散策会の報告(さいたま新都心・大宮編)      天笠 富夫


―――――――――――――――はじめに―――――――――――――――――――

今回の散策の目的地はジョン・レノン・ミュージアムとクラシックカーの博物館だ、ともかく

ビートルズ系の音楽は知っているが、車と同様に、あまり興味なく過ごしてきた、今回の幹事

I氏に引っ張られてこなければ、両方ともに行かないで、食わず嫌いで押し通していただろう。


―――――――――――――――内 容―――――――――――――――――――−

■概要

○コース  さいたま新都心―――ジョン・レノン・ミュージアム―――大宮―――

クラシックカー博物館 

○日時   2005年6月25日(土) 午後2時スタート

○見所   ・ジョン・レノンの足跡

        ・クラシックカー見学


■ジョン・レノン・ミュージアム






○ミュージアムの見学

      集合場所は「さいたま新都心駅」だ、聞いたことも、まして降りたこともない、JR京

浜東北線で大宮駅の一つ手前の駅を降りると官庁街の高層ビルはじめ埼玉

サッカー場ス−パ−アリ−ナがある。 I氏によるとこの場所はJRの大宮操作場

の跡地だそうだ、JRは品川はじめ良い場所に、ずいぶん広い土地を持っていた

事に感心する。


      ジョン・レノン・ミュージアムはこのス−パーアリ−ナ内にあり、ジョン・レノンの生い

立ち(1940年誕生)から、1980年12月8日に暗殺されるまでの活動が展示さ

れている。彼はビートルズとして成功後、アーティストとして活躍し、天才的感性

で「愛と平和」を求めて、様々な分野へ行動し影響力を持つようになった。

最後に、彼の目指していたものは、ソロの時代の代表作「イマジン(Imagine)」

の詩に表れていると思われる。この詩はミュージアムの壁に大きく書かれ

ていたが写真撮影が禁止されていたので、筆記し一部を写してきましたので、

各自で「詩」を味わってください。


想像してごらん、国境なんてないんだ

むつかしくないだろう

殺したり死んだりすることもないんだから

宗教もない

想像してごらん

想像してごらん、財産なんてないんだ

君にできるかな

欲ばったり飢えたりすることもないんだ

みんな兄弟なんだ

想像してごらん

みんな世界を共有しているんだ 


■ハタ・クラシックカー博物館



    さいたま新都心駅より京浜東北線に乗って大宮に行く、駅より徒歩10分ボウリング

場の1階にあり、博物館に入っていくと、65歳くらいのおじさんが頭を下にして一生

懸命にレーシングカーの部品をばらして調整をしている、しばらくすると私達がお客

だと気づき、おもむろに頭をあげ、入場券を売ってくれた、お客は私達以外にいな

い。(ある反面、お客を気にせず自分の趣味に没頭できるおじさんがうらやましい

感じがした。)

    中に入ると映画「チキチキバンバン?」に出てくるクラシックカーや、世界で一台しか

ない車・扉が鳥の羽をひろげたようにひろがっているような真っ赤な車等クラシック

カーが約100台もあり、あまり車に興味がない者でさえ見ていると楽しくなる。それ

は見ている人に夢と希望と楽しさを与える。まして車を造りそれを乗り回す人はどん

なに楽しいだろう、姿が目に浮かぶかようだ。

  

■その他

     あまり暑いので、さっさときりあげ早くからやつている居酒屋を探し(庄屋)に入りこみ

  まずビ−ルを頼み流し込み一息ついてから、雑談が始まる。

  

――――――――――――興味のある方へ―――――――――――――――――

■ジョン・レノン・ミュージアム

     音楽面からジョン・レノンを描ければ良かったのですが、センスがないため音楽の

面を文章で表現できず、ただジョン・レノンという人が何をめざしていたかを表現す

る事がやっとでした。

     生い立ち・ビートルズで成功した時代・オーノヨウコとの出会い・平和キャンペー

ン(反戦運動)・そして暗殺された事等非常に興味がありますが、ジョン・レノンの

論文を書くのではないので省略してみたのですが、何か物足りなさを感じた。

そこで、追加で少しジョン・レノンの人なりを深堀し、「生い立ちとその影響」に絞り

まとめました、興味ある方は読んでください。


■ハタ・クラッシックカー博物館

     車を見ていると、ドイツの車はスタイルが良く日本人好みに感じた、また、これだ

け沢山の車を集めるとすごい財力が必要だ、たぶん数十億円かかるのではないかと

思われる、車に興味のある方は是非行かれると良いと思います。


―――――――――――――――ジョン・レノンの追加――――――――――――――

■「ジョン・レノンの生い立ち」とその影響

○生い立ち 

1940年10月9日ナチス・ドイツ軍の爆撃のさなか、イギリスのリバプール(補足

参照)で生まれ、アイルランド人の家系で、両親が労働者階級であったため、生

活は苦しく父親は航海にでて行方不明になり、母親は新しい恋人ができ、リバ

−プ−ルの郊外にいるミミおばさん夫妻に引き取られる。ミミおばさんの家は子供

もおらず比較的に裕福な幼少年時代を過ごせたが、


     父親がある日戻ってきてジョン・レノンをニュージランドに連れていこうとしたが、

母親もジョンを取り戻しにきて、5歳の子に父親をとるか母親をとるかを決めさせら

れた、最終的には母親を選択したが、心が傷ついてしまった。

<補足>リバプールについて

     アイルランド人は紀元前一世紀頃アングロサクソン系の人により、辺境に追いや

られ、リバプールに集まってきた、だからリバ−プ−ルはアイルランドの首都とも

言われているほどアイルランド人が多い。現在でも、アイルランド人はカトリック、

アングロサクソン人はプロテスタントと宗教が異なる人が多いため、もめ事が多く

争いが絶えない。

○学生時代

    小学生入学当初はしっかり自分を主張でき優秀な成績であったが、父親と母親

の選択以来、生活態度が悪くなった。12歳で成績優秀でグラマ・スクールに進学

したが、学校の教師や規則に反発し、成績もどんどん下がり落第すれすれにな

つていった。その時自分自身を表現するものを求めた、それがロックンロールで

あった。このロックンロールにのめり込み三人のメンバーが集まった、これがビ

−トルズの原形でこの仲間とプロのバンドを目指していった。


○ビートルズ時代

1960年グループ名をビートルズとしハンブルグツアーで演奏力を養い、イギリス

ではナンバ−ワンホップスの座にのぼり、1964年アメリカでも熱狂的に受け入

れられて、世界的なアイドルになっていた。(1964年オノ・ヨーコと出会う) 

○その後

     子供のころから納得しないものに対して反発する傾向が強くあって、イギリスの

ベトナム戦争参戦に対しても反対をし、アメリカの黒人差別運動反対にも共鳴

をしていった。そして争いのない世界を実現させるために「イマジン」等の詩を作

り、歌を通して世界中に発信し活動していたが、1980年何者かによって、アメリ

カで暗殺された。

          <省略項目多数ありますが 興味のある方は各自で調べてください>

                                                 ―――おわり――