房総の旅(九十九里海岸)  2010.03.15  天笠 富夫

――――――――――――――は じ め に――――――――――――――――――
 今回の旅は、あまり観光化されていない房総の銚子と館山の中間、太平洋側に面した砂
浜九十九里海岸(白子)に泊まり、行きに日蓮宗の寺で東の身延山と言われている藻原寺
(そうげんじ)と帰りには、小江戸と言われている大多喜町の城下町を見て回る旅の企画
をした、千葉は歴史上有名な人は、日蓮上人が生まれた以外あまり聞いたことがない、
房総は目立たない場所ですが、まだまだ見所もある。

―――――――――――1日目(藻原寺・茂原公園・ホテル)―――――――――――
 今年は天候の変化が激しい、前日は3月だというのに気温が21度にもなり、今日は朝
から雨だ、天気予報によると、気温が6度に下がるそうだ、山沿いではところどころに雪
のマークが入っている、ともかく雨の中、捨てても良いようにビニール傘をさして旅に出
発した。

集合場所は新宿駅だ、いつもの旅仲間男4人が揃い、新宿駅から中央線で東京駅に移動し
・東京駅より外房線の快速電車の上総一ノ宮駅行きに乗り込み、外房の宿泊先のある茂原
駅で降りた、本来ならば駅から茂原公園まで歩く予定であったがあいにくの雨、とりあえ
ず昼食をしながら考える事にした、昼食後交番で茂原公園の近くに行くバスを教わり、バ
スに乗車すると乗客は私達だけで、更に詳しく降りる場所を聞くと、バスの運転手は藻原
寺(そうげんじ)で降りると良いと教えてくれた。

藻原寺で降り、山門をくぐると別院みたいな寺が両脇にあり、更に先に白い塔(多宝塔と
言い高さ25メートル)と、その奥に本堂が見える、しばらく行くと周りは墓だらけ、し
かもそれぞれ大きく立派で本堂の前面に広がっている、通常の墓は本堂の裏にあるという
固定観念を覆(くつがえ)された、また本堂の裏には仏殿・書院があり朱塗りの橋で結ば
れて京都の神社みたいである。

<多宝塔の説明>
釈迦が法華経の説法をしているとき、現れた塔の事で、法華経に記載されている、また
多宝塔は全国各地の寺にも建てられているので興味のある方は調べてみて下さい。


藻原寺の脇の坂道を登っていくと茂原公園である、池があり早咲きの桜が少し咲いてい
たが、周りには桜の木が沢山あり、本格的な花見の頃はさぞかし見事だろうと思われ
る。公園の奥には美術館があり無料開放されていた、絵は迫力があり非常に良かった
(但し作者は不明 地元の人)、雨が降り続いていたのでバスで茂原駅まで戻り、宿泊
先の九十九里海岸(白子)まで別の路線バスで移動した。

バスを降りると、沢山のテニスコートがあり、多数のテニスクラブの団体を呼んで商
売しているのがわかる、宿泊先として民宿が多いのではないかと想定していたが6〜
8階建てのホテルが多い、今夜泊まるホテルは一応温泉つきで、ヨウ素と食塩水の温
泉だ、風呂に入っている時は感じないが、風呂から出てしばらくすると温泉だとわか
る。天気のほうは、雨がやみテニスを始める人もいたが、風が強いためホテルから外
へ出ず囲碁を始めた。

―――――――――――2日目(九十九里海岸・大多喜)――――――――――――
朝から少し曇りがちである、ホテルのチエックアウト後、海岸に行く、ここはずっと砂
浜だ、右を見ても左をみてもずっと砂浜で、後ろを見ると砂丘になっており、砂浜には
太平洋側から荒い波が押し寄せていて白い波が見える、景色が大きく気持ちも大きくな
る。

バスの時間に余裕があるので、バス道路に沿って歩いていく、ところどころに早咲きの
桜が咲き、各家は大きく立派な瓦の家が多いい、途中でKさんが財布を拾う、中をち
らっと見ると自動車の免許証とお金が入っていた、地図を見ると近くに交番はないが
消防署があるので預かってもらうように依頼したが断られたが、旅行者なのでもっと
柔軟な対応をしてほしかった、拾得物はバスに乗り茂原に到着後交番に届けた、落と
し主は早稲田の学生らしい、Kさんは良く旅先で落とし物を拾う、以前小笠原に行っ
た時は携帯電話を拾った、落とし物を無視できない性格なのかもしれない。


茂原駅より外房線で大原駅に行く、大原から「みすみ線」に乗り換え大多喜まで切符を
買おうとしたが、切符の販売場所がない、地元の人に聞くと車内で販売との事でした、
車内で切符購入後、列車は一両編成でまっすぐな線路を走りはじめた、景色は里山の
中を走るようで非常に気持ちが良い、しばらくすると、菜の花が線路の両脇に咲いて
いるが、まだ三分咲きぐらいしか咲いていない、30分ほど走ると大多喜駅だ、

乗車中気になっていたのだが、運転手と車掌が列車の先頭で会話しながら運転してい
る、これは怖いことだ、東京では考えられない事で、一応メールで状況を鉄道会社に
送って対応を依頼した。

大多喜は「徳川四天王」のひとり本多忠勝を初代とする、大多喜城かあり、町全体が小
江戸といわれ国指定重要文化財の「渡辺家住宅」をはじめとて、古い建物が点在し町並
みも残り非常に落ち着いたいい町であるが、訪れた日は月曜日のため展示場・店などが
休みで充分に見学できなかったが、



大喜多城の外側をみて(中は休館日)町並みをみた後、東京行きのバス停留所よりバス
に乗り内房(木更津)に出て「海ホタル」経由で、2時間で東京駅八重洲口に戻った、
本当に交通の便が良くなったものだ。

―――――――――――――――お わ り に――――――――――――――――
九十九里海岸は、東京から近い割に観光化されず、自然が残されている、風が強いせい
か防風林で囲まれた立派な屋根の家、訪れる人には無頓着で旅の楽しさの人との出会い
が楽しめない、自分達の生活の枠はしっかり守っていて、いすみ線での運転手の対応
・消防署での拾得物の対処にしても外来者には、あまり気を遣わず、閉鎖的な面があ
るため、観光地としては、ちょっと問題があるように思えた。
                                      ――――END――――

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