信州角間温泉(上田市真田町)の旅 (2012.11.27〜29) 2013.01.16 天笠 富夫 今回の旅は、新潟の大湯温泉に行く気でツアーに予約をしていたが、人が集まらない ためツアーが急遽中止になった。急いで代替の場所を捜したところ、長野県上田市に あって昨年バスツアーで鹿教湯温泉に行く途中、バスが立ち寄った温泉が空いていた ので申し込んだ。(2泊3日)
この温泉は、秘湯といわれ、昨年立ち寄って見た感じでは、川に沿った古い農家風 で、案内の写真には泥くさい露天風呂がついており、イメージとしてあまり期待をし ていなかった、只温泉にはいり、好きな碁ができればよいと思っていただけだった。
行程として、新宿からバスに乗り、妙義山と浅間山を見ながら、菅平方向にある、上田 市の真田町に向かう、真田町は真田氏の発祥の地です、町に入り、史跡の案内板がで て、周りに見所が点在しているのがわかった。
真田町から、角間川に沿って、車が一台ほど通れる細い山道を上がっていくと、一軒宿 の角間温泉に到着した。宿の入口は、樹木の枝で覆われた屋根の坂道を上がると玄関に でる玄関は農家風だと思っていたが、しっかりした近代風の旅館なので安心した。
玄関に入ると熊の剥製が迎えてくれた、部屋は、雑然としていると、思ったが、きれ いで、畳敷きであるが、低い高さのベットが置かれ和洋折衷で、山里の割には、良く考 えられているのには感心した。
さっそく露天風呂に向かう、宿の建物から少し離れた所にあり、建物のドアーを開け竹 のスノコで囲われた坂道を登っていくと露天風呂にでる、浴槽は二つあり、一つは41 度Cくらいの通常の湧かし湯であり、もう一つは泥みたい茶色の温泉、多分体温と同じ 38度ぐらいではないかと思われる
この温泉の成分は鉄分を含んだ炭酸泉で、本来は、透明だそうですが空気触れると酸化 し茶色になるという。温泉の温度が体温と同じぐらいなので、ゆっくり入ることができ るが、このような茶褐色の湯に入るのは初めてである。
浴槽に入ってから、そのまま出るには少し寒いので、上がり湯として隣りの湧かし湯に 入り体を温めてでる、この温泉の効果として新陳代謝が活発になるように思えた。 翌日は、真田町の名勝地が記載され距離が表示されない概略の案内図を持ち、真田町の 史跡を見るために、宿から真田のバス停まで送ってもらった。念のためバスの運転手に このバス停あたりの見所を尋ねたところ、山家(やまが)神社と長谷寺(ちょうこくじ )を紹介された。
山家神社はバス停から歩いて5分くらいのところにあり、真田家の氏神であり延喜式 神明帳に記載された由緒ある神社で、社はじめ鬼瓦などがあったが、あまり良さがわ からなかった。 <延喜式神明帳> 10世紀の初頭に朝廷から、官社として認識された神社の事。
山家神社をでて、歩いている人に、この近くで見所はないかと聞くと、同じように長谷 寺を紹介してくれたので、ともかく行ってみることにした。
舗装された道路に寺の案内板があったので、坂道をどんどん上がって行った、15分く らい歩いて行くと、畑で野良仕事をしていた65歳くらいの男の人が、大きなペット ボトルの容器に棒をさし土に埋め農作業をしていた。
何を植えているのですかと聞くと、玉ネギを植えているという、このペットボトルの容 器は、何に使うのですかと聞いたところ、モグラ予防の事、「但し効果は良く分からな い」との事でした、そんな面白い話しを聞きながら登っていくと、長谷寺についた。
ここの寺の特徴丸い山門、非常に珍しくに優雅に感じた、山門をくぐるとしだれ桜の木 が見えてきた、春にはさぞかし美しく咲くのではないかと思われる、後で確認すると きれいな花が咲き有名だそうです、この長谷寺を奥に進むと、真田幸隆夫婦とその子の 昌幸の墓があり非常に興味があった。 <真田昌幸> 真田幸隆の3男として生まれ、幸隆が亡くなったあと、家督を継いだ 長兄信綱・次兄昌輝が戦で討ち死にしたため、家督を相続した、子には 信之と幸村がいるが、豊臣方と徳川方に分かれて争った関ヶ原の戦いで 信之は徳川方へ、昌幸・幸村は豊臣方へ味方をした。 これを犬伏せの分かれという{父子・兄弟の離散の事}
有名な話しとして、徳川秀忠3万8千人が中山道を下り関ヶ原に向かう 途中上田で、2千人で籠城し迎えうち、秀忠を関ヶ原に遅参させてしま ったという、戦上手の人だ。
一番右端が 真田 昌幸の墓 長谷寺を出て、元の道に戻り、真田歴史館と真田氏本城跡という案内板がでてきたので、 その案内板に従い歩いていくと、いくら歩いていても目的地につかない、家の前に出て きた地元の人に聞いたところ、まずどうやっていくのですかと質問され、歩いていくと 言うと、距離があり大変だからやめた方が良いと言われ諦めた。
距離が表示されていない地図と案内板を見て動くのは、この真田町では無謀だとわか った。また、宿泊先からの迎えのバスがくるのには、まだまだ時間があるので角間川 に沿って宿泊先まで歩いて戻った。
最終日は、宿泊先から先の角間川の上流と宿周辺を中心に見てまわった、川の上流を上 がっていくと、以前は菅平まで行けたようだが、土砂くずれがあったみたいで、通行止 めの看板が出ていたが、それを無視して歩いていった。同じ道を先に歩いていた夫婦が 戻ってきたのに会った、この先熊に注意の看板を見て戻ってきたそうだ、
確かにこの辺は、岸壁に囲まれた道に川が流れているが、何か他の場所と違う、考えて みると、自然と樹に囲まれているが、鳥の声が聞こえない、鳥のエサもないのかもしれ ないなど思いながら私達も戻り始めた、すると後にすごい勢いで動く気配を感じ熊では ないかと一瞬タジロイタ、それは自転車であつた、良く聞くと土砂くずれで先に行けず もどってきたそうだ。
宿泊先のそばに岩屋観音が岸壁の上にあるというので、いってみた、頂上近くには、真 田十勇士の猿飛佐助が修行した、猿飛岩があったりしたが、そこをそって行くと岸壁 に囲まれ洞窟になっている岩屋観音に出た、思ったより大きく良く手入れがされてい た、宿泊先への戻りは階段をつかいおりていった。
これで今回の旅は終わった。温泉はたしかに、あまり経験のしたことがなく飾り気は、な いが、良いい温泉でした。真田町では地元の人と話をしましたが、親切でそれぞれ一生 懸命仕事をしている姿を見て親近感がわきました。ただ宿の女将が言っていたように、 「真田町の名称地がそれぞれ、離れている」と言っていましたが、距離感のない、車中 心の中途半端な案内をやめてほしいとつくづく思った、他に見所が沢山あるのに残念です。 ―――END――― |