春の黒部の旅                         掲載2006年5月14日

――――――――――――――――はじめに――――――――――――――――――――
今回の旅はトロッコ列車に乗りたいとの要望があり「トロッコ列車と黒部アルペーンルート」の
バスツアーを選択したが、私共の仲間もうまく集まらず男二人の旅になってしまった。

「トロッコ列車と黒部アルペーンルート」は個人で夏に行ったことがあるが、乗り換えが多く大変
であったのを覚えている,また移動距離も長く疲れるので2泊3日で申し込んだ。だがツアーの
開催人員20人まで集まらず急遽中止になり、1泊2日のコースに変更した(それでも参加者は
31名しか集まらなかった)。

それは、5月の連休前で集まりが悪いのか?・今年の大雪の後のため危険を感じて集まりが悪
かったかもしれないいが、参加してみるといろんなハプニングがあり、かなり印象に残る旅であった。

―――――――――――――――――参考――――――――――――――――――――
■予定コース
 ○一日目
  新宿7:45発 (バス・関越道)   宇奈月 (黒部鉄道・トロッコ列車・猫又駅で引き返し)
   宇奈月 (バス)    立山山麓のホテル
 ○二日目
  立山山麓のホテル  (バス)    立山駅  (ケーブル)    美女平  (高原バス)
  
  室堂(散策3時間・トローリーバス) 大観峰  (ロープウェイ)  黒部平  (ケーブル) 
  黒部湖      (徒歩)       黒部ダム (トローリーバス) 扇沢   (バス)
 
  新宿午後8:50帰着

■ トロッコ列車(黒部鉄道) 
大正15年日本電力が黒部川沿いの電源開発を目的として宇奈月〜猫又の区間を難工事の末
開通させ、その後を延長し昭和12年欅平(ケヤキダイラ)まで開通させた。それまでは建築用
資材や作業員の輸送専用であった。

だが登山客や一般観光客の乗車希望が多かったので「生命保証なしの便乗」という形で乗車
を認めていた。昭和28年に本格的に観光客を乗せるため鉄道法の免許を受け、そして昭和
46年に関西電力(日本電力から移管されている)から独立し黒部鉄道になった。

■黒部の電力開発ルートと観光ルート
トロッコ列車の開通により昭和2年に柳河原発電所・昭和11年黒部第二発電所・昭和15年
黒部第三発電所を完成させることができ、更に黒部第四発電所(通称 黒四)につながって
いった。

黒部第四発電所の主な開発ルートとして北アルプス赤沢岳にトンネルで結んだ「大町ルート」と
トロッコ軌道を中心とした欅平〜仙人谷〜黒部ダムの「黒部ルート」がある。(但し黒部ルート
は観光客に未開放)

立山〜美女平〜室堂は一部電力開発に利用されていたが、道路などを観光ルートとして整備
された。

――――――――――――――― 一日目(トロッコ列車)―――――――――――――――
バスは新宿より15分遅れで、若い添乗員(男性)を乗せ関越道を経由して富山県のトロッコ
列車の始発駅宇奈月に向かう、途中曇っていたが宇奈月に着く頃になると温度は5度C、
雹(ヒョウ)まじりの雨が降っていた。これから天井はあるが壁のないトロッコ列車で一時間半
も乗ると、寒さと雨の吹き込みで風邪でも引かないかと心配していた。

添乗員が切符の予約に行き、トロッコ列車の一部の車両に接続される密閉型のリラツクス車
両の空きの切符を押さえてきて、一人370円の追加料金で全員リラツクス車輌に乗る事がで
きた、他のツアー客を見ると雨具を着て普通車(トロッコ)に乗り込んでいた。

リラツクス車両は暖房も入り雨と寒さが気にならない、このトロッコ列車は本来ならば宇奈月と
欅平を走るのであるが、除雪作業が完了していないため欅平の中間地点の猫又駅で折り返し
運転だ。

途中の対向のトロッコ列車をすれ違いで見ると普通車に乗っている人は観光どころでなく雨と
寒さをしのぎ雨具をかぶって下を向いて、じっとちじこまっている姿が見える本当に気の毒だ、
本来ならば私共もこのような姿になっていたかも知れない。

トロッコ列車の景観は橋・発電所などがあるが美しいイメージとはほど遠く、山隅の断崖すれす
れに橋やトンネルを造っている、また降雪期にも継続的に作業ができるようにトロッコ列車に沿
って歩けるようにトンネルや歩道を造ったりしている。

このように自然と開発の争いを見せつけられ、今でも鉄道はじめ発電所で働いている人々の
自然に対する仕事の厳しさを感じさせられる、まして開発していた時はもっと大変だったと思わ
れる。

トロッコ列車は出発駅の宇奈月にもどり、そこからバスで今夜とまる立山山麓にあるホテルに
移動した。

――――――――――――――――――二日目――――――――――――――――――  
■立山〜美女平
今日は前日と違い、天気が非常に良く青空が見え非常に気持ちがよい、ホテルから富山側
の「黒部アルペーンルート」の入り口立山駅(ケーブル)に予定時間通り8時10分に到着したが
予約時間に乗車できなかった。

それは、昨日立山は天気が悪く「黒部アルペーンルート」が閉鎖されため、前日行けなかった
観光客を優先して乗車させたので、予定より1時間遅れでケーブルの到着駅美女平に着いた。
(午前10時)

