甲府の旅・後編 2016.03.10 天笠 富夫
翌日、甲府駅より普通列車で韮崎駅にいく、韮崎より大村美術館へ向かう、バスが なく、タクシ−を利用していく、場所は、韮崎駅より、釜無川を渡り、小高い山の中 にある。
運転手によると、ノーベル賞が決まった時、美術館への来場者は、通常年間で6千人 だったのが、1週間で1万人来て非常に混雑したそうだ。
午前9時40分頃着いたが、美術館は、まだ開場していなかったので、周りを散策す る、場所は、山の中腹で展望が非常に良い、近くの周りを見ると、左側に温泉・真ん 中に食堂・右側に美術館があり、それぞれ大村氏が整備したそうです。
左 温泉・真ん中 食堂・右 美術館
<温泉について> 白山温泉と言われ、大村氏が、掘ったようです、 午前10時の開館時前には、10人ほどの地元の 人が待っていました。
また、大村氏の実家は、これより少し上の方にあり、今は誰も住んでいないと言って いた。
午前10時美術館が開館した、2階建てで、1階には、大きく3つ部門に分かれてい て、女流作家の絵・海外の絵・日本の古い絵が飾られていた。2階は、休憩室があり、 陶器が飾られていたが、内部は撮影禁止なので写真はない。
景色をみながら、ゆっくり休憩室で休む、絵の方はよく分からないので、あまり感激 しなかったが、ノーベル賞取得以前に、地元に感謝のためにこのような美術館を造 った事に頭が下がる。(後で聞いたところ12億円ほどかかったが、美術館は、韮 崎市に寄付したようです)
大村 智氏
美術館 玄関
美術館からの景色
美術館の休憩室
美術館の見学後、隣にある食堂にいく、メニューは、3種類しかない、入って来た 地元の客によると、「もう、テンプラは作らないのか、儲かってしょうがないでしょう!」 と言いながら、注文していた。
メニューの中心は麺類だ、中から、「ほうとう」に似たようなものと、「うどん」を注 文し食べて、食堂を後にし、タクシ−で韮崎駅に戻った。
帰りのタクシ−の中で、運転手の言うには、韮崎出身で有名な人は、サッカーの中 田英寿(ひでとし)選手・宝塚を造った小林一三(いちぞう)氏・ノーベル医学・ 生理学賞を受賞した大村智氏の3名が有名ですと言っていた。
折りがあったら、皆さんも大村美術館に行かれたらどうですか、新しい発見がある と思います。
―――終わり――― 2016.01.26
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