散策会の報告(汐留・浜離宮・築地編)            天笠 富夫

―――――――――――――――――― はじめに ―――――――――――――――――

 平成14年9月から散策の会を開き、今年で3年目を迎えようとしています。

 運営方法は、各自が持ち回りで幹事になり、東京を中心に行ってみたい場所のスケジュール・コースを
決めます。 ただこの会の暗黙のルールとして、幹事がたてたコースが行った場所であっても幹事の
一任することが決まりです。 例えば前回のK氏がたてた散策プラン聖跡桜ケ丘〜高幡不動までの散策、
中心は百草園の梅林でしたが聖跡桜ヶ丘・百草園・高幡不動何度も行ったことがあるのであまり
期待しないで行ってみると、多摩川の渡し場の跡・小野神社の立派さ・高幡不動尊の裏山の88ケ所巡り・
高幡城の跡など本当に見るべきところが沢山ありました。

 知らない場所でも良いし、知っている場所でも季節・歴史・流行などの視点を変えると新しい発見が
できるので常々楽しく散策をしています。今回は私共が散策した第13回目の散策を紹介しますので
読んでいる方も折りがありましたら是非訪れてみてください。

――――――――――――――――――内容――――――――――――――――――――

■概要

○コース  新橋――――汐留―――浜離宮―――築地本願寺  

○日時   2005年4月2日(土) 午後1時50分スタート

○見所   ・汐留の再開発地の探訪

        ・浜離宮の桜と菜の花を見る

        ・築地本願寺見学

■汐留   <日本テレビ・汐留シテイセンタービル・旧新橋停車場>



 汐留は10年ほど前、新橋から羽田行きのモノレールに乗ると発車してすぐ右手で、
遺跡の発掘調査をやっているのを目にした事もありましたが、今この遺跡の発掘調査も終了し
都市開発されビルが乱立している。この中がどうなっているのかが非
常に興味があった。
往き方はJRの新橋駅から浜松町寄りの地下の通路を汐留方向に5分ほど歩いて行くと
右に日本テレビ左側に汐留シテイセンタービルがある。 まず日本テレビに向かうが
混雑しているのでやめて、向かい側のセンタービルに行く。
  入り口は回転ドアーだ、
以前に子供がはさまれて事故が発生したのを思い出す、


 ここからビルの最上階をめざしエレベータに乗る上の階にいくほどエレベータの照明が
暗くなり最上階につくと、ほの暗い通路の明るさがエレベータの照明とマツチしているのが
わかる。そこには高級レストランがあり、レストランに入らなければ外側の景色は見られないが
通路及び広場など雰囲気もしゃれているので一見の価値はある。

 エレベータで1階に降り外に出ると旧新橋駅の停車場が復元され展示されている、 
資料館を含めて見学できるが、私達が行った当日は休館であった。 


(参考 明治5年開業、はじめ新橋〜横浜間を走っていたが、その後東海道線の起点となり、
東京駅ができると汐留駅として貨物専用の駅になった。)

■浜離宮




  汐留より電通のビルにそって歩くと浜離宮だ、浜離宮は小学校の遠足で来たのが
最初である、庭園に特別興味がなかったが菜の花と桜が咲く頃が良いと以前新聞で
見たことがあるので今回の散策に組みいれた。


  入り口は城のように石垣であり庭園にしてはしっかりした門があった。(後で調べてみると
大手門と名付けられていた) 入園すると黄色い菜の花畑は見えるが、期待した桜は全然
咲いていなかったが、菜の花畑に入っていくと花の匂いツーン匂いと菜の花の黄色ジュウタンが
電通ビルを背景都会のオアシスを演出していて見応えがあった。

  浜離宮は海に面していてレインボウブリッジが見え、庭園の中の池のふちでお茶
たてる庵もあったが時間の都合で省略し築地市場を経由し築地本願寺に向かった。

■築地本願寺



  晴海のビジネスショー会場に行くのによくバスを利用した、銀座を過ぎ築地場外市場の
近くに、イスラム風の日本離れした建物があり以前から気になっていた寺院、それが
築地本願寺である、立派すぎて自由に見学できるのか、少し躊躇したが仲間と一諸
ならなんとかなるだろうと散策場所に選んだ。

 この本願寺は親鸞の流れをくみ本尊は阿弥陀如来である。最初日本橋の浜町にあったのが
江戸時代の振り袖火事で全焼し、海であった現在の築地を埋め立て再建したが、
関東大震災でまた壊され昭和9年に今のように造られという。

 寺に入る時、警備の人に恐る恐る中に入っても良いですかと聞くと「どうぞ」との事で
入った。伽藍の入り口の階段の手すりには、神社に飾ってある狛犬みたいな動物の像があり、
ともかく異色です。階段を登り本堂に入ると本尊の阿弥陀如来が中央に鎮座しているが、
キリスト教会みたいに椅子が並べられ柱など中の構造物を見ると和洋折衷の造形であり
変わった寺です。

 後で調べてみたら伊東忠太という人が設計し西洋の起源であるオリエント文化と日本文化の
融合を意識して造ったようです。伊東忠太は両国にある旧震災記念堂も造ったとの事です、
興味ある方は是非見学すると良いと思います。

■その他
 今回の懇親会は、銀座一丁目の「居酒屋魚一丁」で行った。ビールを飲みながら各自が
身近に起きた出来事を中心に勝手な話をして終了した。

                                                ―――おわり――