二回目の中国(広州)の旅・後編 2012.01.28 天笠 富夫
―――――――――――――3日目(広州市内)―――――――――――――――――― 中国の王様の墓に案内してくれると言われ、あんまり宣伝もされていないので期待し なかったが行ってみた、場所は、前回行った中山記念堂の近くにあった。この墓の場所 は1983年17メートルの高さの山を削っていたら、中から石室が出てきた。 ちょうど今の写真にある博物館のピラミッド状の建物の下から石室が出てきた、調べて みると2200年前の前漢時代の南越国の第二代国王・趙昧の墓であった。石室は二重 の扉で封鎖され、王の墓・后の墓他従者15名が一緒に埋葬されていた、およそ104 34点の宝物と埋葬されていた。その埋葬物を整理して展示したのが西漢南越王博物館 である。
見所は石室と、「糸纏玉衣」である、石室は、今は地表に出ているが、地中20メートル の深さにあって、500個以上の赤砂岩を積み上げて造られたものだ、墓は7室あり、 前方に3室後方に4室に分けられており、墓主の趙昧の遺体は後方中央の墓室に埋葬 されているが、棺はすでに腐敗していたという。
石室で発見された、王の遺骸を覆った衣で「糸纏玉衣」と言われてものがある、その衣 は復元してあった、229枚の翡翠(ヒスイ)の薄板を赤いシルク糸で結び、王の遺骸 を覆ったものだ、これは、エジプトの王の遺体を保存していた、ツタンカーメンに匹敵 するように思えた。
またその時発見された埋葬品も展示されていた、その中に文帝行璽(金印)もあった。 紀元前にこんなものを造っていた中国歴史は奥が深い。知識が乏しいので興味はあるが、 これ以上理解できない。調べながら何度か通えば、もう少し説明できるかもしれない残 念だ。
この博物館の入口の脇に大砲が6門並んでいた、どうも中国(清)が、アヘン戦争の 時代イギリスとフランスに攻められた時の名残のようだ。
その後、前回同様に息子夫婦の家に行きバーベキユをした、そこで気がついたのは、物 の廃棄物、ビン・ビニール・可燃性ゴミ等の分別をしていない、袋に入れそのまま出す みたいだ、それは分別をする人が別にいるためしないとの事でした。
その後前回行った足裏マッサージに行ったが値段が上がったせいか他に客がきていな かった。
――――――――――――――4日目(広州・おわりに)――――――――――――― 午後3時からの飛行機で帰るため、外出は辞めホテルのまわりで午前中は散歩していた、 周りを見渡すと、新年早々相変わらず忙しそうに、公園を造ったりビルを造ったりする 工事をしていた、(中国は旧正月)
中国の公園は、石とかコンクリートとか岩が多く広いが樹木が少ないように思えた、そ れで何か落ち着かないので考えてみると、鳥もいない犬をつれて散歩している人もいない、 多分人間だけ生き、共生という概念がないのかも知れない。
ホテルから5分ぐらい歩いたところにユウキショウテンという店があり、日本のデパ ートクラスの立派な建物があったが、いつも店員は沢山いるが、お客はいつ行っても あまりいなかった。
前回も見たが、これでよくやっているなと感心したが、どうも共産党で経営しているみ たいで、市場経済とあまり関係ないみたいでした。
空港での出国審査、引っかかって相変わらず別室に呼ばれる人はいましたが、前回来た 時より審査官にトゲトゲしさがなくなっているのが救いでした。
最後に、今回の旅で、一番面白かったのは西漢南越王博物館です、また来られたらもう 一度いってみたい。広州の印象として、少しずつ、資本主義の影響を受け、対応も変 わってきました、国民も変わってきました、だが、国内だけでなく外国の影響も無視で きないため、今まで通りに、今後も進めるどうかは難しいように思いました。 ―――END―――― |