足利の旅 天笠 富夫 2009.5.6 |
―――――――――――――――は じ め に―――――――――――――――――― 今年の5月の連休はカレンダー通りで、5月2日~6日連続5日間の休みがあるが、仲間と遊びに行く計画はなかった、通勤途上の駅でなにげなく見た藤のポスターがありました、そうだ仲間を誘い日帰りで足利に藤の花を見に行こう決め、日程調整をしたところ連休最後の6日なら時間がとれるとの了解を得た、交通手段として鉄道でいくようにした。(バスで行くと高速代1、000円の影響を受け混みそうなため) ――――――――――――――――浅草から足利―――――――――――――――――― 朝7時30分新宿駅待ち合わせ、前日に特急券(直通電車)の往復を確保し曇りがちながら、浅草に行く、時間が少しあるので浅草寺を見る、まだ店はあまり開いていないので、人通りが少なく気持ちがよい。電車は東武浅草駅をスタートした、車中では席を真向かいで話せるように移動し童心に返り持ってきた駄菓子を食べながら(あんまりおいしくない)男のおしゃべりをしていた。 浅草から1時間30分足利に着いた、足利市は観光の目玉として「藤の花」に力を入れているのがよくわかる、駅を降りるとシャトルバスが待っていて、次々と「足利フラワーパーク」行きバスがでる、シャトルバスに乗ると乗客席が高い位置にあり、外がよく見える、連休最後の日のせいか車も人も少しすいていた。 ―――――――――――――――足利フラワーパーク―――――――――――――――― 「足利フラワーパーク」に着き入場料を払う、入場料は毎朝7時に決められる、(300円~1500円の範囲)これは花の見頃に合わせて決められている、このような決め方も面白い、当日は藤の見頃で最高の価格1500円で入場しました。 中に入るとあまり植物に強くないが藤・つつじ・しゃくなげの花が咲いていた、藤の花には、初めてみた黄色い「きばなふじ」があったがまだ満開ではなかった、紫の藤・白い藤は、まるで滝のように咲いている、また藤棚の下を通るトンネルもあり、藤だけでも見応えがあり充分楽しめた、退場する時出口で「足利フラワーパーク」の割引券を配っていて、「別の機会に再度来てください」との心くばりに感心した。
―――――――――――――足利学校・ほか市内見学―――――――――――――――― 帰りは足利行きのシャトルバスを途中下車し、「足利学校」に立ち寄る、「足利学校」は日本最古の総合大学で天文年間(1532~1554年)の頃には学徒3千人いたと言われ易学や儒教を中心に実践に役立つ学問を教えていたそうですが、だれか有名な人でも輩出したのですかと聞くと答えはなかった。 足利学校 バンナ寺 「足利学校」の隣にあるバンナ寺(漢字で表現不可)足利氏2代目義兼建て、3代目義氏が整備した、寺を見ると土累と堀で囲まれている立派な寺であるが、掲示物が少なく観光用としてはわかりづらかった。 <参考>清和源氏の略系図 源義家――――義親・・・・・・・・・・・・・・・・ 源頼朝 →鎌倉幕府 義国-義重(初代)・・新田姓・・・・・新田義貞 →徳川幕府 義康(初代)・・足利姓・・・・・足利尊氏 →足利幕府 義親・義国は義家の子供で兄弟 義重・義康は義国の子供で兄弟 (徳川は新田の流れといわれている、調べてみてください) まだ帰りの電車までに時間があったので街のなかを歩くと、まちなか遊学館とか織り姫神社などがあり、街全体が織物の街であったように思われる、天気はくずれ始め雨になり雨の中を足利駅まで戻った。 ―――――――――――――――お わ り に――――――――――――――――――
今回の目的地「足利フラワーパーク」は藤でこんな大きい木のものは見たことがなかった、老木で手入れも大変だろうと思われる。「足利フラワーパークの藤」を知ったのは、NHKのプロフェショナル(2007年放送)である、ここの園長は女性で塚本となみさん(現在54歳)で40歳から夫の手伝い(夫 造園会社 経営)、43歳で女性初の樹木医になり家事と仕事を両立させながら足利フラワーパークの園長をやり、ふじの木の老木290本の面倒をみている。本人のモットーは「樹木は声を出せないが発信しているから、気づいてやる必要がある。」ということだ、確かにふじに特化した植物園は、すばらしいし、入場料の設定・帰りの リピーター目当ての割引券配布など本音が聞こえてくるようでユニークで面白い、女性の感性のすばらしさだ、1500円の入場料以上の感激を得られた。 足利の町全体を見ると、足利氏発生の足利市には、なぜか足利ゆかりの銅像がないのが気になった、気をつけて見ていたが何もなかった、歴史上の建物としては「足利学校」バンナ寺(漢字で表現不可)ぐらいしか目につかない、また足利一族を中心とした町おこしも行われていないみたいだ、これは足利尊氏が戦前の教育では逆賊扱いにされていた影響かもしれない、ともかく町は静かに感じた。 ――――END――――― |