イタリア旅行記

1.はじめに 2.準備 3.タオルミィナー 4.フィレンツェ

戻る            2004年7月3日〜9日間の旅行  作者 天笠富夫

1.はじめに
   イタリアのフィレンツェに留学している娘から、夫婦で一度イタリアへ来ないかの誘いを受け、
定年記念を兼ねて7月3日から9日間の予定でイタリアに行く事にした。この旅はツアーを利用
しないでコース・宿泊先すべて娘まかせで行ったためトラブルも多かった反面密度の濃い旅が
できた。
 
  <予定コース>
     成田空港〜ローマ空港〜カタニャー空港(乗り継ぎ)〜タオルミィナー(ホテル イザベラ2泊)
     〜カタニャー空港〜ローマ空港(乗り継ぎ)〜フィレンツェ空港
     〜フィレンツェ市内(宿・コンドミニアム5泊)〜フィレンツェ空港〜ミラノ空港(乗り継ぎ)
     〜成田空港

    ・タオルミィナー  ・・・・・・・シチリァ島(映画ゴットファザーの舞台)中にありギリシャ・ローマ・
                     イスラム文化の影響を強く受けている街。
    ・フィレンツェ    ・・・・・・・イタリアの首都ローマの近くにあり、ルネサンスの発祥の地でここ
                      を起点として、ローマ・ヴェネチェアなどの旅をした。

2.準備
  旅行が決まってから、イタリアはファツションとか浮気とかコソドロが多いなど連想しながら準備
  として本を2冊買ってくる、「イタリアの観光案内書」と「イタリア語入門」の本だ。「イタリアの観
  光案内書」で、ミラノ・ローマ・フィレンツェ・ヴェネチェア・シチリァ島などを確認し、案内書を読む
  とギリシャ文化・ローマ帝国・イスラム文化・ルネサンス・ヴァチカン等がでてくるし、それに付随
  して芸術家・政治家・宗教家など多彩にでてきてよく分からない。一方「イタリア語入門」を読
  んでも、英語レベルでYES・NO・THANK YOUを理解したぐらいで、とうとう出発日になって
  しまった。

3.タオルミィナー
  成田空港から飛行機で13時間ローマ空港に着き、つきそこから更に飛行機で1時間30分・車
  で1時間でやっとシチリァ島にある古代の街タオルミィナーに着いた。タオルミィナーは海に面して
  いて山裾の中腹にある。ギリシャ・イスラム・キリスト教文化の影響を受け、それぞれの遺跡が残
  っている。街から下を見ると青色の海の海岸線が続きエトナ山(富士山のような型)の裾野が
ずっと望める、中央を見ると山の上には十字架と石で造られた古い教会があり、更にその山の
上は西洋の古城が見える。

                             山頂にある教会(左)・城(右)
    
■街の印象
 ・朝・昼間
  この街自体に史跡が多い、教会・ギリシャ劇場XXの広場XXの門と本当に多い、また各家は出
  窓になっていて各窓にはプランタンがあり花が飾られ街中花で一杯だ。ここの商店は朝10時頃
  開店し午後1時に昼休憩のため2〜3時間休憩しその後店を再び開ける、そのため午後2時頃
になると道路が閑散となる、街全体がゆったりしたリズムで動いている。
 ・夜
午後9時30分2車線がやっと通れる幅の少しゴミゴミしたメイン通り「ウンベルト一世通り」に白人
・黒人・黄色人(モロッコ人)がそれぞれ家族づれで道いっぱいにゆっくりと散歩をしている。
  商店で買い物をするのでもなく互いに話をしながら、知人に会うとまた輪になって話をしている、
まるで日本の井戸端会議を大きくしたようだ。そこに老夫婦・若夫婦・小さな8〜4歳位の子供を
つれた家族が来たが子供同士で駆けっこをしたり、ふざけあっても、日本の親のようにヒステリック
になって子供をしかっていない、この底抜けの明るさはなんだろう、子供も伸び伸びしているよ
  ぅに感じた。日本は経済力では世界有数ですが、精神的につかれていて、このような場面も少
ない、どこか家族関係がおかしくなっているのではないかと思った。

■観光地案内
 ・4月9日広場
  タオルミィナーで一番にぎやかな広場、最初に着いた時夕食をとった、ここは教会があり、海岸線
  ・エトナ山が望めピンクと白色のキョウチクトウの花が満開だった。
 ・ギリシャ劇場
  海岸の岸壁の上にあり、ギリシャ文化の影響を受けた古代競技場で、演劇とか格闘技などを行
っていた、競技場の真ん中に広場があり周りは観客席に使われている。見に行った時は夜の現代
  風の演奏会場の準備がされていたので古代の景観がくずれて少しガッカリした。
 ・海水浴場
  タオルミィナーからケーブルで降りるとそこは海水浴場だ、泳いでいる人は少なく皆なパラソル
の中で横になって寝たり・話をしたり・本をよんだりしている、中には胸を出してあるいている女性
もいて解放的である。