美女平では室堂行きの高原バスが停まっていたが先約で一杯なため乗車できず、先発のバス
が戻ってくるのを待つことにした、 目安は1時間ぐらい午前11時頃だと添乗員より説明があ
った。

午前11時添乗員の説明だと、立山の室堂の状況は前日30メートルの風が吹き雪も4メートル
近く積もったため、バスが通れず、今除雪しているがまもなく先発のバスが戻ってくるとの事で
した。

だが12時10分頃に再度添乗員より説明があり4メートルの雪を除雪したところ、その雪がと
けて道路に落ちてきたため再び通行止めになっていたが、やっと2車線のうち1車線だけが
開通したとの事で、もうしばらくするとバスが戻ってくるとの事でした。この先なにが起きるか、
「今日中に帰宅できるのか」との不安が頭の中をよぎりましたが、午後1時30分やつと戻ってきた
バスに乗車できた。

■美女平〜室堂
高原バスに乗り、しばらく行くと「称名の滝」(落差350メートル国内最高の落差)が見えた、
遠くから見ても迫力があるのだから近くに行ったたらすごい迫力だろう。さらに進むと道路に
沿って雪の壁が見えてきた、この雪の壁を黄色い除雪車が壁際の雪を除雪し、また雪が落ち
そうな箇所を除雪車に設置されている鉄の棒で雪を固めたりしていた。

除雪するために費用も大変だ(1億3千万円)、雪の壁が途切れる時大日岳・奥大日岳・雄山
の裾野が真っ白な雪を被っているのが見える、この雪の壁がもっとも高いところが「雪の大谷」
といわれ、今年は雪が多く19メートル(昨年15メートル・平年6メートル)だと言われている。一

壁が高いところをバスで通過する時窓から上を見ると高いので首が痛くなるほどだ。

室堂に着く、室堂は立山登山の入り口だ、本来なら3時間の散策であるが、行程も4時間ほど
遅れているため、30分で切り上げられた。そのため一番見所の大谷の「雪の壁」の近くに行け
ず室堂駅の展望台から景色を見る。
          
見渡すかぎり白銀の世界だ、夏に観光客の人気のある「みくりが池」も雪をかぶり見えない。
立山雄山の山頂の方向を見ると、頂上からスキーですべつている人もいる、よっぽどスキーが
うまいのだろう。後で聞いた話だと今、雪景色が一番きれいとの事、それは昨日降った雪で
黄砂が消されて真っ白だからそうだ。
<参考>黄砂・・・・・・・中国の砂漠から季節風に乗ってくる黄色い砂の事

■室堂〜黒四ダム〜扇沢〜新宿
室堂からの帰りは、トローリーバスで雄山を突き抜けるトンネル通って大観峰へ、大観峰から
ロープウェイで空中の景観を楽しみながら黒部平へ、黒部平よりトンネルの中をケーブルで
黒部湖へ黒部湖より黒部ダムに徒歩で45分の散策が遅れを戻すため25分短縮された。

それでもゆっくり黒部湖の周りを見ることができた、黒部ダムは放水しておらず、黒部ダム直下
の黒部湖は凍っており雪がかぶっており、見上げると昔登った針ノ木岳は雪をかぶり真っ白で
した、夏とは違い観光客が少なく落ち着いて景色を眺めることができた。

黒部ダムからトローリーバスで北アルプス赤沢岳を貫通するトンネルを移動し午後4時50分
に扇沢にでる、扇沢では行きに乗っていたバスが立山から富山・長野経由で迂回し待っていた。

私達はすぐに乗ることができたが、運転手の話によると、扇沢で乗車待ちのバスが60台ほど
あり、最後の客が終着の場所に帰るのは翌日になるのではないかと話していたが、なんとか
40分遅れ(午後9時30分)で新宿に着き帰宅できた。   

――――――――――――――――おわりに――――――――――――――――――――
  この旅で印象的な事を2つ書いてみた。
■添乗員
今回のコースは立山駅(ケーブル)から扇沢(トローリバス)まで5回の乗り換えがあり、まして道
路閉鎖などのトラブルがありスケジュール遅れが発生すると添乗員がたいへんだ、乗り換えの
たびに、次の乗り物の予約にいく、遅れれば次の対策を練る、私達は団体で添乗員がいるか
ら余計な心配しなくて良いが、個人で旅行していたらとゾットする。

添乗員を見ると、若いが良く気がまわる、略歴を聞いたところ、今年札幌で観光会社に入社し
た新入社員で、5月の連休まで東京の方を手伝いにきたそうだ、だからこのコースは」は初め
てだし、添乗員として乗車したのは4回目だとの事、それを聞いて同乗者は「あなたはよく気が
回るし、落ち着いているので将来偉くなるよ」と言われていたが、

このような状況において、私だったら先が見えないからかなりイライラしそうです、この添乗員は
好きでこの世界に入ったかもしれないが、こんなに対応力のある人は、私の周りにもいない、
こんなすばらしい若者がいるのか、今後伸びていくのが楽しみだ、またこんな添乗員なら他の
仕事の営業でも十分やつていける、ともかく感心した。

■美女平で感じた事
2時間半ほどレストハウスでバス待ちになったが、前日乗れないで先に行ったツアーの人々は道
路が開通しないため3時間以上バスの中で待たされたそうだ、それに比べ美女平で待たされ
たのは、暖房にあたり、売店で好きな食べ物を買い気楽に過ごせた本当にラッキーであった。

人生「塞翁が馬」を実感した。(人生何が良いか悪いかわからない事)

     ――― おわり――――
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