台湾(台北)旅行 07.10.03 ―――――――――――――――はじめに―――――――――――――――――――― 今回海外に行ったのは、一度も海外に行った事がないので、海外に連れていってくれ との要望に応えて企画した。予約前提として、台湾・3泊4日・成田午後便発の飛行便・ ホテルは男4人のため中級クラス(3星クラス)で良いと考えていた。
8月3日JR東日本で企画したツアー(飛行便JAL)に申込にいったが、2ケ月前なの に飛行便がとれないとの事、急遽HISに行き同じようなコースを選択した。 <注意> 文章上、台湾の地名・氏名など漢字変換できないものがあるためカタカナ で書かれているものがあります。
―――――――――――――――台湾への前提知識−―――――――――――――― ○歴史 年代がはっきりしないものが多い ・ マレー・ポリネシア語族が住んでいた(但し この部族は消滅) ・ 中国大陸より漢族が移住、明代末期(江戸時代) ・ オランダの東インド会社による植民地化 ・ 鄭氏政権による台湾の占有 ・ 清国(中国)への組み入れられる ・ 1895年日本下関条約で清国より割譲、日本の支配へ ・ 1945年日本ポツダム宣言受理し領有権放棄 中華民国の実効支配 ・ 1949年中国内戦で共産党に敗れた蒋介石が台湾に逃げ定住 国民党支配へ ・ 1988年李登輝が民主的選挙により本省人(1945年以前の住人)として 総統に就任 ・ 2000年陳水扁(民主党)が連戦(国民党)を破り当選 台湾独立派政権が誕生した ・現在 台湾独立派・中国本土推進派に分かれそれぞれ模索している。 ○人口と都市 ・ 総人口 2271万人 ・ 台北 262万人 (東京みたいな位置づけ) ・ 高雄 151万人 (大阪みたいな位置づけ) ・ 台中 101万人 (名古屋みたいな位置づけ) ・ 台南 75万人 (京都みたいな位置づけ) ○大きさ 36、000ku(九州と同じ大きさ) ○首都 機能上は台北、憲法上は南京 ○宗教 道教・仏教・キリスト教他
――――――――――――――成田から台湾(台北)−―――――――――――――― 出発する前に気になる事として、フィリッピンの近くで3日前に、台風15号が発生し、 台湾の方向に向かっていました。 成田発の出発便は遅く成田発午後8時10分です、午後11時20分台湾着、ホテル 着は日本時間午前1時15分、しかも観光は現地時間午前7時40分(日本時間午前8 時40分)に迎えに来るとの事なので、ともかくホテルに着いてばっかりであるが、 朝食まで6時間しかないため、さっさと寝た。 <注意> 以降、台湾にいる間は現地時間の表示にします、(日本より1時間早い)
―――――――――――――――観光第一日目――――――――――――――――― ○観光開始 一日目の観光は台北市内、定刻通りにバスがホテルに迎えにくる、観光の開始だ、 バスの車窓から外を見ると道路は片面4車線、朝からヘルメットをかぶりバイクに 乗り、道路の中央を走っている、また車が道一杯に走るが以外と渋滞はない。
道路の両側を見ると比較的高いビル(8階〜15階くらい)があるが、ビル自体はそれ ほどきれいではなく、空調機などがビルの壁に取り付けられている。この姿をみると、 いつか事故が起きるのではないかと心配である。
○保安宮・孔子廟・お茶セミナー・中正記念館 最初の観光場所保安宮に着く、保安宮は、「保生大帝」という医学の神様を祭ったも ので、健康・長寿を司る神様である、建物は派手だ、ちょうど日本の浅草寺みたい に庶民の気持ちをつかんでいる。 孔子廟は保安宮の隣にありた、保安宮と比較して地味で建物は落ち着いている、 学問の神様として皆の信仰を集めている
お茶の販売店につれていかれた、ウーロン茶の入れ方のセミナーを受けた、わかった 事は、お茶が台湾の人との健康のバランスに欠かせない事今更ながら認識された。
中正紀念館は蒋介石を記念した白と青の高さ70メートルの建物、2007年5月 に現在の政府の認識から台湾民主紀念館に改名されている、併設して両脇には国立 の劇場と音楽ホールがあるが、雨が強く降ってきたため落ち着いて中は見てはいない。
