仙台・南三陸町の旅 前編 24.08.06 天笠 富夫 ――――――――――――――は じ め に――――――――――――――――― 今回の旅は、不謹慎ですが、昨年3月11日に起きた東日本大震災の被害地を南三陸 町を見にいくのが目的です。南三陸町は津波の被害を一番うけている、交通機関とし て、宮城県の仙台から石巻線に乗り、子牛田駅から乗り換え気仙沼線に乗っていくのが 通常のルートであるが、気仙沼線は途中の陸前横山から気仙沼駅までの間震災の被害 を受け不通でした。
気仙沼線が不通にかかわらず、よく調べていくと、南三陸町にある「ホテル観洋」か ら、仙台まで一日一往復の定期バスがでているのがわかりこれを利用するようにスケ ジュールをたてた、仙台に迎えのバスは午後1時30分でしたので少し早めに仙台に 行き市内見物をした。
――――――――――――――仙台市内―――――――――――――――――――― 仙台は、出張を含め何度も来たが、落ち着いて市内を見物したことがない、ただ人に 連れられて国分町には何度か行ったことがある、 いつも夜なので場所ははっきり 覚えていない。早めに着いて一度も行ったことがない仙台城跡(青葉城)に行こうとし て、仙台駅で新幹線を降り観光案内所に行き、行き方を教わった。
本丸跡
それによると仙台駅前より、仙台市内の観光地15カ所を巡るという「るーぷる仙台」 というバスを紹介され、バスに乗ると仙台城跡に一番近いところを通ると教えられた。 <「るーぷる仙台」バスの説明> 仙台駅前より20〜30分毎に発車し、市内の観光地を回るもので、 博物館・美術館・植物園・歴史の史跡等をまわる、必要に応じて途中 下車し観光するものである。
バスに乗車し市内を通り、何度も広瀬川(仙台市内を流れている有名な川)を渡り 東北大学のキャンパスに入ってきた、東北大学は山の麓から青葉山の山頂に延びてい て、通学するだけでも、歩いてはいけず、坂道が多く自転車通学大変そうなのと、広さ に驚かされる、大学のキャンパスの間を縫って少しいくと仙台城跡のバス停につく。
場所は仙台城本丸の近くにあり、本丸跡は神社になっていて、本丸は、おしい事に昭 和20年7月の仙台大空襲で全焼したそうです。 <仙台城の説明> 400年ほど前、仙台藩の初代藩主伊達政宗が築城を着手し、2代 でほぼ完成させた。また、仙台藩は、江戸時代、加賀(前田)・薩摩 (島津)に次ぐ大藩であった。 伊達 政宗像
本丸のある広場には、ビルが立ち並び発展した仙台市が見え、広場には伊達政宗の 騎馬像が、飾られている。このほかに瑞鳳殿・博物館(三の丸)など城に関わる見所 もあるが、時間が足りないため、本丸近くを中心にしか見られなかった。
仙台駅への戻りも「るーぷる仙台」バスに乗り定禅寺(ジョウゼンジ)通りを通ると ケヤキ並木の道が続き、これだから仙台は杜の都と言われるのだと納得した。
定禅通り ―――――――――――――ホテル観洋――――――――――――――――――― 午後1時30分仙台駅前にホテルのバスが迎えに来た、海岸線北上して南三陸町に 行くのは海岸線に沿っていくのかと思っていたが、車は海岸線に一度も出ず山沿い に沿って行った、バスに乗り2時間過ぎると海岸線に出てきて南三陸町に入った。
周りに家がなく、家のコンクリートの土台のみが見えていた、バスはしばらくしホテル に入った、周りに建物はない、このホテルは丈夫に造られていたため津波の被害を受け
たが壊滅的な被害にならなかった、10階建てのうち2階の風呂場までが津波の被害を 受けたらしい。
ホテルの部屋は9階前面に太平洋が見え、左側に比較的大きな島がある、海猫が飛んで きて部屋の窓の手すりに止まり歓迎しているように見えた。後で聞いた話だと津波がく る直前に400メートルぐらい先の島が渡れるように海水が引いたと聞いた、まるで昔 映画でみた「十戒」で海が割れるシーンみたいだ。地震の直後お客を乗せたバスが到着
したが、ホテルの被害も大きいため部屋にお客を通せず、また帰るには道路が閉鎖さ れ帰るにも帰れず、フトンを準備し食べ物はにぎりめしで2日間バスの中で泊まって もらった、お客は、最初は文句が出たが、納得し協力してもらい、3日目に自衛隊の 力で条件つきであるがやつと仙台との間の道路がつながり、やっとお客を帰した、
ホテルの営業は地震後4ヶ月後開始し、当初ホテルの経営者として、避難場所として 700人ほど収容し、将来復興できるようにと、子供・経営者・商店主を中心に仮住 まいをさせたそうです。
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