足尾銅山の旅後編 2015.05.30 天笠 富夫 ―――――――――――――足 尾 銅 山――――――――――――――――――― ○本抗周辺 宿舎に戻り、宿舎の支配人から、「午後から、通洞駅にお客がくるので、迎えがてら足 尾銅山の見ていない本抗を中心に、案内します。」というので、お願いをした。
足尾銅山の略図によると、宿舎から通洞駅の途中にあるのが小滝鉱山跡で、通洞駅よ り渡良瀬川の上流に向かって、足尾駅、間藤駅と続き松木地区に続く。
車で、小滝鉱山跡を通り、通洞駅にでる、説明によると、「通洞は、本抗・小滝抗・ほ かの抗からでる、鉱石を出す場所だそうです。」ですから、この地区には、選鉱所(坑 内から採掘された鉱石を選り分けて、製錬所に送る役割をもった場所)とか変電所な どがある、
通洞駅から少し奥の足尾駅の周りは、かつては、財閥古河企業の城下町で、最盛期の 昭和6年には、足尾全体で3万8千人の人口いたが、現在では、鉱山の閉山で、建物 は、残っているが、空屋が多く1、500人くらいしかいないと思うと言っていた。
足尾 掛水赤煉瓦倉庫
また、この場所には、会社の福利施設として古河掛水倶楽部(国登録有形文化財)・重役 の役宅(県登録有形文化財)・社宅等がある。
また、「わたらせ渓流鉄道」の終点間藤駅近くには、本山抗・本山製錬所(銅を造って いた)があり、巨大な煙突が目につき、産業遺産の建造物が沢山残っている。
本山製錬所周辺
更に渡瀬川に沿って奥の松木地区に向かうと、3つの川の合流点にでる、この先は車 の立ち入り禁止地区で、昔は、アメリカのグランドキャニオンみたいに、全山ハゲ山 であった、それは、公害で全山樹木が枯れてしまい、今は、前日の雪が残り、はっ きり見えないが、懸命に植樹をしたので、少し樹が大きくなり、昔ほど、ハゲ山が 目立なってきたと言われている。
松木地区周辺
ここで、宿舎に戻り、2日目の見学は、終了しました。
○足尾銅山観光 3日目の見学場所は、通洞駅の近くにある、ネーミングはなにかしっくりこないが、 「足尾銅山観光」と言う名の展示場に行く、入場広場で、しばらく待つと。
トロッコ列車の運転手が来て、電車で牽引するトロッコ列車に客を乗せ展示場へ向か う、移動距離は短いが抗口に向かう、本当に鉱山に向かっている雰囲気が味わえる。
トロッコ列車の車庫
抗口の前で、牽引していた電車を外し、トロッコだけで、抗口より暗い坑道に入る、 坑道を少し進と降車場に着き、トロッコより降りると、水がしたたる、暗い坑道があ り、進と、坑道に、鉱石の採掘をしている姿の人形があり、江戸時代から昭和時代ま での作業仕方が展示されている。(手掘りの採掘から削岩機による採掘の展示)
人形 坑道を更に進と展示室があり、シアターで足尾銅山の歴史が見られたり、展示室に は、掘られた鉱石とか、製錬所の模型や、トロッコが展示されていて、非常に分かり やすい。
説明はなかったが、抗口を落ち着いて見ると、実際に使われていた通洞抗口のようだ、 だから、見学コースとして、坑道が良く完備されているように思えた。
通洞抗口 現在 観光に使用中
見学後、バスで東武日光駅に出て東京(浅草)に戻った。
―――――――――――――――お わ り に――――――――――――――― 足尾銅山は、1550年に見つかり、1676年から本格的に採掘をはじめ、197 3年(昭和48年)に閉山するまで、約400年近く採掘した。
銅山の場所は、備前楯山(1、272メートル)の下に銅山があり、開発されてきた。 坑道は、通洞の高さを基準として、上下それぞれ500メートル(全体の深さ1キロメ ートル)にもなり、坑道を全部つなぐと、1、200キロメートルもあり、この長さは 東京から博多までの距離と言われている。
足尾銅山を見て、産業の発展と公害の問題が、現実の問題として見られ、バランス良く 開発していく難しさを感じた、これは、今でも発生する問題だ。
また、足尾地区には、400年前の建物などは残っていないが、閉山になった時の建物 が多く残されているが、ほとんどが、非公開のため、外側からしか見られない。
ともかく、細かく見ていくと、見所が沢山ありすぎて、見るポイントを絞らないと理解 できない、地元の人には、「近代化産業遺産」として世界遺産に登録しようと、運動して いる人もいる、たしかに世界遺産に登録しても良い場所だと感じた。
通洞駅
<追記> ○足尾の町の印象 「わたらせ渓谷鉄道」で、各駅に停まるが、一度もコンビニを見た事がない、 足尾の町は、特に過疎化が進んでいるように思える。
古い建物が沢山建っているか、空屋が多く人が住んでいるかは、疑問です、駅前 でも、所々店があるが、午前中は、ほとんど閉じている、午後になると、少し店 が開くが、客が入っているようには思えない。
観光客は、土日でないせいか、ほとんどいないが、たまに通る人に、 バス停などを聞くと丁寧に、バス停まで付いてきて教えてくれる、 素朴で本当に良い町だ。 ―――END――― 2015.4.7-4.9 |