○ 故宮博物館 市内から少し離れたところにある、博物館は世界四大博物館(パリーのルーブル博物館・ ロンドンの大英博物館・ニューヨークのメトロポリタン博物館・台湾の故宮博物館)の 一つで、「故宮を見ずして偉大な中国文化を語ること」なかれと言われている。 故宮博物館は一度に展示できるものは1万点で、10万点以上の在庫があり、展示物 は満州事変の直後、2立方mの箱を約2万箱、中国大陸からの避難民輸送を後回しに して、蒋介石が台湾に運んで来た。
実際に見学をしてみると、展示物で印象に残ったのは「清 翠玉白菜」白菜にキリギリ スを彫刻したもの・「清 象牙透離提食堂」象牙で作られた弁当箱ぐらいで、骨董・絵画 ・陶磁器・仏像など歴史的価値及び美術的価値が勉強不足で全くわからなかった。
○忠烈祠 忠烈祠は故宮博物館の近くにあり、日本の靖国神社のように戦争で亡くなった方の霊 が祀られている、圧巻は衛兵の交代式だ、交代の衛兵と本殿に行き挨拶をして交代を する。交代の前の衛兵はヘルメットを被り人形みたいにまばたきもせず、台に乗り銃 (?)を持ち立っている。 後で聞いた話だと、夏の暑い最中でも(38℃ぐらい)だいたい5時間立っているそう です、年齢は23歳で定年になり給料は日本円で1〜2万円(勤務時間はわからない) で1年半ぐらいでやめて、それから企業などに就職するが、衛兵への応募者が多く大人 気だそうだ。
○ケン泰豊(デイタイフォン) 夕食に行列ができる 小籠包屋に行った。味はおいしいが、10名1テーブル、知らな い人とペアーになり食べる、これは一人4個、これは1個と、指示があり自分の食べる 個数を確認しながら食べるのには参りました。
○士林夜市 夕食後夜市へいく、屋台料理がせいぞろい、台湾食べ物が屋台提供される、そんなに汚 さはない、中は日本の夏祭りだ、台湾人の熱気を感じる、雨が降りはじめたのでタクシ ーでホテルに帰る。(タクシー代金日本の1/4ぐらい) ――――――――――――――――観光二日目――――――――――――――――――― 二日目は台北の郊外へ行く。 ○九フン(ジュウフェン) 昔、日本人が台湾を統治した時代には金鉱山があった、鉱山で体を壊し男は早死にした ため台湾で一番未亡人が多い場所と言われていいたが、今でも当時の街並みが残ってい て、またこの場所は宮崎駿のアニメ「千と千尋の神隠し」の舞台としてとりあげられている。 街並みは、坂と階段の町である、坂と階段を進むと両側に飲食店、みやげもの屋、食堂、 喫茶店などがつらなり江ノ島を大きくした町並に似ている。通常だと込んではいれな いと思われる、九フン茶房に入り本格的にお茶を飲む。
小さな急須に茶を入れ、まず暑いお湯を急須にそそぐ、1回目は別の長い筒の湯飲みに 移し残りを捨てる、長い筒の湯飲みに移したものは飲まないで香りを楽しむ、2回目以 降は小さな湯飲みに移し飲み、時間をおいて急須に熱湯を注ぎ5回まで飲めるそうだ。
○ 台北地下鉄MRT&新北投温泉街 北投温泉には、台北地下鉄(別称 MRT)で行く、切符は自動販売機で購入すると、 プラスチックの500円玉より少しい大きい青色のコインみたいのものが出てくる、 これに区間が記憶され改札口で切符を接触させると改札口が開き入場ができる。 MRTは台湾市内を網のように網羅している、しかも料金は安い、30分乗っても 日本円で120円だ、しかも乗っていてマナーが良い、若者は年配者(老人)に すぐ席を譲ってくれる、本当に日本人が失ったものが生きている、気持ちの良いもの である。
乗車した電車は新北投駅に着く、改札口では切符を回収する口にいれると改札口が 開き出られる。
新北投駅より徒歩で新北投温泉へ行く、源泉は温泉街の奥にある地獄谷にあり、硫黄 の源泉がわき出て池になっている、温泉街は静かで、何もケバケバシイ宣伝物もなく 非常に落ち着いていて気持ちが良い。温泉街の中ほどには北投温泉博物館があり、 1913年台北州庁は日本の静岡県の伊豆山温泉の方式で造ったので、大浴場とか 畳敷きの大広間があり旧日本の温泉場を思い出させる、だが現在展示はされている が使われていない。
