塩原の旅     2012.04.14    天笠 富夫

 

―――――――――――――――は じ め に―――――――――――――――――

 栃木県塩原は、以前に2回ほどきている、1回目は会社の慰安旅行で、2回目は18年前

に友人同士できたことがある。初めてきたときは、妙雲寺の近くで、比較的にぎやかで活気

があり、旅館の露天風呂が野外にあり、温泉街の中に素朴さを感じたのを覚えている、2

回目は、東武鉄道の延長し野岩鉄道が塩原近くに入ってきてまもなくで、台風が栃木県近

くにきた時期だったと思われる。

 

今回は、JR東日本で発行されている「地・温泉」のパンフレットに、栃木県塩原温泉明賀旅

館本館が掲載されていて非常に興味があった。それが今回のバス旅行に取りあげられて

いたので、いつも旅する仲間の者と一緒に申し込んだ。

    <地・温泉とは、>

       JR東日本が東日本各地で伝統ある温泉地を30カ所選び地温泉と呼んだ。

 

 

――――――――――――― 1 日 目(添乗員・旅館)――――――――――――――

バス旅の集合場所は、新宿西口の住友ビルだ、ツアーの参加者は、70歳後半過ぎの年

輩者が多い、しかも元気で、男女とも一人旅の人が多いのには驚かされる。添乗員は65歳

くらいだろう、どこかの会社を辞めてアルバイトで働いているようだ、この添乗員は、一生懸

命やっているのだが、経験が不足していて、案内するポイントも、後手・後手となってしまう。

 

たとえば、集合場所からバスの発着場にお客を誘導するのにも自信がなさそうで、ガアガ

ア騒ぐ年輩の男より、右に行ったほうが良いと言われ添乗員は黙ってお客を誘導していた

が、私は、一応サービス業の案内をやっている関係上、身につまされ、ガアガア騒ぐ男

に、「案内になれていない面はありますが、委せましょう」と言ったところ、ガアガア騒ぐ男も

少しおとなしくなった。

 

添乗員も、好きで働いているのではなく、生活のため、適応力が落ちている中高年で、異業

種で働くのは、他人ながら大変だと思った。バスは塩原に入ると申し込みの宿泊先別3つ

の旅館に分かれて泊まるようになっていて、私どもが泊まる明賀旅館本館は、今度のツア

ーの内一番宿泊客が少なく9名しかいなかった。

 

早速、旅館に入り「川原の湯」という露天風呂に行く、地下1階より建物の外に出て、木製

の階段を90段ほど降りると鹿股川の川沿いに4つの浴槽があった、各浴槽は少しずつ温

度は違っている、比較的温泉の温度は低い、そのためゆっくり風呂にはいっていられる、何

気なく温泉をなめてみるとシヨッパイ。

(昔塩をとっていた時代もあったそうだ。これが塩原の語源であろう!)

 

風呂へ行く階段

 

この旅館大正時代徳富蘇峰によって命名された太古館という建物が併設されていて、随分

歴史を感じさせる。

 

――――――――――――― 2 日 目(湯っ歩の里・街並)――――――――――

2日目は、旅館から、旧道にあるこの旅館の姉妹館に車を出してくれるとの事で、車で姉

妹館に行き風呂に入った、風呂としては特に特徴はないが、風呂の浴槽の脇に畳敷きの

休憩場があったのが気に入った。この旅館の建物の隣には「七ツ岩吊り橋」という名の大き

な吊り橋があり、それを渡って、丘を登っていくと、ビジターセンターがあった。

 

中に入ってみると、係員が説明するわけでもなく、案内のビデオをかけるでもなく、自分たち

の仕事(?)をしていた、多分この調子だと、自分達は、何のためにいるのか何が仕事なの

か分かっていないし、自分達の世界に没頭している、これでは、働く人にとっても観光客に

とっても活気がでてこない。

 

ここより歩いて少しにぎやかな所に行こうとして、川の上流の塩釜に行く、ここは、昔来たこ

とがある、「七ツ岩吊り橋」のあたりより、賑やかなはずだと思っていた、行くと、橋の脇に

酒屋があり、道路を越えたところにスーパーがあり、「湯っ歩の里」という大きな足湯温泉も

あった、足湯温泉に入る前に何か食べるものでも買ってこようとして、先ほどのスーパーへ

行ったら、客も店員も誰もいない、ドアーには差し押さえの看板がでていた。

 

