鎌倉の旅U前編 2015.08.30 天笠 富夫
――――――――――――――は じ め に―――――――――――――――――― 台風6号が本州に向かってきているが、雨に降られるのを覚悟して鎌倉へ行っ た。直前の天気予報は、朝・昼間は曇り、夜間に台風が接近してきて、早朝に抜け 翌日は、朝から晴れとの事でした。
今回の目的地は、葉山のご用邸付近と1週間ほど前にテレビで取り上げていた浄光明寺 の周りと決めて行った。
――――――――――――――1 日 目―――――――――――――――――――― ○葉山しおさい公園周辺 当日は、天気がくずれてくるといけないので、早く出発した、新宿から湘南ライナーで 大船・経由で逗子に行った。逗子よりバスでご用邸の隣の「葉山しおさい公園」に行 った。ここは、海に面した、葉山ご用邸付属跡地で、日本庭園・相模湾の海洋生物を テーマとした博物館がある。
しおさい公園入口
行った時は、時間が早かったせいか、観光客も誰もいないで、一部展示場が開場して いなかった、きれいで清掃も行き届いているが、あまり興味をひくものがなかったので、 隣にある、県立近代美術館葉山に行ったが定休日だった、ここの喫茶室は海に面して いた、とても景色の良い所らしかったのだが残念だ。
しおさい公園内の庭の景色
○浄光明寺 ここより、逗子経由で鎌倉駅にでて、歩いて浄光明寺に向かう、浄光明寺は前回鎌倉 に行ったとき、寿福寺・英勝寺の脇に案内の看板があった所で、寿福寺まで行き横須 賀線の踏切を越え進んでいくとある、
<予備知識> 正中の変・元弘の乱をえて、鎌倉幕府を倒し、後醍醐天皇による 天皇独裁の官僚国家を樹立したが、公家中心の政権であったため、 武士などに恩賞の不満があった。(詳細は各自調べて下さい)
阿弥陀堂
浄光明寺は、鎌倉時代には、北条氏の菩提寺でしたが、足利尊氏(後の足利幕府の初 代の将軍)、不満のある武士の声を聞き、1335年後醍醐天皇に反旗をひるがえし、 挙兵する直前に、天皇への反対の意志がないのを示すために、この寺に謹慎していた という。
崖を削った場所
山門より境内に入る、正面に石の階段があったが、通行止めになっており、正面から 右の小さな階段を登っていくと、左に阿弥陀堂があり、右には崖を削った所に墓があ るが通行止めで中には入れなかった。
鎌倉は崖を削り、墓とか寺を造ったりするのが多い、それは、昔は人口が多く、平地 の確保が難しかったから、崖をけずって平地にしたそうだ。 <補足> 現在の鎌倉の人口は5万人で、鎌倉時代は10万人いたといわれる、 また、崖の岩は鎌倉石といわれ加工しやすい石です。
寺を見ていると、北鎌倉に住んでいる老人(83歳・男性)が現れ、この寺を、1週 間ほど前にテレビでとりあげていたので久しぶりに来たとの事でした、(住職も知って いるみたい)
老人から話しを聞くと、「鎌倉より逗子の方が歴史が古く、古墳があるが、地元の教育 委員会も気力がなく発掘されていない、後は政治家に圧力をかけるしかない」と言っ ていた。話しの波長があったのかもしれませんが、
「車で鎌倉を案内し、昼食もご馳走します」と言われたが、気ままに歩きたいので断 りました。後で考えてみると、この人は何者であるか、教育者・学者・ただの暇人? 鎌倉では良く人に出会う。その後宿泊先に行く。 ―――続く―――
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