鹿児島・霧島V(霧島神宮) 19.03.05 天笠
○ホテルとその周辺 ホテルは、硫黄谷の近くにあり、周りに「100年杉」の庭園がある、手入 れがされていてきれいだ。また周りを見渡すと、温泉の湯煙が上がっている。
ホテルの風呂は大きいが体育館で風呂に入っているような感じだ。風呂の内 部は嗜好をこらしているが、あまり味わいがなかった。
この霧島の地の至る所を、坂本龍馬とお龍が、日本で初めての新婚旅行を 行ったと言われている。
坂本龍馬の写真(旅館で保存)
○霧島神宮 ホテルより、バスにて霧島神宮へ行く、大鳥居を越えると、停留場にでる、こ こより朱塗りの橋(神橋)が見える、この橋を渡ると石段があり、石段を登る とまた朱塗りの二の鳥居があり、平地が続く、周りを見渡すと木々が紅葉し ている、更に進むと広場にでる。
霧島神宮参道入口
右側に曲がり、石段を上がっていくと、三の鳥居が見えてくる、この三の鳥 居をくぐり石段を更に上がると本殿だ、朱塗りのきれいな神社だ、通常拝礼 をするには、入口の「勅使殿」からだ、だが奥がよく分からない。
<霧島神宮> 霧島神宮は、6世紀に、社殿が造られ、山岳信仰から始まった神社で、 周りに火山が多く麓にあるため、度々炎上した。
現在の社殿は、1715年(正徳5年)鹿児島藩主島津𠮷貴(薩摩藩 4代藩主)の寄進で建立された。
神社の社殿は、手前に「勅使殿」一段高い奥には、奥に向かって、 拝殿・弊殿・本殿と言った複合社殿が並び、勅使殿から拝殿・拝殿 から弊殿の間は廊下で結ばれていると言われている。
ここより、バス停に戻る、時間があるので周りを歩く、大きな土産物屋が あったが、なぜか店を開いていなかった、鹿児島空港に戻るため、空港行 きのバスの出る丸尾で下車をした。
二の鳥居と紅葉
霧島神宮(屋根に注目した)
○丸尾 丸尾はホテルも多く、温泉の湯煙が、至る所でたっていた、この街には、レ ストラン・食堂・喫茶店・土産物屋・観光案内所があった、土産物屋は、地 元でとれたもの・加工品を売っていた「道の駅」のようだ
特に気に入ったのは、街頭で、卵・お芋・饅頭・トウモロコシ・あげ餅・ウ インナーソーセジ等を温泉の蒸気を利用して、食べられるように加工して売 られていた、ここで卵と饅頭を買い食べた、味がさっぱりしておいしかった。
ここよりバスに乗った、他の客もいないで、空港まで行き、空港より東京へ (羽田空港)へ帰った。
丸尾の観光案内所
丸尾の売店
○終わりに □西郷隆盛について 西郷隆盛の言葉に、「敬天愛人」がある、この意味が分かりそうで分から ない、インターネットで調べてみると、「人は天から天命というものを与 えられ、それに従い生きている」という、結局何が言いたかったのか良く 分からなかった。
西郷は人望があり、明治10年西南の役で亡くなり、「逆賊」として扱わ れてきたが、明治22年(1889年)明治天皇・黒田清隆の努力で、 「逆賊」の名は許された。
明治31年(1898年)には、上野立像の計画があり、武人としての牙 を抜き、犬を連れて歩く、人畜無害の人物というイメージ定着させようと 意図が働き、上野に西郷の銅像を造ったといわれている。
一方鹿児島の城山の麓にある、西郷隆盛の銅像は、昭和12年造られた、 この像は、本来地元の人が造りたかった陸軍大将の正装で直立不動の姿勢 で造ったと言われている。西郷隆盛の史跡は、他に沢山あり、訪ねきれな かった。
上野の西郷隆盛像(城山の像は鹿児島・霧島Uに掲載)
□霧島神社 神話の里高千穂に近いが、今回の旅ではまったく見にいかなかった、この 神社の周りは火山が多く、時々周りの山が噴火している。(現在でも、新 燃岳では、噴煙が上がり火口周辺規制が行われている)
この山の麓にある、霧島神社の社殿の入口にある、「勅使殿」だけを見て も、大変豪華に装飾されている、霧島神社は西の日光と言われている。
神社の内部は公開されていないが、かなり立派だと思われる。(中の様子 は調べて見ても写真等でてこない)
「勅使殿」の入口の装飾
□その他 鹿児島で、テレビを見ていると、天気予報で火山灰の降下予報をやっていた、 場所によって、随分変わるものだと驚いた。
このように鹿児島は、奥が深く、まだ見たりないものもありますが、残念な がら別の機会にしようと思っています ―――END――― |