鹿児島・霧島U(城山・鹿児島市内)    2019/2/10 天笠

 城山は、鹿児島中央部にある山で、高さは123メートルで、丘といっても

 良い山だ、ここは西南の役最後の激戦地で、鹿児島湾及び桜島を望む位置に

 ある。


   ホテルからの景観


 

○城山のホテル 日の出 日没時間

 宿泊した城山のホテルは、鹿児島湾と桜島が良く見える場所にあり、夜間の

 イルミネーション照明も美しく感心した、また、ホテルはサービスがよく、

 日の出時間・日没時間なども案内されていた。

  ホテルからの日の出


 

 フロントでは、西郷隆盛と関連のある人物と年表がはられていて、興味

があった、NHKのドラマ上フィクションだと思っていた、川口セツポウ

 が実在の人であるのには、驚いた。(沖永良部島から帰島後、西郷家に寄寓)

  イルミネーション


 

○西郷隆盛晩年の足跡を訪ねる 

 <西南の役について>

  明治4〜6年明治政府が欧米使節団(岩倉具視・木戸孝允・大久

  保利通・伊藤博文)を派遣していた、その外遊中、日本の留守

は、西郷隆盛に任されていた。


 

  当時明治政府は、朝鮮王朝に使者として西郷は死を覚悟で朝鮮に

  乗り込み。説得を、試み国交を求めたが、拒否され、朝鮮出兵を

考えていた。

  

欧米から視察団が帰ってきた、岩倉や大久保は、この案に反対し、

朝鮮派遣の西郷案をつぶした、納得のいかない西郷は明治6年参

議を辞し鹿児島に戻る。


 

明治10年政府の方針に不満を持つ鹿児島の士族と挙兵、西郷軍

は約3万3千人政府軍5万8千人で争った。最初は熊本城を攻撃

したが、政府の最新兵器に田原坂で負け、人吉城に逃げ込んだが

1日で敗れ、鹿児島に逃げ帰って来たという。

 

朝、城山から、鹿児島市内まで、山を下りゆっくり歩く、途中に西郷洞窟が

 ある、ここら辺は道路が舗装された、以外昔のままで、洞窟は少し崩れて

 浅くなったと地元の人が言っていた。


  西郷洞窟


西郷終焉の地


 

西南の役で、西郷隆盛の最後の5日間この洞窟で過ごし、6日目死を覚悟し

て少し下山をし、明治10年9月24日別府晋介(西郷とともに西南の役を

戦った者)の介錯で西郷は亡くなった。


 

坂道を下っていくと、島津家の居城鶴丸城跡がある、明治7年に焼失し、再

建される事なく、城跡として、石垣と石橋が残っている。現在城の入口の橋

を見ると、2020年目標で御楼門(ごろうもん→二階建てで、上部に屋根

をもつ門)の復元工事が行われていた。


  鶴丸城(但し工事中)


 


石垣(西南の役の鉄砲の跡)


 

また城の石垣に沿って歩くと西南の役で傷つけられた壁が目につく、更に歩

いて行と西郷隆盛の銅像がある。


 


 

JR鹿児島中央駅に出て、特急「霧島」に乗り、車窓から錦江湾と桜島との景

色を見て霧島神宮駅に着いた、駅の周りは山で囲まれていた、ここより、バス

にて霧島のホテルに入る。

        ーー―続く―――

鹿児島西郷像(軍服)

 

  霧島神宮駅

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