坂東三十三観音霊場巡り 

――――――――――――――――――はじめに――――――――――――――――――

四国の巡礼を希望していたYさんが一人で、坂東三十三観音霊場巡りを申し込んでいた、

内容は別にして、一人でツアーに参加しても面白く無いだろうと思い私の予定を調整し同

行するようにした、集合先は、新宿でなく八王子です。

 

<補足説明>「坂東三十三観音霊場巡り」について

坂東霊場巡りの始まりは、鎌倉幕府成立を契機とされている、源頼朝が発願し、三

代将軍源実朝により札所が制定され、その範囲は1都6県(千葉・神奈川・埼玉・

山梨・栃木・群馬)にまたがっている、

 

「坂東三十三観音霊場巡り」のツアーは全10回の日帰りで毎回3〜4寺まわる、

今回は初回の旅で1番の札所の杉本寺からスタートし、神奈川県周辺の長谷寺・光

明寺・勝福寺とまわるコースだ。

 

――――――――――――――――出 発―――――――――――――――――――――

自宅から徒歩を含めてゆっくりみて八王子まで1時間15分と見積もり、集合時間1時間

30分前に家を出る、駅に出ると上りは8分間隔で来るが、八王子方面の下りは20分間

隔でしか来ず、しかも5分遅れで電車がきて、どうにか集合時間7時の2分前にやっと間

に合うことができた。

 

バスは八王子を7時スタートし立川からの客を拾い全員集まった、乗客の人数34名男女

構成として3:7ぐらいで女性の方が多い、年齢をみると35〜70歳ぐらい平均55歳

くらいである、同行者として添乗員男女2名と、先達(坊主・関西弁・補足説明1参照)

が1名ついてきた。

 

<補足説明1 先達 センダツ>

先達とは、他の人より先に、その分野に進み、業績・経験をつんで人を導くと言う

が、今回では、巡礼する人に同行して、読経の仕方や作法などを指導してくれる人

の事。

 

バスは鎌倉にある杉本寺を目指して動き出した、案内によると道路が混んでいるため、杉

本寺以降は順番を入れ替えるとのことでした。バスが落ち着いて動き出すと巡礼のための

準備が始まる、まず経本と納め札(補足説明2参照)の配布がされた(初回コースのみ無

料)、先達が好い声で御経をあげる。

 

  <補足説明2 納め札>

   お寺に奉納するお札で、自分の住所・氏名等を記入し、昔はお寺の壁・天井など

   に貼っていたが、今は記入し貼らないで奉納箱に納め、お寺で供養するそうです。

 

乗客は経本を見ながら、一緒に御経をあげる練習をし始めた、まるで法事のようである、

練習が終わると掛け軸・道中着・納経帳等の巡礼用品の販売である、添乗員2名が注文を

とり、お金の回収をしていた、(全コース中で、巡礼用品の販売は、杉本寺だけしか扱って

いない)

 

ほとんどの人が何らかの巡礼用品を申し込んでいた、そのほか朱印帳など買う人朱印帳に

記入を依頼するが多かった。(だが私共は何も申し込まなかった)

 

―――――――――――――――杉本寺――――――――――――――――――――――

バスは立川から鎌倉に向かい、杉本寺の近くの駐車場で停まった、歩いて杉本寺に行くが、

先達が道に迷い渡らなくてもよい道路を渡り、報国寺という寺に沿ってどんどん歩いて行

く、周りの景色は良い、報国寺は竹とか林でうっそうとしている姿・旧華頂宮邸の洋風建

築など外から見ても見応えがある。

 

先達は道を間違えたのが分かり駐車場に戻り再び杉本寺に向かう、入り口は階段になって

おり、両脇には十一面杉本観音の旗が飾られ、藁葺きの両脇仁王像の山門をくぐり進むと、

現在使用禁止になっている緑の苔むした階段がある、それに沿った左手の階段を上がって

いくと本堂である。

 

   

 

本堂も茅葺きで建てられていても非常に味わいがある、本堂には靴を脱いであがり見ると、

暗がりに大きな木造の十一面観音が見えどっしりしている、表情は暗いせいかよくわから

ない、納め札の一枚を納め、座って先達の指示に従い御経を読む、寺まわりの巡礼の開始

だ。

 

<杉本寺について>

杉本寺は鎌倉最古の天台宗の寺で、734年に光明皇后の御願により行基が建立し

十一面観音を安置したのが始まり、源頼朝が再興をした、本尊は三体の十一面観音

である、坂東三十三観音霊場巡りの最初の札所で、寺には巡礼用品が売られている。

 

―――――――――――――――勝福寺・光明寺――――――――――――――――――

バスは鎌倉から小田原を経由し、曽我梅林の近くにある勝福寺に向かう、勝福寺は真言宗

で「坂東三十三観音霊場巡り」の5番目の札所で本尊は十一面観音であり、なかには八幡

神社もあり神仏混合で奉られている。境内には、30メートル高さのイチョウの木があり

見応えがある。(樹齢700年)

                                勝福寺

               

                               光明寺

                    

 

次ぎに平塚にある7番目の札所の光明寺に向かう この寺も真言宗の寺で金目川の堤に面

している、ご本尊は観世音菩薩である。不謹慎にも、どの寺も同じように見え、寺巡りも

少し飽きてきて鶴川温泉の看板が気になりはじめてきた。

 

―――――――――――――――――長谷寺――――――――――――――――――――

バスは平塚から一時間ぐらいで厚木の長谷寺に着く、長谷寺と聞いて最初は鎌倉にあるも

のかと思っていたが、丹沢の白山の中腹にある飯山観音の事だとわかった。この場所は来

たことがないが桜の名所としてパンフレットで見たことがある、桜の時期はさぞかし良い

だろう。

 