■トラブル(搭乗手続きの遅れから飛行機に乗れなかった件)
  タオルミィナー(カタニャー空港)からローマ空港経由フィレンツェに行く途中の搭乗手続きのため
並んでいると、イタリアの手続き担当の若い女性が日本では1〜2分で終わる作業を一件につき
5分もかかっている、どうしてこんなに時間がかかるのだろうと思いながら並んでいたが、前の
人の搭乗手続きが終ったところで、担当の女性から「時間になりましたので、この飛行機の搭乗
手続きをできません」との通告があった、娘が抗議していたが認められず飛行機は出てしまった。
     (他のカウンターでもイタリア人と係員が同じ搭乗手続きの件でもめていた)
 その後トラブルコーナーで娘が交渉し次の便を確保することができた。日本と比較するのが悪い
のかもしれないが、次に乗る人が待っているのだから何とか対応できないのか、まるで日本の
お役所仕事みたいに感じた、それがイタリアの文化かもしれない。

4.フィレンツェ 
  全体は盆地になっており、地理的にはドゥオーモ(教会)を中心に発達しているが、昔はメディチ
家が台頭していたルネサンスの時代に一番勢いがあったらしい、メディチ家は宮殿に住みフィ
レンツェに君臨し、銀行家としてルネサンスの時代にヨーロッパ経済を動かす力を持っており、
ローマ教皇を輩出したりフランス王族と親戚関係までになったそうだ。
 私たちはこの街にコンドミニァムを借りて、フィレンツェ・ローマ・ヴェネチェア等を観光した。

             ドウオーモの景観

■街の印象
 街の中は、そこに100年以上前に建てられ石で造られた3〜4階建ての建物が軒を並べて建て
おり、日本みたいにケバケバシイ広告灯もないし、外観は近代的な建物でもない、そして中で今も
 生活をしているが洗濯物は干していない。道路を見ると石畳の路が多くコンクリートで舗装された
路は少ないし、清掃されゴミもない、娘に聞いてみると建物の内側は改造しても良いが外観は変
えてはいけないそうだ、洗濯物も目につくところには干すと注意され、道路の清掃もしては夜間
徹底して行うそうだ。このように観光都市としてすごい努力をはらっているようだ。
 
■観光
 ・ウフィツィ美術館
  教会・宮殿・博物館・美術館など見所が沢山ある。それぞれ史跡の間に**広場がありその周
囲にカフェーだとか商店が並んでいてイタリア人及び観光客が集まってくる。娘にいわせると「イ
タリア人の服装は日本人ほどそんなに高いもの着ていないが着こなしがうまい」との事だ。
  美術館巡りとしてウフィツィ美術館・ピツティ宮殿に行った絵画・彫刻などが沢山ある。ウフィツィ
美術館の有名なボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」・「春」などの絵画があったが、残念なが
ら宗教・美的センス・歴史観など勉強不足で良さがあまり分からなかった。 
 ・ドゥオーモ
  フィレンツェの文化の中心 ドゥオーモ(教会)にいくドゥオーモは106メートルの高さがあり街の
  隅々からよく見られ、この街中では移動するのにはドゥオーモからの東西南北の距離感で行動
  する、このドゥオーモの屋上に登る。途中、天井に描かかれている「最後の審判」の絵が頭上の
丸天井に描かれていてすごい迫力だ、上だけを見ているだけで首がいたくなってしまう。屋上へ
の登りは細い道で階段状になっており、灯台を上っている感覚だ。屋上に近くなると登る道と下
る道は1本道で時間調整が必要手である。ひと汗かいて屋上に登ると多数の人が上からの景観
を楽しんでいた。屋上から景色を見ると名前が分からない教会・宮殿・美術館などが点在していた。
観光都市らしく、地上からでは気がつかなかったが民家の外観は石を意識し灰色に統一され、
屋根をみるとオレンジ色に統一されている。
       
■コンドミニアムの生活
 ・設備
  付帯設備   自炊設備完備・冷蔵庫(ビール・ジユース・水込み)
  部屋      1LDK  ・ 寝室  8畳くらい・リビング  16畳くらい
            ソファー(ベットに利用可)にテーブルあり、
            トイレとシャワーあり  
  その他     最低限の必要用品が準備されていた
・自炊生活
  食事は外出する場合は外で、それ以外は近く(徒歩15分)のスパーに行って購入
  日本との相違は点物価が半分くらい、魚類は冷凍設備が貧弱なため良いものがない、
  ハム・チーズ類が多い、野菜は秤売り、その他日常品は何でもあった。安くておいしい物とし
  てメロン(1個 300円くらい)があり毎日食べていた。また包装用のビニール袋は有料で精算
  する際に何枚を要求するなど面白い経験をした。



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