木曽路の旅・前編 2016.09.10 ○はじめに 京王線の駅の構内に、路線バス利用の「木曽路の旅」のポスターが貼られてい た、詳しく内容を見ると、期間5月10日から7月10日までで、現地で、タク シー4時間で案内付きと説明されていたので申し込んだ。
木曽路のコースは、中山道の塩尻と中津川の間にあり、旧宿場街が残っている、 新宿よりバスで5時間移動し木曽福島にいき、市内を散策後、南木曽(なぎそ) へJR東海・中央線で移動し、妻籠宿を見学し、ホテルに入り、翌日はタクシ ーで木曽路に入るコースである。
時期は、梅雨の期間で、客も少ないので、地元の観光協会が中心で宣伝をやって いるみたいだが、最悪の場合、雨に降られる事を覚悟して行くことにした。 <中山道> 日本橋から京都534キロメートル69宿あり、主な通過点 は、日本橋〜板橋〜軽井沢〜塩尻〜(木曽路)〜中津川 〜伏見〜大津〜京都 ○木曽福島 出発は、JR新宿駅南口にできた、バスタ(新宿発着の路線バスを集めたもので、 タクシー乗り場もある)、4Fにある停留所から出発した、バスは29人乗り、 一列に2人と1人合わせて一列3人乗りでゆったりしているが、乗っている 人を確認すると、運転手・車掌除き乗客私達2名しかいない、路線バスだから、 もしもお客がいなくても目的地に行かなくてはならないみたいだ。
木曽福島駅 新宿より、塩尻を経由して、終点木曽福島に到着した、ここには代官所・関所な どがあり、昔から木曽の中心地であるが、大火があり、昔の建物が燃えてしまい、 あまり残っていない、昼食もまだなので、とあえず、8分ほど歩いて、地元では、 そばで有名な「くるま屋本店」へいく、
当店は、創業300年と言われていて、中の建物も古く貫禄がある、味は、 ざる蕎麦を食べたが、関東で育った者には、汁が甘くピリットしなかった。
上の段地区の町並み(大火に残った)
列車がくるまで、1時間ほどあるので、木曽福島駅の周りを散策した、大火で も焼け残った地区上の段の町に行った、昔の町並が見えてきた、残った町並は 少ないみたいであつたが宿場の名残があり、近くに大通寺という寺があったの で、寺の中に入って行った。
山門には鐘楼があり、当町で現存する木造建築物で最も古いものだと言われて いる、またこの傍には、武田信玄の三女の真理姫の供養塔があった。 <真理姫について> 武田信玄が、木曽に攻め込んだ時、領主の木曽義康と和睦した時 嫡子の木曽義昌へ嫁いだ、
信玄の死後、義昌は、織田信長方について、武田勝頼と戦った 勝頼は敗れて武田家は亡んだ、その後徳川家康の指示により 網戸(千葉県旭市)に移され、木曽家はつぶされた。
その後真理姫は、木曽に戻り隠棲をして98歳で亡くなったという 非常に波瀾万丈の一生を送ったように思われる。
真理姫の供養塔(右)
○妻籠宿他 木曽福島駅からJR東海中央線で南木曽(なぎそ)に向かう、南木曾よりホテル シャトルバスで10分、妻籠宿(つまごうじゅく)にいく、妻籠宿は、地域を挙 げて景観保全活動に取り組んだため、国の重要伝統的建造物群保全地区になった。
町並みには、本陣・脇本陣奥谷・高札場・水車・郵便局などがある。ここでは、 江戸時代にタイムスリップする、ここに、馬とか駕篭に乗って通っている姿を思 いうかべる、大雑把に見て、ホテルのシャトルバスに乗りホテルに入り泊まった。
妻籠宿町並み1
妻籠宿町並み2
妻籠宿本陣
ホテルの風呂は、内湯と外湯が仕切られていなくて、大理石の風呂などがあり 開放感があり良い。
ホテルの風呂 ―――続く――― 2016.06 |