松本の旅U (松本城・松本市内)
○ホテル ホテルは、美ヶ原高原の中腹にあり、全面には、北アルプスの山並みが見え、景観は良い。 ロビーに入る時、久しぶりに観光バスを見た、観光地なのにまったく観光バスを見ない、 珍しく感じるのは、コロナのために団体客がいないせいだ。
ホテルは、和室 左端から旧館・別館・新館、旧館のせいか、部屋の暖房がきつく細 かくコントロールが効かない。
朝方に北アルプスの景色を落ち着いて見ると、山並みがよく見え、前日に降った雪で 山頂は少し白くなっていた、左端には乗鞍岳が良く見えた。
ホテルからの景観
送迎バスで、松本駅に行く途中にある松本城で降ろしてもらった。
○松本城 松本城の近くには、何度か来たことがあったが、城の天守閣に入るのは、40年振り だ、その時の印象は、急な階段で、怖いくらいで、行列になり登った事を思い出す。
松本城景観 本丸入口 黒門
松本城公園より、天守を望むと、天守閣・堀・北アルプスが一望に見え、すばらし い景色だ、ここより内堀を渡り、券売所で入場券を買い、黒門より本丸に入ると、 本丸御殿跡(1727年焼失 以後再建されていない)が広がっていた、
松本城は、国宝で日本最古の五重天守で、歴代の藩主は六家で、石川氏・小笠原氏 ・戸田氏・松平氏・水野氏・戸田氏(後)で治められ、初代石川氏(数正・康長父子 )が松本城を築城したと言われている。
歴代城主 紋の記念碑
城内に入り、本丸御殿跡を左に見て、天守の入口に向かう、途中地元の中学生の団体 に会った、 引率の先生が興奮気味に「こんなに空いている城は珍しい」と言っていた のが印象的でした。
天守閣の入口で、靴を脱ぎ、階段を登る、登りは相変わらずきつい、手すりを持って階 段を登る、途中登り・下りが一方通行の所もあり、階段がきつい。
以前来た時と変わった事は、写真は内部撮影禁止・警備員がいたるところに配置されて いた、建物は古く、いつ見ても貫禄がありすばらしい、天守閣からの景観も良い、城の 見学後、松本市内を見学した。
御殿からの天守閣の景観
天守閣からの景色 本丸への道
○松本市内 松本は、城を中心に発達してきたのが、街を歩くと良くわかる、城を出て、外堀に沿 ってある、縄手通りを散策する、近くには蔵が多い、コーヒーがのみたくなり、喫茶 店を捜すが、店はあるが休みが多く、営業している店がよく分からない。
中町 蔵通り
ちょうど自転車に乗った40歳代の女性が通ったので喫茶店を聞いてみて、その場所を 教えてもらい、捜しながら移動していると、その女性が戻ってきて、教えた喫茶店は 休みだったので、わざわざ戻ってきて別の喫茶店を教えてくれた。
喫茶店のある路地
そこの喫茶店は、細い路地の奥で、表通りから見えない所だった、中に地元の人らし い男性の客が一名いたが、静かでゆっくり休む事ができた。
昼に近いので、おいしいソバ屋がないかと店員に聞いたところ、お客できていた男性 がソバ屋を紹介してくれた、紹介されたソバ屋に行くと連絡され待っていたようで した、紹介から紹介も、旅の楽しい経験でした。
ここより松本駅まで歩いて帰り、JR中央本線で新宿に帰った。
○おわりに 大王わさび田・松本城も以前に行った事がある場所でしたが、落ち着いて見てみると、 分からないで所とか、興味があるところが沢山あった。 ▽穂高周辺 穂高神社の歴史は神話にもふれる位古く、八面大王の話は、1200年前の事で、 この地の歴史の古さに、驚いた、もっと調べていくと色んなものがでてきそうだ。 ▽松本城について 初代城主、石川数正を少し調べてみた、石川数正は、徳川家康の片腕として活躍し ていたが、小牧・長久手の戦い(豊臣秀吉と織田信雄・徳川家康の連合軍の戦い) 後に出奔(しゅつほん)して豊臣秀吉の家臣となり、信濃松本藩の初代となった。
出奔した理由は、秀吉に篭絡されたなど、諸説あり分からない、その後、石川氏の 家督は、長男の康長が継いだが、大久保長安の事件に連座し改易したという、 疑問点も沢山あるので、興味のある方は、是非調べて見て下さい。
▽その他 「GO TO TRAVEL」をやっていたが、 観光客がいない所・時間帯 を選んで動いていたせいか、あまりかん観光客を目にしなかった。 ――――終わり―――
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