七ツ岩吊り橋

 

倒産したことを知った、そこで道路を渡り前の酒屋で買い物をした、全然競争相手のいない

場所でのスーパーの倒産は考えられなかった。戻り、「湯っ歩の里」という名の足湯に入場

料200円を払い入ったが、食べ物・飲み物の持ち込み禁止で全部ロツカーにしまわれてし

まつた。足湯をみるとたしかに今まで経験したことがないほど大きい、そして歩けば足の裏

もマツサージできる、非常にうまくでき、立派なものだ。

 

湯っ歩の里 外観

 

湯っ歩の里  内観

 

足湯に入り浸かっていると、外に白いものが落ちてきた、春の雪だ、30分程足を暖めて、

退場した、広い割にスペースがもったいない感じがした。ここから旧道を戻り宿泊先に向か

う。

 

 

帰る途中、旧道の面から見えなかったが、旧道を裏からみるとだいぶ破壊された家など

が見え痛々しい、旅館に近づくと今は営業していないが、玉屋という旅館が廃墟になってい

た、旅館の前には、パチンコ・郵便の看板などが残り、昔はかなりにぎわっていたのではな

いかと想像される。

 

破壊された家

 

玉屋旅館の前

 

宿泊先に戻りスーパーがなぜつぶれたのかと聞いたら、お客が地元のスーパーでなく西那

須野の大型スーハーに行ってしまったからだと、いいにくそうに説明をしてくれた。

 

―――――――――――3日目(不動の湯・天皇の間)―――――――――――――

3日目(最終日)は、新宿iの帰るバスが来るのには、時間があるので、前日の姉妹館から、

前とは逆に箒川に沿って下に降りていった、前回来たときは台風でみずかさが増えて、岩

の湯・不動の湯の露天風呂に渡る橋が施錠して行けなったが、今回は天気もよく解錠され

ていて橋が渡れた。

 

岩の湯

 

渡りきると岩の湯である、川の側にあるため衝立でかくされている、4〜5人くらい入れる。

更に川沿いを林の中を左に3分くらい歩くと不動の湯がみえる、ここは大きく15人くらい入

る事ができる、無人であるが入場料を200円払い、洋服を脱いで、「今日は」と挨拶をし

て、入ってはいっていった、浴槽内には、3人入っていたが一人金縁の眼鏡の男が入って

いて、胡散臭く、我関せずの顔をしていた。

 

不動の湯

 

会社では偉いのかもしれないが人間性欠けていて、会社を離れてもこんな顔しかできない

のか、いつかどこかで問題をおこしそうな気がした、ましてその男に話かける気もなかった。

浴槽の中の温泉は頭の方からすごい勢いで、出ていて、林の中に自然静けさがあり最高

に良い気分だ。

 

元の橋を渡り、旅館に戻る途中、「天皇の間記念公園」の案内板がでていたので、そこに寄

ることにした。以前来たときは入り口まできたが中を見ていない、入場料は200円である

が、65歳以上は割引で100円でした、喜んでよいのかわからない、展示品の良さはあまり

分からなかったが、建物は小さかったが、庭などの景観がすぐれ立派なものでした。

  <天皇の間>

     大正天皇の時代、塩原にもご用邸があったが、昭和21年に「失明者保護のため

     使用せよ」との貸しくだされ、現在の国立塩原視力障害センターと改称し、近代的

     な施設に改築された時、「天皇の間」のみ保存され、現在の場所に移築されたと

いう。

天皇の間記念公園

 

―――――――――――――お わ り に――――――――――――――――――

塩原にきて、会社で集団でくる、慰安旅行の時代ではないだろうが、お客が少なく、せいさ

いがない、周りの旅館をみると、やっていけないので経営者が変わった旅館も多い、新し

い経営者として大江戸温泉物語・伊藤園など目につく。

今回泊まった明賀屋本館は江戸幕府の天領、直轄の湯治場で300年も湯守りをして続い

ているそうだが、人口減少の時代に、維持する大変さがよくわかります。

向かい、客を確保しなければならないのだから、大変だ。                                                               ―――END――――

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