散策会の報告(高田馬場から神田川)         小峰輝雄

                            平成20年9月27日

 

 私の事情で前回の散策から半年も過ぎてしまったが、新宿区に23区内で一番高い

山(箱根山)があると聞いたので、箱根山の周辺にある早稲田のキャンパスを中心に

高田馬場から神田川を散策することにした。

 今回はメンバーの一人が都合で参加できず、二人だけのちょっと寂しい散策になって

しまった。

 

箱根山(陸軍戸山学校跡)

 待ち合せ場所の高田馬場駅早稲田口を出て、線路沿いに新宿方面に歩くと緑豊かな

公園に入る。

 この戸山公園は23区で一番高い箱根山を中心にした箱根山地区と、明治通りを隔て

た広場・大久保地区に分かれていて、箱根山には昔「陸軍戸山学校」があった。

 公園を抜けて車がひた走る明治通りを越えて行くと、再び緑の森のへ。ここに構える

小高い丘が23区で一番高い、高さ44.6mの箱根山である。

 草木の生い茂る階段を登って山頂へ行くと、周りに見えるのは高いビルばかりで、

とても23区で一番高い山には思えなかった。

 この山は、徳川尾張家の下屋敷で東海道53次を模した庭園の一部であったが、明治

6年「兵士寮戸山出張所」が設立され、翌年「陸軍戸山学校」と改称され以来70年に

渡って軍事の研究教育が行われた場所である。

 都立公園内と言っても辺りはうす暗く、人通りも少なくて、近くで事件でもあった

らしく警察官がウロウロしており、物騒で薄気味悪かった。

 

穴八幡神社

 箱根山を下りて戸山公園を抜け、早稲田大学の戸山キャンパス沿いに行き、諏訪通り

を右に曲がると早稲田通りに出る。

 早稲田通りの角を曲がった坂の上に高田馬場の「流鏑馬」で知られる穴八幡神社が

あり、門の横に馬に乗り弓を引く勇壮な武士の銅像が迎えてくれた。

 流鏑馬(やぶさめ)とは綾藺笠(あやいがさ)をかぶり、弓懸(ゆが)け・弓籠手(ゆごて)

行縢(むかばき)を着けた狩り装束の射手が馬を走らせながら鏑矢(かぶらや)で木製方形

の三つの的を射るものである。

 神社前の階段を登って行くと朱色の大きな山門が目に入り、広々した境内には塵一つ

なく、本殿も社務所も近年に建設したらしく鉄筋コンクリート製で、たいそう立派で

あった。

高田馬場の流鏑馬は将軍徳川吉宗が世継の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡神社への奉納

が起源で、以来将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに奉納された。

 明治以降中断し昭和9年昭和天皇誕生の祝いに復活したが戦争で中断し、昭和39年

古式を保存するため復活し、現在は戸山公園に会場を移し毎年10月10日に公開され

ている。

 

三朝庵

 穴八幡神社の斜め前には老舗のそば屋で、日本で初めてカツ丼を出したと言われる

「三朝庵」があり、のれんは「おそば」となっているが、店先のメニューを見たら何

でも扱っているようである。



演劇博物館

 早稲田通りを曲がって大学の南通り商店街を行くと、学生街といった店が並んでいた

が、土曜日だったせいか閑散としていた。

 大隈講堂の前を抜け大学のキャンパスに入ると、大隈重信の銅像の前では多くの観光

客が記念写真を撮っていて、さすがに「私学の雄」だけのことはあると思った。

キャンパス内に「演劇博物館」があり、世界各地の演劇、映像など貴重な資料が展示

されていると聞いたので訪ねることにした。

 「演劇博物館」は、昭和3年10月、坪内逍遥博士の古希と「シェークスピア全集」

全40巻の完訳を記念して建てられた木造の3階建てのしゃれた洋風建築である。

 館内に「はシェークスピアの世界」や逍遥記念室、六世中村歌右衛門記念特別展示

コーナー等のほか、日本の演劇の歴史が各時代別に展示されていた。

 やはり、凡人には馴染み深い近代演劇(新派、新劇、新国劇、喜劇)や日本の古典

芸能である歌舞伎、文楽、能狂言のコーナーの展示が印象的で、興味深く見学した。

 

神田川 

 早稲田のキャンパスを抜けて都電荒川線「早稲田駅」横の新目白通りを渡ると「かぐ

や姫」の歌で有名な神田川が流れている。

両岸は高いセメントの堤防が作られ、少々味気なさを感じたが、川の中には鯉や水鳥

が悠々と泳いでいて、川岸の遊歩道には桜並木が植えられており、春には花見で賑わう

のであう。

 歌からは、もっと小さな「ドブ川」をイメージしていたので意外だった。

都電荒川線

 神田川沿いに遊歩道を「面影橋」まで歩き、面影橋駅からノスタルジックな都電に乗

りJR大塚駅に行くことにした。

 「面影橋」は昔、美貌ゆえにまわりの人に騒動を起こさせた姫が、入水する前に面影

を川面に移したことが名前の由来らしく、江戸時代には「姿見橋」と呼ばれ特に大きな

蛍の名所だったらしい。

 生まれて初めて乗る都電には、バスにも電車にも無い独特の雰囲気があり、運転手が

発車時に鳴らす鈴の音色に、昭和初期の懐かしい思いがした。


 路面電車と言っても乗ってみると専用軌道部分が多く、大塚駅までに道路を走る部分

はほとんど無かった。

 それが、交通渋滞の激しい東京で唯一つ路面電車として生き残れた理由なのであろう。

ノスタルジックに浸りながら大塚駅で都電を降りて散策を終了、付近の居酒屋で一杯。

                                    おわり