散策会の報告(鶴川から玉川学園) 小峰輝雄
平成19年7月1日
都心の散策が続いたので、たまには郊外もと思い、今回は郷土の史跡を訪ねて、小田
急線、鶴川付近の香山園・白洲邸の散策を計画した。
香山園(庭園&美術館)
新宿から小田急線の急行と各駅電車を乗り継いで約40分、鶴川駅を降りて車の往来
が激しい世田谷通りを渡ると、目の前の小高い丘に香山園がある。
香山園には美術館と日本庭園があり、大笠端香殿と呼ばれる木造書院造りの館には、
歴史的な美術品が多数収蔵され、収蔵品別に時期を分けて展示されている。
入館料が千円と高いので、庭石に乗り白塀越しに庭園を覗きながら入園を躊躇して
いると、館の中から受付の人が現れ、結局入館することになった。
今回は茶道具展が開かれ、歴史的な茶器が多数展示されていたが、我々凡人にはその
価値は分からなかった。
館内は薄暗く見学者も少なく、館の中央まで進むと昔の殿様風の老人が椅子に座って
いて、質問をすると得意げに展示品の説明をしてくれた。代々伝わるこの家(端香殿)
の館主ではないだろうか。
年齢は80歳位で、威風堂々としていて、長い間この館を守り続けてきた気丈さが
伺われる。
説明によると「この主屋瑞香殿は天文十三年建立(1544年)、元禄六年に建て替
え(1693年)、現在の建物は神蔵宗家第37代により明治三十九年に建立された」
と言われている。
庭園は池泉回遊式日本庭園(池、築山を中心にした回遊できる庭園)で滝、池、名石、
名木を配し、春は新緑、秋は紅葉と四季折々に楽しめそうです。また、NHKの大河
ドラマ「八代将軍吉宗」の撮影に使われたとのこと。カヤやケアキの大木が歴史の古さ
を物語っている。
このような立派な館や庭園があることはあまり知られていないので入館料を下げて
(市の援助が必要)もっと多くの人に見てほしいと思う。
武相荘(旧白洲邸)
最近テレビで何度か紹介され名前の奇異さが印象に残り、いつか行ってみたいと
思っていたので良い機会になった。
香山園を出て世田谷通りを左折すると、ここからは鶴川街道になる。10分ほど北に
向かって進むと、森の中に武相荘が見えてきた。
武相荘は、白洲次郎と白洲正子が戦中、戦後を通して60年余りを暮らした場所で、
茅葺き屋根の母屋がそのまま残っている。
母屋には当時の書斎や囲炉裏端も残っているが他の部屋はおみやげショップになり
「ごちゃごちゃ」していた。
武相荘とは武蔵と相模の境にあるこの地(鶴川)にちなんでまた、次郎独特の「ひと
ひねりしたい」という気持ちから「不愛想」にかけて名づけたようである。
次郎は戦後、吉田茂に請われGHQとの折衝にあたり日本国憲法の成立に深く関
わった。
戦後は生涯在野を貫き、いくつもの会社経営に携わり、その人となりは「野人」と
評されている。
正子は幼時より能に親しみ14歳で女性として始めて能の舞台に立つ。戦後は文学、
骨董の世界に踏み込み銀座に染織工芸の店「こうげい」を営み、「韋駄天お正」と呼
ばれるほどの行動派だった。
屋敷の中には母屋だけでなく散策路が整備され、竹林が多く残っており当時の生
活ぶりが偲ばれた。
時代をリードした二人がこのような不便な地に60年近く一度も引越しせず住み
続けたことは「田舎の暮らし」がよほど気に入ったのか。
鶴川〜玉川学園
鶴川駅から線路沿いに30分ほど歩くと緩やかな坂道の途中に「和光大学」がある。
さほど広くはないキャンパスの横を通り過ぎてさらに進むと、住宅街の中で道がなく
なってしまった。
少し戻って横道の階段を登ってゆくと山中の歩道に出た。このあたりは小田急線では
トンネルの上の部分である。
尾根の歩道からは横浜の市外が見渡せて、すれ違う人もなく散策には最適なコース
だった。
尾根の歩道が終り一般道になったところから学校の施設が次々に現れた。
道路脇に現れたのは家畜舎で、中には馬が飼われていたが飼育の目的は不明。
坂道を下って行くとグランドや大きな建物が次々と現れ、ほぼ中央にある大きな
建物が教学事務棟である。
トンネルの真上から玉川学園駅までの小田急線の両側にそって、学園のキャンパス
が大きく広がっている。
広大で坂道の多いキャンパスでの学生たちの移動はどのようにしているのか大変で
あろう。
さすがに幼稚園から大学院までの一環教育を目指す玉川学園のキャンパスは大きく
施設も整備されていて立派だが、少子化が進み学生の数が少なくなった今、維持して
行くのが大変ではないだろうか?
最初の計画では鶴川から町田へは電車で行き、町田で国際版画美術館と芹が谷公園
を散策する予定であったが、小田急線の線路沿いを鶴川から玉川学園まで歩くことに
した。
町田駅に着くと5時近くになっていたので国際版画美術館の見学は、またの機会に
して居酒屋に直行した。