剱岳                       標高2999         累計21053.6m

                                                       81座目

 
登山日        2011年8月3日(水)〜8月6日(土)       天候 晴れ、曇り
 
パーテー        ツアー
 
コースタイム      自宅18:30==18:50北上19:01++21:34大宮21:45++22:15新宿22:30==6:55

          室堂7:38−−5:15雷鳥沢キャンプ場8:25−−10:16剱御前小屋10:36−−11:15別山

          11:30−−12:30剱沢小屋(泊)

          剱沢小屋3:20−−3:50剱山荘3:53−−4:30一服剱4:40−−5:30前剱5:45−−7:22

          剱岳7:45−−9:18前剱9:30−−10:19一服剱10:37−−10:48剱山荘10:50−−11:15

          剱沢小屋(泊)

          小屋5:55−−6:25別山分岐6:30−−6:53別山乗越7:00−−8:00室堂平8:10−−8:49

          みくりが池−−9:00室堂9:30==21:00新宿23:30==5:45北上5:50==6:00自宅

 
 百名山を目指す為の難関と考え、昨年鹿島槍、五竜より神々しく感じ、誓った剱岳登頂、病み上がりの体に不安を残しながらツアーに参加したが、心を踊るような気持ちで出発した。
 新宿は夜遅い時間ながら相変わらず人で混雑、その中でバス発着地付近は登山姿の人が多く、昔の中央線の登山列車と言われた夜行列車を思い出した。
 登山中は夜は眠れない日が続く為、バスの中では出来るだけ眠る様に、また眠れなくても目を閉じて少しでも体を休める事を心がけた、室堂に着いた時は、以前に来た時とは随分雰囲気が違っていた。体調は良く、歩くほどに気持ちに充実感が湧いてきた。
 コースは地獄谷を経由して雷鳥沢キャンプ場に、懐かしく思ったが、やはり以前来た時とは雰囲気も全く違っていた、天候は曇りで視界は良い方だった、高山植物も多く咲いており、雪渓も所々に見られた、剱御前小屋で別山に登るメンバーと、そのまま宿泊場所の剱沢小屋に直行するメンバーを希望で二手に別れ出発した、当然自分は別山登頂組になった。
別山に到着も視界が悪く、山頂の標識も無かった、一休みして、剱沢小屋へ向かった、途中入院中に読んだ本の、剱岳遭難救助隊の基地,十全小屋の前を通った、本を読んで半月ほどの為、身近に感じられた、剱沢小屋に昼過ぎに到着、周囲の散策や、写真撮影で時間を潰した。小屋の前に岩と雪の殿堂の標識があり剱岳を見渡す事が出来る予定が雲で見えない、前剱まではっきり見えるが、肝心の剱が見えない、時々雲の切れ間から顔を覗かせる剱に歓声が上がった。
                 
         室堂から立山方向(002)             地獄谷(004)
                
        剱御前小屋付近で(025)             別山頂(026)

 

相変わらず山の夜は眠れない、夕食後少しウトウトしたが、途中完全に目が覚めて、眠れない、特に翌日は3時半出発予定だった為、かえって早く眠らなければと思い眠れない時間が続いた。結果的には余り眠れず2時半頃起きて出発の準備をした。予定より10分ほど早く出発した。周囲はまだ暗く、ヘッドライトの列が続いた。遠くは一服剱位までヘットライトの列は続いていた。
 いよいよ剱登頂に向けて出発、身が引き締まる様な気持ちだった。ガイドはステッキ、ポーチ、水筒のベルトへの固定は禁じた。
パーティを2班に分け、1班が剱山荘付近に達した頃、自分の2班が小屋を出発して、すぐ雪渓にかかった、雪渓を過ぎ、剱山荘の手前で雪渓が消え、剱山荘を過ぎて徐々に登りがきつくなって来た、一服剱で一服したが空は薄明るくなって来た、次なる目標は前剱、。日の出は前剱の影で見ることは出来なかった。
                
         一服剱から前剱を望む(059)         一服剱から朝日と後立山連峰(060)

 

