2006年山行まとめ
2006年のまとめの時に決めた目標に対しての結果からまとめると、昨年の目標30000m以上については下記表のように大幅に記録更新したといえるが欲を出せば後一息で35000m達成だったがと言う気もしたがまずは1年間何事もなくコンスタントに登れたとし大いに充実した年だったと思う 他の目標であったツアーをに積極的に参加し100名山をツアーで3山と飯豊山、磐梯山の5山を目標は、尾瀬の燧ヶ岳,至仏山と木曾御嶽山、乗鞍岳の2コースを計画し申し込みを行ったが、参加者が少なく主催者の都合で中止となってしまいました。これは大きく予定を変更を余儀なくされました。結果的には100名山は、大人の休日クラブの3連休パスを利用した日光の日光白根山、男体山の2山と裏磐梯のでぽ裏磐梯を利用した妻のねぎらいと沖縄から訪問の妹の案内も含めた旅行(ドライブ)にかこつけ自分は磐梯山に登ったこの三山だけで目標未達に終わった、この部分の反省はあまりツアーを当てにしてはいけないと思った。 |
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始めての山 @4月に登った鞍掛山で岩手山のすぐ南にある山で岩手山が目前に雄大にそびえているのが印象深かった、 A神室山は日本200名山に入る名峰で会社の山の先輩から進められていたがかなり厳しい山だが良い山ということで登ったがほとんど視界もなく時々雨に降られたがパノラマコースを下る頃にようやく日が差して来た、でも又登って見たい山だと思った。
C高下岳は和賀山塊で和賀川源流を挟んで和賀岳を望む山でこの和賀山塊一帯は豊富な自然でNHK等でも時々紹介される程ブナ林等自然も素晴らしい、 D日光男体山、奥白根山は初めて新幹線を使用して百名山に挑んだが,朝一の新幹線で出発して11:30位から登り始め登り一方の山で、最初は時間が読めなくコースタイムだと下るのに暗くなる可能性もあるためかなりオーバーペースできつく感じた頂上から別コースの戦場か原を考えたが途中で暗くなる可能性が大きいため断念同じコースを下った、その日は日光湯元に宿泊し次の日は湯元温泉から登山道に入った、かなり長いコースで若干不安だったが歩いているうちに不安は解消された、体調は思ったより良い、心配していた天候も良い、ただ心配はガサガサ何かいるので、熊でも出るのかと思ったが、どうやらその正体は鹿のようだった途中何頭もの鹿と遭遇できた、これも山の楽しみの一つだった、湯元からのコースはほとんど人と会わなかったが頂上付近になると多少渋滞気味でどこから湧き出た人かと思うほどだった。 E与那覇岳は沖縄の実家に帰って初めて一人で車を借り沖縄本島の北部やんばるに行って見て宜野座道の駅で案内を見たところ与那覇岳が近くにあり沖縄本島最高峰を見たとたんそこに行くことに決めて出発本土の山と違い案内が少なく反対側の登山口に出てしまったり右往左往登山者も全くなく一時はあきらめて帰ろうと思うほどだった。今まで登った山でコースを変えて登った山
A岩手山は最も急な御坂コースを登ったが単独のためハイピッチで苦しい登山だったこれで主な4コースを登った、 B栗駒山はいつも妻と一緒に登るコースは7月に登り、9月に秣岳コースを歩いた湿原ありアップダウンあり変化に富みパノラマも素晴らしかった。下りた後車道を歩くのが辛かった。
2007年目標 |
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