畑毛温泉Ⅱ(囲碁合宿)07.06.08

 

―――――――――――――――――はじめに――――――――――――――――――

場所が2月に行った所と同じなので、ホームページに書くつもりはなかったのですが、

最近行った畑毛温泉について書かれていないと言われ急遽まとめました、説明も前回と

重複する事が多いため、省略してあります、できましたら2月の畑毛温泉も併せて読ん

で下さい。

 

囲碁の合宿場所は畑毛温泉・魚屋である、選択した理由は料金が安く、チエックイン

の時間が早く午後1時であるのと、この旅館は元魚屋らしく、相模湾から新鮮な魚を

仕入れて、提供している事が気にいって選択をした。

 

――――――――――――1日目(調布から畑毛温泉)――――――――――――――

参加者は10名、待ち合わせ場所の調布へ9名集まり(1名は直行)、車はワゴン車と乗

用車の2台に分乗した、先頭車のワゴン車にはカーナビ以上に道を知っているSIさん、

後続はカーナビが頼りのSAさん30分遅れでともかく出発した。(私は後続の乗用車に

乗る)

 

天気はいまひとつはっきりしない。横浜青葉より東名高速に入り、沼津よりインターを降

りた、予定していた昼食場所(蕎麦屋)に向かう店は開いていたが遅い昼時のせいか駐車

場が一杯、駐車できれば、どこでも良いと言って先導車へ連絡しても、年配者が多いせ

いか駐車場が空いているか焼き肉屋はイヤみたいなので見送り三島大社を越えやっと昼食

場所の蕎麦屋を見つけた。

 

昼食は名物の「さくらえびののかきあげ」と蕎麦を食べた、東京で食べるよりエビの味

とテンプラの衣がサクサクしてとてもおいしい。昔は昼食にビールを飲む事もあった

が、最近は運転手に気兼ねをして酒類を飲む人がいなくなった。

 

昼食後畑毛温泉に向かう、30分ほどで畑毛温泉に着く、場所は畑毛で一番立派な旅館

大仙家に道路を隔てた前にあり少し古い旅館である、天気は曇り時々雨といった感じで

ある。

 

到着は予定より1時間遅れの午後2時であったが、直接こちらに来たIさんはすでに着

いて、部屋に案内されていた、後で聞いたところ函南駅より1時間ほどかけ人に聞きな

がら歩いてきたそうだ、本当に元気だ、これでやっと全員が揃った。

 

――――――――――――――1日目(旅館)――――――――――――――――――

部屋は3部屋確保されており、各自分散して部屋に入った、30分後に囲碁大会の開始

だ、旅館で気を利かしてくれたのか、部屋とは別に囲碁の会場として大広間を仕切って

会場を準備してくれたうえ隣の部屋に私達専用の食事場所を確保してくれた。

 

囲碁大会は合宿恒例の全員総当たり制の開始である、参加者が10名であるから一人9

回戦をこなさなければ終了しない。各自適当に相手を見つけて勝負していく、頃合い

みはからってビールを飲みリラツクスして囲碁をする。

 

ともかく真剣に勝負する、勝負で疲たり相手がみつからないと適当に風呂に入りに

いく、露天風呂はないが浴槽が6つあり、それぞれ温度差があり適当な浴槽に入り汗を

ながす、風呂から出てまた勝負だ。

 

午後6時からは夕食です、とりあえず勝負はお預けにし、隣の部屋に行って夕食をと

る、まずビールで乾杯、その後日本酒・焼酎など適当に飲み囲碁の勝負の中間結果とか

近況の話・早朝の散歩などの話などをしていた。おかずとして刺身・岩ガキ・貝・イカ

の煮物など魚貝類などが多い、

 

昔は特別に刺身の盛り合わせを頼んだ時もあったが、みんな歳のせいか、食べ切れな

いため特別に料理を頼むのは、やめた。食事が終わると、隣の碁盤のある部屋に移動

し勝負を再会する、一応本日の分は午後10時30分で終了だ。

 

――――――――――――――2日目(早朝散歩)――――――――――――――――

朝4時20分年寄りだから朝が早い、3名ほど起床して、韮山の反射炉のところまで、

歩いていくそうだ、天気は夕方の雨が止んで一応晴れているが安定感がなくまた雨が降

りそうであった。

 