 完全に明るくなった前剱からは剱岳が目の前に大きく見えた、鎖場や梯子が徐々に多くなって来た、剱岳の岩壁に多くの人が貼り付いている姿がはっきり見えてきた、あんな所を登るのかと、思いながら、前剱を下って見ると、更に剱岳が大きくのしかかるように感じられた、ますます、大きく高く、人が小さく感じられた。天候も良く景色も素晴らしいものが有ったが、剱岳登頂までは剱岳以外は目に入らないと思うほど、剱岳だけが目に飛び込んで来るようだった。
 鎖場を何箇所登って、剱岳の象徴とも言えるカニのタテバイに取り付いた、カニのタテバイは登り専用となっていた、鎖もボルトもしっかりしている為、安心して歩くことが出来た。
 カニのタテバイを登りきって少し歩けば、待望の剱岳に到着、山頂には祠があり、多くの登山者が、大パノラマを堪能していた、驚いた事に、太平洋側にある、富士山がくっきりと頭を出していた、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、槍、穂高から後ろ立山連峰と云われる、鹿島槍、五竜、白馬等登山で苦しい時も有るが、この瞬間で全てが喜びに変わると感じられた。
                
          剱岳山頂(075)                剱岳よりの鹿島槍、五竜岳(080)

 

 山頂でこの雄大なパノラマをみな歓声を上げながら写真を写しながら山頂の一時を楽しんでいた、後からも大勢登って来て山頂が狭く感じるほど人が多くなってきた、記念写真も一通り終わり、雄大なパノラマを名残惜しみながら下山の途に着いた。
 下りは、カニのヨコバイが最大の難関で、カニのヨコバイの第1歩目が大事で、パーティーは最初のガイドが次の人に指示して、その次の人が、後の人に申し送りする、という伝言ゲームのように行い、無事全員通過した。
 カニのヨコバイを通過してホットしたが、まだまだ危険個所は多く、ガイドは歩きながらの会話は注意力が散漫になると云うことで禁じた、写真と会話は休憩時にするようにとの指示で、事故は危険個所では起きず、そこを通過してホット気を緩めた時に起こると、ガイドの持論だった。
 同じパーティーの後ろを歩いている人は、2回も転げ落ちたが危険個所では無かった為、大事には至らなかったが後で見ると、腕が傷だらけだった。
 剱山荘に近づいて来ると高山植物が多くなり、写真を撮りたかったが、撮る時間がなく、そのまま宿舎の剱沢小屋へ昼前に到着し、昼食にカレーライスが待っていた。
 
                
        剱岳より富士山遠景(085)               鎖場下山光景(088)

 

 昼食後、剱山荘付近の高山植物が気になり一人でカメラを持って剱山荘付近に出かけた、道標でクロユリコルと有った為、クロユリでも見られるのかと思い、歩いてみたがクロユリは見つからなかったが、一時の自由を楽しんだ感じだった、小屋の中でただ、体を休めていては、こんな気持ちは味わえないと思いながら写真を撮った、剱沢小屋では二人のガイドが次のツアーに同行するために、私達のメンバーと別れる為のメンバーからの拍手等遠くに聞こえたが、その光景は良く見えた、剱山荘と剱沢小屋は谷を1つ隔てた所にあり様子は良く見えた。
 小屋へ帰り、メンバーが剱岳登頂の喜びと、ビールで酔い、話もはずんでいた、自分もビールを買い仲間に入った、さすがに初日と違いうち解けていた、中にはこの剱岳ツアー3度目の挑戦でようやく、達成したという人も多かった、自分はツアーに参加して1度も、中止になったことがない、中止になるなんて余り考えた事が無いと云うと、羨ましがられた。
 一方剱岳は完全にガスに包まれ見えなくなって、雲行きが怪しくなり小屋へ入りシャワーを浴び、夕食を待った。
                
         イワギキョウ(101)                   剱山荘付近のハクサンフウロ(113)

 

 この晩もやはり余り眠れず、ただ少しだけでも体を休めるように心がけた、時々眠った様な気がする時が何度か有った、たぶん眠ったのだろうと思っていた。
 いよいよ帰りの朝二人のガイドは別れた為、添乗員が、ガイド役をし引率した、朝食後軽くストレッチを行い出発した、今にも雨になりそうな天候だった、途中雨が降ってきて、雨具の世話になった。
ただメンバーの皆の顔には満足感が溢れていた。
 帰りは雷鳥沢から地獄谷は通らず、雷鳥沢からみくりが池を通り室堂に至った、みくりが池から個々自由に室堂に向かい室堂でおみやげ購入し、後はバスに揺られ、途中称名の滝を見物し、入浴し、帰途に付いた。
 新宿ではバスで隣の席に座った人と夕食を摂りながら山の情報交換をした後、夜行バスで帰宅した。

 

                
                夕焼けに染まる剱岳(124)                            剱沢小屋前で(037)

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