東海道は(日本橋から京都五条大橋)まで、いつか歩いてみたいと思っていたコースであり、
この散策会でスタートすることにした。
ゴールはいつになるか判らないが、あせらずに歴史、季節、風月を味わいながら、ゆっくり
歩きたいと思っている。
今回、東海道の散策シリーズとして前回(日本橋から田町)に引き続き、田町から大森まで
を歩いた。
―――泉岳寺―――
田町から東海道(現在の第一京浜国道)を20分ほど下ると「泉岳寺」の信号が見える。
信号を右に曲がった先に泉岳寺があり、境内はコンクリートで固められていて照り返しの
熱で蒸し暑かった。
山門はりっぱで中には金文字で「泉岳寺」と書かれた額が見えた。
寺の左手には義士の墓があって、四十七士ひとりひとりの墓標があり、8月の平日と言うの
に参拝者が多く、今でも義士のあだ討ちに共感を覚えるのか、線香の煙が絶えなかった。
泉岳寺 四十七士の墓
―――ラーメン長屋―――
品川駅を過ぎて第一京浜国道に沿って暫らく行くと、左手にJRの陸橋の下を使って多くの
ラーメン屋が軒を連ねている。
午後3時過ぎにかかわらず、驚くことにどの店も長蛇の列が出来ており、さぞ美味しいので
あろう。
その昔、東海道品川宿の「だんごや」ののどかな風景が眼に浮かんだ。
ラーメン長屋
―――品川宿―――
箱根駅伝で有名な八ッ山橋を越え、第一京浜国道と分かれて京浜急行の踏切りを渡ると、
旧東海道の品川宿入口になる、道幅は4メートル程で歩行者も少なく江戸時代の旅人の思い
をめぐらせながら街道を歩く。
宿場内には神社・仏閣が多く祭りなどの行事も盛んに行なわれているようだ。
暫らく進むと「海浜公園」の入口に「日本橋より二里」の指標があり、旅人の気分を味わえ
た気がした。
品川寺 海浜公園
―――涙橋―――
寺や神社を横目に見ながら街道を進むと、やがて立会川に架かる「浜川橋」に着いた。
この橋は別名「涙橋」と呼ばれ、鈴ヶ森で処刑される罪人が刑場に護送されるのを、親族ら
が見送りにきて、この橋で共に涙を流しながら別れたという。
また、立会川の名も刑場に向かう罪人を、多くの人が見送りに立会い、この名が付いたので
はないかと思う。
なぜか、今でも立会川の水は灰色によどんでいて、処刑場の暗い雰囲気をかもし出している。
涙橋 立会川
―――鈴ヶ森処刑場―――
品川宿を抜けて旧東海道をさらに進むと、街道は第一京浜国道と再度合流する。
この合流地点にひっそりとたたずむのが「鈴ヶ森処刑場跡」である。
狭い敷地に火炙台や題目碑、処刑者の墓などが並んでいて、訪れる人も少なくひっそりとし
ていた。
「八百屋お七」が火炙りの刑に処せられた鉄柱や石台が残っており江戸時代の処刑の残酷さ
がうかがわれた。
鈴ヶ森処刑場跡
―――後記―――
鈴ヶ森のちょっと先にある大森の「NECカスタムテクニカ」を見に行ったが、現在は空き
ビルになっていて無人であった。
今回の散策を振り返ってみると、田町(NEC本社)から始まり、大森(旧NECカスタム
テクニカの本社←NEDKの後継会社)で終わっている。途中には仲間との別れ(涙橋)が
ありリストラ(鈴ヶ森)があり、これは自分達が(私は皆さんのお陰で甲府に移籍になり
幸運でしたが)会社統合の歩みを東海道散策でなぞらえて歩いているような気がしてなら
なかった。
旧NECカスタムテクニカ