元された。
菱櫓・五十間長屋・橋爪続櫓(旧三の丸からの景観)
菱櫓・五十間長屋・橋爪続櫓(旧二の丸からの景観)
復元された、建物で、2001年に造られた菱櫓・五十間長屋(昔は倉庫)・橋爪続櫓 で、中に入ることができた、橋爪門から中に入ると長い廊下がある五十間長屋だ。
鶴丸土塀
橋爪門続櫓
五十間長屋(内側の景観)
菱櫓
入口に橋爪門続櫓があつたり、三層の菱櫓(急勾配のはしごを登ると上にでられ まどから尾坂門 河北門・石川門などが一望できる)がある、金沢城で一番見応 のある場所だ。
ここより、金沢駅に戻り今回の旅は終了した。
○おわりに ▽永平寺 本によると雲水の心地は、つぎの通りらしい、
雲水の多くは、曹洞宗をつぐ身 修行中親との連絡はとれない 座禅 迷いや欲望をたちきり、ひたすら無心に坐る 仏である自分自身に出会う道だという
ここでの修業は、これから生きていく上での根幹だと思てる。
座禅にうちこむには、俗世と離れ自然のなかに求める 衣一枚の雲水 桶半分で洗顔とハミガキをして、水一滴も無駄 にしては、ならないと、教えられる。
ともかく修行は厳しそう、その後各自、何を得られるか分かりません。
▽一乗谷城 一乗谷城は、山の上にあり、全然見られない、全体は、イタリアのポンペイのよう に、畑の中に埋没されていて、いまだに発掘が続いているという、足利将軍とのつ ながりなど分からない点も多い。
又この地は、昔の越前の国です、ここには織田家発祥の地で、劔神社があるそう です、興味のある人は訪ねたらどうでしょうか?
一乗谷 復旧町並
▽金沢 金沢の城を中心に見ると面白い、歴史の深さもあるし、復元された建造物も見応えが ある、細かく見ていくと、昔からの藩の防衛として、北側に武家屋敷、東側・西側 南側には、砦の代わりなる寺院群がそれぞれある、
昔からの、遊び所として茶屋街も、東茶屋街とにし茶街があり、現代でも文化面から 見ると21世紀美術館・兼六公園などもあり、見るところが沢山あり、もう一度 見直す価値があります。
▽その他 今回の旅は、コロナ初期の段階でしたが、旅行を取りやめる事を考えながら、無理な 事を避けて旅行をしました。 天笠目次へ ―――終わり―――
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