北海道(北端)の旅   2010.12.12  天笠 富夫

 

―――――――――――――――は じ め に―――――――――――――――――

今回の旅は、日本の北端の北海道を目指す、メンバーは友人3人の紋別から稚内の旅で

す、特に見たい所はないが、何か新しい発見があるのではないかと期待していた。(但し

稚内は以前に一度行った事がある)

 

天気予報によると現地の天候は下り坂で、強い低気圧が近づき、風雨共に強よくなるとの

事でした、どちらかと言うと暴風雨気味らしいが、雨が雪になれば動けるのではないかと

勝手な解釈をして出発した。

 

―――――――――――――――1日目 紋 別―――――――――――――――――

羽田空港から午前11:20発の全日空便で紋別空港に向かう、紋別は流氷で有名なオホ

ーツク海に面して稚内と網走の間にある、紋別空港は東京(羽田)行きの往復便しかない、

一日一便しか発着のないローカル空港である。到着すると、まず迎のバスで市内見学であ

る、市内見学と言っても空港からバスで15分、オホーツクとつかりセンターに行く、(と

つかりとはアイヌ語でアザラシの事)

 

ここはあざらしが飼育されていて、これはという芸をやるわけでもないが、観光客が来る

とエサを目当てに、水槽から7頭ほど出てきて人に近づいてくる、人なつこいせいか、腹

をさわっても、平気である、さわると脂肪でコチコチダだから冬の冷たい海の中で生息

ができるのではないかとよく分かる。

 

<ガリンコ号の説明>

初代ガリンコ号は三井造船鰍ェ北極海の大陸棚や未踏の湿原・アラスカ油田

等を開発する時、人員・資材を輸送するために造られた実験船で昭和60年

実験が終了後借り受け観光用流氷砕氷船として改造し昭和62年世界初の

流氷砕氷船「ガリンコ号」と命名し就航した(当初定員32名途中で70

 

名に改造した)、平成7年には更に船を大きな船を建造し「ガリンコ号U」

として就航した。(定員128名)

 

 

 

次の見学先は海岸に面して停泊している流氷砕氷船「ガリンコ号U」だ、以前網走で砕氷

船に乗り流氷の海で乗った事がある、ここの船は小さいが、冬季の流氷が来ない時期には、

観光船として観光用及び釣り船等に使われている、ここから電気自動車で4分ぐらいか

けてオホーツクタワーへ行く、オホーツクタワーでは海の生物が展示されていた、流氷

 

の時期になると建物の上から流氷がみられるそうです、今は流氷が来ていないが3階は

喫茶店になっていて海を見ながらコーヒーを飲んでいると、広々として気持ちがよい。

だが、こんな調子で見学していると、感激もなしにただ見ているだけで、飽きるではな

いかと思っていたが、隣の建物の流氷科学センターに入ると、考え方が一変してしまった。

 

中に入ると大きなドーム型のスクリーンのアストロビジョンに案内してくれた、映像は

流氷・川のせせらぎ・木立・滝・紋別市内が天井一杯にすごい迫力で写し出されてい

る、この映像見た後、流氷のできる原因の説明があり、それによるとロシアのアムール

川から流れる水が2月から3月にかけて淡水のため氷る、そしてそれが北海道の方に

流れてきて流氷になるのだが最近は温暖化により、段々量もへり、時期も遅くなって

いるとの事でした。

 

流氷に関しては網走の方が有名であるが、ガリンコ号の説明にあるように、紋別のほう

が先に対応していたように思われる。更に奥に進むとオホーツク流氷水族館がある、

 

ここは氷点下−20度一年中流氷が見られる、中に入るには防寒着と帽子を貸してもらい

中に入る、流氷もあるが、魚・海藻が厚い氷で氷らせられて氷の中が見え水族館のように

展示され、これはすばらしかったが、寒いのであまり長くはいられず出できた、すると係

員がすぐに暑いお茶をだしてくれたのには感激した。紋別で見たところは距離にして1

kmぐらいしかないが、流氷をテーマよく展示物がまとまっており初日の宿泊先は紋別

プリンスホテルに行った。

 