またゆっくり温泉に入るには、親水公園露天温泉浴池があるが、裸になるのが恥じる習 慣があるので水着着用になる。
▽ 淡水&四川料理 新北投温泉よりMRTで淡水に向かう、淡水オランダの居留地となっていた時代の 建物があると言われていたが時間の関係で見ることができなかった。またこの地は 大きな川に面して台湾のヴェネツィアといわれているが、そんな雰囲気は感じなか った。ともかく屋台が並んでいて、シーフード料理が食べられるそんな雰囲気だ、 ここで一軒の屋台に入り、名前はわからないが豆腐の間に白滝を入れ、油で揚げたも のに味噌味をつけたものをたべたが本当においしかった。
お腹が一杯なのに、日本にいる時四川料理屋を予約していたため、MRTに乗り民 権西路駅に行き予約した四川料理屋に入り、やっと4人一テーブル席に座ることが でき、紹興酒をたのんで会食が始まったが、お腹一杯で半分ほどしか食べられなか った。
本当に歳ですね、昔のように暴飲暴食ができない、 帰り508mの台湾の高層ビル TAIPEI101に行こうとしたが、雨が強くなってきたため、ホテルに帰った。 ―――――――――――――――帰 国―――――――――――――――――――― 午前6時20分ホテルへ迎えの車がくる、台風15号は更に勢力を拡大し、台湾に向か っている、幸いな事に暴風圏にはまだ入っていないが、午後には入りそうな気配だ、 添乗員の話によると飛行機便の中止は空港に行かなければ、わからないと言う、
車は強い雨の中をモータボートのように、水をはじき飛ばしながら空港へ行った、 搭乗手続きをし、午前8時50分に離陸をして今回の旅は終わった。
―――――――――――――――おわりに――――――――――――――――――――― ○ 台湾について 台湾はいつのまにか、発展途上国を卒業して、他国の援助を必要としない普通の国に なっている、公共性・マナーの面では日本をしのいでいるではないかと思われる。 また世界一親日家である、台湾航空での飛行機での案内、中国語・英語・日本語が必
ず併記され、ホテル・売店・交通機関等日本語のわかる人がおり日本にいるみたいで ある。街を歩いても安全だし所々に日本のコンビニ・ハンバーガー屋などがあり日本 にいるようである。台湾で面白かったのは信号である、横断歩道でゆっくり間に合う
時はゆっくり歩く人の姿が青信号の下に表示されるし、急いで渡る必要があるときは 駆け足が表示される。 ▽生活 生活について添乗員に聞くと1日5食(朝・昼・3時・夕・夜)たべる、そして家で は料理をせず、朝からすべて外食だそうだ、それは夜遅くまで楽しみ、朝早くから共 稼ぎで働くせいである、ですから朝6時頃散歩すると太極拳で体操する人もいるし、
早朝から主婦が井戸端会議をしている姿がみられる。子供は1人が多い、それは教育が 大変との事、日本語の習得は国内で覚えた、英語が苦手な人は日本語を覚えるという、 但し日本語で難しいのは中国語にない敬語の使い方だそうです。
○旅の失敗 観光2日目に、4種類の荷物を扱っていて、メガネの入った袋をバスの中に置き忘れて きてしまった。ホテルに戻り電話番号を知っている最初の添乗員連絡をして捜してもら い、翌日の観光地九フンで受け取った、自分ながら困ったものだと思っています。
○旅行会社について 今回の旅行のパンフレットを見ると、ホテルは安い方(一つ星か二つ星)で表示をし、 申し込に来ると推薦できないのでホテルを変えさせ(四星クラス)差額をとる。飛行 便も往便 成田発13:45〜20:10 帰り便 台北発8:45〜16:30
と幅広くとり、安い時間帯にお客を案内し、客の気持ちを考えないやり方をとるので注 意を要します。今回の旅行は成田を最終便で発ち、台北を最初の便に発つように設定さ れたため、正味2日間しか観光ができなかったが、皮肉な事にラッキーであったの は、台北を一便で出られ台風の影響を受けなかった事です。 ――――END――― |