バスを降りると200段以上の階段だ、両脇が桜並木になっている、年配者がいるにもか

かわらず、このツアーの参加者の足の丈夫なこと、全員何の苦もなく階段を登っている。

 

  

 

階段を登りきると本堂だ、本堂には前面には灯籠が並べられ壮観である。長谷寺の開基は

行基で本尊十一面観音、高野山真言宗の寺である、御経を読むために本堂に入ったが本尊

は見ることができなかった。長谷寺を拝観後八王子に戻り寺巡りは終了する。

 

 

 

 

――――――――――――――――――終わりに――――――――――――――――――

巡礼の旅といえば、以前テレビで放送していた「五木寛之の100寺巡礼」を時々見たり

して、寺巡りには興味があった、今回「坂東三十三観音霊場巡り」に参加し寺についても

何も調べておらず、この旅に対しての期待、観音様に対して願い事も持っておらず他の参

加者と温度差があるのかもしれない。

 

寺巡りは、バスから直接目的の寺にいくため、寺のまわりの状況がわからず、自宅に帰っ

て巡ってきた寺を思い出すと、杉本寺と長谷寺は思い出せるが、勝福寺・光明寺は思い

出せなかった。まして、以前計画していたバスでの四国巡礼の旅に行っていたら、寺巡り

だけでは、多分飽きてしまいそうだ。

 

歩いていても先達が、最初から一番の札所の杉本寺の場所を間違えるにはがつかりした、

仏様とか、御経には、強いかもしれないが、寺とか人の歴史的背景を含めた説明にも物足

りなさを感じた。(要求するのが無理かもしれない)

 

でも他の乗客は、添乗員は次回の「坂東三十三観音霊場巡り」の勧誘に、7割ぐらいの人

が申し込んでいるように思われ非常に好評であった。わたしは、全部の寺を巡る根気はな

いので、最後の10回目のツアー(来年7月)だけは行ってみよう思っている。

 

話は変わりますが、友人の吉田さんから、作文を渡されました、内容は吉田さんの心情が

よく表現され、非常に良い文なので追記で紹介しますので、是非読んで下さい。

                               

                         ―――――おわり――――――

 

―――――――――――――――――追 記――――――――――――――――――――

「ガンになったのよ」   吉田 頼平   2008.10.19

 

 定年から10年間、毎日が日曜日で、ルンルン気分で過ごした。年に一度の健康診断

では別に異常はなし、今年は前立腺ガン検査が無料なので、ついでに受診したのが良か

ったのか、悪かったのか定かではないが、ガンが判明したため人生最大のピンチである。

 

いろいろ精密検査のたびどんどん落ち込んでいくのがわかった、ああ人生が終わったと

思った、又いろいろ検査をするが結果を待つ数日間は不安に怯える自分が精神的に弱い

ことを悟った。

 

前立腺ガンの検査判定はSPAの数値で簡単にわかる、基準値4以上の場合ガンの可能性

が大である、私は度外値の50で全身転移間違いなしと信じ、残りの人生を有意義に生き

る為にどうしょうかと悩んだ末、考えたのが四国巡礼の旅であった、本を読んだりし調べ

たが、1ケ月以上重いリックを背負い味気ない孤独に耐えるだけの根性はない事がわかっ

た。

 

友人に話すとバスで数回に分けて四国八十八カ所巡礼の旅のコースがあるが、これなら一

緒に行くと話が決まり申し込んだが、ツアーの人数が集まらず駄目になった。内心昼間は

寺に参拝し夜は酒と囲碁で楽しい旅行気分を夢みていた自分の甘さにガク然とした。

 

また、寝ても覚めても頭の中はガンで満たされているから始末が悪い、昔私が落ち込んで

頭の中が暗く雲の中をさまよっていたとき、亡き子現れ救われた時があったので、期待し

たが世の中そんなに甘くはなかった。

 

検査結果の対応として、転移がなく治療としての第一段階は薬を飲んでしばらく様子見て

半年後手術か放射線治療と決まった。この時から少しホットして死への恐怖感が薄らいだ。

 

 仕事も趣味のサークル活動も辞める、だから病院に行く以外は毎日予定がないから、友

よりの電話で会いたいが、会うのにはいつ都合が良いのかと言われると、前は予定表をみ

るから、少し待って下さいと言っていたが、今はいつでも良いと言えるので、嬉しいのか

悲しんでよいのかわからない。

 

こうなると日常生活も、午前中は新聞や読書で過ごして、午後は福祉センターの風呂に入

り、その足で囲碁クラブに行き勝ったり負けたり一日を過ごす。妻は只飽きずと呆れている。

 

時間があれば体育館で卓球をするが、昔は何時間も楽しんだが、今は30分もすると汗だ

くで疲れて、ガンであることを認識する。こんなのんびりの幸せがこれから何年過ごす

ことができるのだろうと思いながら寝るのである。

 

私は医学書を読んで前立腺の役目は膀胱に貯まった尿をコントロールしているのを知った、

人間は善人もいれば悪人もいるようにガンでも良性もあれば悪性がある、前立腺ガンは転

移も少なく進行も遅く、優しいガンである。

 

私は今後もガンと上手につきあわねばならない、友人にガンに効くと山田養蜂会社のプロ

ポリスを教えてくれた、医者に内緒で飲んでいるが効果は今のところ定かではない、私は

ガンになって6ケ月が過ぎた、最近の検査ではSPAの数値は50から0.3になり薬の

効果で順調でありとりあえず安心した。

 

                           ―――――END―――――

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