鎌倉の旅             2015.01.09   天笠 富夫

 は じ め に

天気は晴れているが、非常に冷たい風がふく、12月に鎌倉に行った。鎌倉は、寺が

多い、今回は混んでいるのがいやで、十一面観音で有名な長谷寺を除き、あまり名前の

知られていない寺を中心に訪ねた。

 

――――――――――――――1 日 目――――――――――――――――――――

○寿福寺

新宿から湘南ライナーに乗り、戸塚で乗り換え、鎌倉に行く、駅から歩いて寿福寺に向

かう、寿福寺は鎌倉五山の内三位の寺で格式がある、建長寺・円覚寺に次ぐ寺で、どん

な寺なのか興味津々でした、

<鎌倉五山>

   鎌倉幕府の5代執権(将軍の補佐役で事実上の権力者)の北条

頼時が、中国の五山制度に、ならって、鎌倉の禅寺の格式を定め

たが、時代と共に変更は、あったが、現在では、一位建長寺・

二位円覚寺・三位 寿福寺・四位浄智寺・五位浄妙寺といわれている。

 

場所は、鎌倉特有の小高い尾根の間の道を、北鎌倉の方向に20分ほど歩いた所にあった、

山門をくぐり紅葉の残った参道の樹木の間を歩く、静かで気持が良い、本堂に近づくと、

入場が禁止の立て札があり、入口に地元の80歳くらいの老人(男)が、「これから何処

にいくのですか」と聞かれた。

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私が、「どこか良い所はないですか」と聞いたところ、「この寺の裏山に北条政子と

源実朝(さねとも)の墓があるので、是非見て下さい、」、「近くの見所としてお寺とし

ては、英勝寺と海蔵寺」を推薦された、その後、老人はこれから景色の良いところで絵

をかくと言っていた。

 

この寿福寺の裏山に登っていくと、墓地になっていた、墓地の更に奥にいくと、小高い

崖になっていて、そり崖の一部が削られて墓になっていた、(このような墓をやぐらと

呼ばれている) この、やぐらの中に、別々に北条政子と源実朝が葬られていた。

  <北条政子と源実朝>

    北条政子は、鎌倉幕府創始者の源頼朝の妻で、頼朝の死後、二人

の息子の頼家(2代将軍)・実朝(3代将軍)が殺された後、尼将軍

として権力を振るった。詳しくは、各自で調べて下さい。

 

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○英勝寺

寿福寺の裏山を降りて、英勝寺へ向かう、英勝寺は浄土宗の寺です。

<英勝寺の歴史>

   平安・鎌倉時代には、源頼朝の父義朝の屋敷が建っていた、

室町・戦国時代には 上杉の家臣大田氏(道灌)が居を構えた

徳川時代には、大田道灌の血縁で、家康の側室「お勝」が

      出家して尼寺を開いた。

「お勝」は、水戸徳川家の初代頼房の義母なので

その後も、水戸徳川家とはつながりある。

詳しくは各自で調べて下さい。

 

横須賀線に沿って北鎌倉の方向に歩いていく、英勝寺の通用口が見えてきた、通用口は

無人であったが、入口で拝観料300円を払い中に入り、順路に従い進んでいくと、

山門に出る、山門の上部には英勝寺と書かれた額があり立派である。

 

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少し坂を登っていくと、祠堂(しどう)という建物がある、建物は施錠していて中に入

れないが、周りはガラスで覆われ、中を少し見ることができる、日光の東照宮を非常に

小さくしたような建物がある、後で調べたところ、中には英勝院(お勝の法名)位牌が

納められているという。

 

更に進と、鐘楼の前に仏殿があり、中は入れなかったが、暗い堂内にかかわらず、

金色の阿弥陀仏三尊が祀られている上、内部に装飾され立派である。

 

植物を中心にしてこの寺を見ると、すばらしい竹林とか、紅葉でこの時期でもきれいで

ある、又季節をずらすと、桜とかしだれ桜の樹があり咲いていたら見事だと思われる。

 

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○海蔵寺

今日の寺廻りの最後の目的地、坂を登り海蔵寺に向かう、海蔵寺は臨済宗の寺で、室町

時代に鎌倉公方足利氏満の命で上杉氏定が創建した寺。

<鎌倉公方>

   室町幕府の征位大将軍が関東10カ国を統治するための出先機関長名

 

 

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この寺は、なぜか水脈がよく十六の井戸があるという、本堂は、仏像が目につく所にな

かった、内部を見ると座禅の修行場みたいであった。だが鐘楼はじめ、静かで周りの景

観がすばらしい。

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同じ道を、鎌倉駅にもどり、江ノ電に乗り今日の宿泊先鎌倉プリンスホテルに行く、途中

海を見ると風が強いせいか、白く波だっていた、遠くをみると、江ノ島が見え、富士山

は雲がかかって見られなかつた。

 

――――――――――――――2 日 目――――――――――――――――――――

早朝、海を見ると、江ノ島・富士山が良く見えた。今日は有名であるが一度も

行った事のない長谷寺に行く、鎌倉に行くと長谷寺を意識するが、近くにある

高徳院の鎌倉の大仏の方にいってしまう。

 

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○長谷寺

また、江ノ電に乗り長谷駅で降りる、降りて7分くらい長谷寺に着く、当日年末のせい

か「歳の市」をやっていて、露店がでて賑やかである、鎌倉の長谷寺の宗派は浄土宗で

なぜか奈良の長谷寺の(真言宗)と違っているが、本尊は共に十一面観音像です。

 

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拝観料を払い階段を登り本堂に向かう、本堂には、巨大な本尊の、十一面観世音菩薩像

が、祀られていた、大きさに驚く。

  <十一面観世音菩薩像>

   言い伝えによると、721奈良時代に巨大な楠の霊木より、二体造られ

一体は奈良の長谷寺の本尊になったと言われている。

 

この寺には、宝物館(但し休館中)・阿弥陀堂・弁天堂・弁天窟・経蔵・眺望散策路など

見所が沢山ある。見物して、面白かった所として弁天堂に弁才天と書かれた額があった

が、逆読みして「天才」が祀られていると言った若い女性がいたのには笑った。

 

又気になったものとして、洞穴に飾られた弁天窟が立派なのに驚く、気に入ったものと

して、寺の裏山にある、眺望散策路があり、海岸線が良く見えてすばらしい、

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  「弁才天を天才**」と呼んだ

 

その後江ノ電経由で小田急線に乗り帰った。

 

―――――――――――――お わ り に――――――――――――――――――

今回は、鎌倉で有名な、鶴岡八幡宮とか、鎌倉大仏の周りに近づかなかったせいか、

外人観光客いなかった。しいて団体といえば、中学生の修学旅行生がグループ別に行動

しているのが目立ったくらいだ。

 

旅の中で気になったのは、寿福寺で、北条政子の墓を見たとき、政子は源姓を名乗らな

かったのだろうとか、墓も、頼朝の墓のそばでなく、暗殺された次男の源実朝の墓のそ

ばに祀られているのは何故かと、疑問が湧いた。

 

また、長谷寺では、あのような立派な十一面観世音菩薩像が、奈良の長谷寺では、国宝

になっているのに、鎌倉ではなっていないのはなぜかなど疑問が湧いた。

 

ともかく鎌倉の寺巡りは、静かで、まだ行った事のない寺が多いし、調べれば何か

もっと面白い事が隠されているような気がした。

 

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  長谷寺の地蔵さん

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