――――――――2日目 紋別〜稚内(クツチャロ湖・猿払・宗谷岬)―――――――

2日目は紋別から稚内の移動です、距離にして200km、朝から風が強く小雨が降っ

ていたが出発をした、道路は右にオホーツクの海岸線、左に原野、ところどころに牛が

放牧されている、野生の鹿も見られる、120km走るとクツチャロ湖だ、湖の周囲は

27kmで大沼・小沼に分かれており国指定鳥獣保護区(ラムサール条約登録湿地)に

なっている。湖畔には水鳥観察館か造られ、そこにはシベリアから飛来している白鳥が

たむろしていた。

 

 

 

クツチャロ湖から更に30km先の猿払に行く、ここは天然ホタテのとれる場所で青森は

じめ全国にホタテの稚魚?を供給している、またこの場所は、五味川純平作・映画「人間

の条件」のロケ地で中国の満州荒野に似ているそうだ、非常に興味はあったが、風が強く、

雨が降っており傘をさしても折れてしまいそうであるので散策はやめた。

 

猿払から更に北上し日本の最北端の宗谷岬に向かう、天気は相変わらず風が強く、小雨

がふっている、展望もそんなに開けていない、天気の良い日に見えるサハリン(旧称 

樺太)も全然見られなかった。宗谷岬に着き駆け足で岬の周りまわる、岬のモニュメント

・間宮林蔵の像などがあった。宗谷岬から稚内に入り2日目の宿泊先ホテルサハリンに

行った。

 

   <間宮林蔵の説明>

    千島列島・樺太の帰属がはっきりしない時代に、検地を行った、まず、

蝦夷地を測量していたが、1808年幕府の命令で樺太を探索した

ところ、樺太が大陸と離れた島であることを確認し、後日この大陸と

    樺太の最狭部を間宮海峡と命名されほどの探検家。

 

――――――――――3日目 稚内(市内・抜海・ノサップ岬)――――――――――

ホテルからの出発時間に少し時間があり、雨が少しやんだようなので、稚内市内を散策

した、まず稚内港北防波堤である昔サハリンとつなぐ港があった 高波と強風から守る

ため古代ローマの建築を思わせるような立派建物がある、ここまで立派にする必要はわ

からない。ここより3分ほど歩くとJRの最北端駅「稚内駅」は今新駅に改装中、昔の

さいはての駅の感じが壊される、これも時代の流れかもしれない。

 

 

ホテルに戻り、本日の目的地の一つ抜海に向かう、宗谷岬のあるオホーツク海側と違い

、日本海岸側にあり、天気がよければ利尻島・礼文島がよく見えるはずだが全然見え

ない。ともかく稚内から40分くらいで着いた、前面は海、右に防波堤、前に掘っ立て

小屋がある、後は小高い山、風が強く台風が来た時みたいに防波堤を越えて波しぶきが

くる、海を見るとところどころに浮いて動いているものがある、アザラシである。

 

風が強く小雨も降っているので、掘っ立て小屋の中に入る、中はストーブがあるせいか温

かい、ここではビデオカメラで写したりしてアザラシの監視をしている、こんなに荒れて

る時は、2〜3頭ぐらいしかいない時があるのに、今日は130頭もいると話しをして

いた。紋別は人工飼育のアザラシ・抜海では天然のアザラシ対比が面白い。

 

抜海からノサップ岬にいく、岬には灯台もあるが、稚内青少年科学館にはプラネタリュ

ウムはじめ南極の資料がある、ここでプラネタリュウムを見たが暗くなって眠くなりほ

とんど寝ていたため内容は覚えていない、南極は現在の外側から見た基地が写しだされ

ていたが、現地は夜なので活動している人はいなかった、南極の説明のなかで、一つ

だけ気になることがあった、南極の氷りの厚さは深い所で4千メートル、平均で2千

メートル全部とけると、海面が5メートルほど高くなるという自然破壊は本当に恐い。

 

ノサップ岬から稚内に戻り副港市場に行き、(みやげ物屋・食事所・温泉・稚内の歴史資

料館などがある)稚内空港経由で羽田に帰った。

 

―――――――――――――お わ り に――――――――――――――――

雨のせいか先週まで積もっていた平野部の雪が消えてしまったのは残念だが、北海道

は何度来ても期待を裏切らない、大きな平野・真っ直ぐな道路気持ちを大きくしてくれ

る。

 

また今回の旅で、行くところ観光化に力を入れ、地元の見せ場を整理し一生懸命アッピ

ールしている努力が良く分かり頼もしさを感じた。また作文には書いていないが、稚

内は国境の街だ、ロシアとの歴史・市民の接し方などふれてはいないが、後日まとめ

てみたい。

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