私は前回写真が失敗している、大仙山にYさんと行こうとしたところ3人ほど同行者が

増え5人で大仙山に向かった。(結局旅館には2名が残った)。旅館を出ると民宿・旅館

     個人住宅などが、連なっているが、民宿・旅館の駐車場がガラガラであまりお客が

入っているようにはおもえなかった。

 

個人の住宅は一軒一軒大きく、きれいで洒落た家が多いのには驚いた、静かな誰も通ら

ない舗装された道を行くと以前来たことある吉田耕作の家があり、よく見ると敷地内

には、温泉掘削するためのやぐらが建てられていた、吉田耕作は温泉を掘り当て、これ

により裕福になったのではないかと勝手に解釈をしながら見ていた。

      

大仙山の登り口には左と右の道があり、以前来た時は右に行ったので、左の道より登る

入り口にお寺と間違えるような風格のある家があり内部に入って写真をとってきた。

(この家は普通の人の持ち物らしい)

 

道をどんどん進むと山道になる、ところどころにあじさいが咲いてきれいだが、道には

木の枝と野草の葉が遮って歩きづらい、道が手入れされていないみたいだ、そのうえ夜

半の雨で道をふさいでいる野草が濡れているため歩いているとズホンがビッショリ水に

濡れてしまう。

      

それに耐えられなくて途中で帰った者もいたが、ところどころにある展望台の景色はすば

らしく良い、途中で帰った者に見せてあげたいくらいだ、どんどん上がって行くと以前行

った事のある聖徳太子の夢殿に模した建物にでた。その下に鐘突堂があり力を込めて鐘を

各自が鳴らした。

 

更に上に行く道はあったが、元気がないため下り始めた、道は舗装されているため濡れる

事がない、こちらを登ってくれば途中で帰る者もいなかっただろうと思われる。道の途

中の分かれ道を上がると仏舎利塔だ、ここには吉田耕作の石碑も建っている。

 

何度見ても個人でこのようなものを築いた事には驚く。旅館への帰り道、大きな洋風の

建物の門の前で、掃除をしている65歳ぐらいのおばさんに「おはようございます」と

挨拶された、知らない人に挨拶をすると気持ちが通い合い本当に気持ちが良い。

 

よく見ると洋風の建物は、この地区で保存の対象になっているとの事、おばさんが言う

には「昔、吉野作造(大正デモクラシーの中心人物)などが、この地区に別荘を建て、

その時の雰囲気が残っているから指定された」との事でした。

 

―――――――――――――――2日目(旅館)――――――――――――――――――

午前6時30分頃旅館に帰った、韮山に行った者も7時30分頃戻ってきた、道を間違

え、12KMほど歩いたようだ。

 

午前8時から朝食だ、給仕する女性も変わったYさんによると若女将だ、(実際は違うが

若女将のような品格があるため若女将と呼ぶ事にした)

朝食後前日の囲碁の未消化分をこなし、優勝者がやっと決まったIさんだ。

 

その後若女将に全員の記念写真をとってもらう、天気は本降りとなり、朝の散策が嘘の

ようだ、午前10時旅館を出て一路東京に戻った。

 

―――――――――――――――――おわりに―――――――――――――――――――

今回の旅は、前回撮影に失敗した大仙山と、囲碁合宿の記念写真がとれれば良い、また

吉田耕作の話が聞けたらなお良いと思っていたくらいなので、あまり途中の写真はないが、

囲碁大会の他、朝の散歩・若女将・地元の人の出会い等があり面白かった。

 

今回の反省は、大仙山を下りてきた時気づいたのですが、入り口に早朝の鐘突は迷惑に

なりますのでやめて下さいと掲示があった、確かにお寺でもないのに午前6時前からの

鐘の音は問題ですネ!

 

吉田耕作に関しては、死後大仙家・大仙山等西武に売却され持ち主も2~3回変わった

との事、地元の人に聞いても、大仙山にあれだけの構築物を造った人にしてはあまり

話題にされない、何かあるのかも知れない? 興味のある方は調べてわかったら教え

て下さい。

                                ――おわり―――

戻る