東海道の散策I(日本橋から田町) 天笠 富夫
――――――――――――――――――はじめに――――――――――――――――――
今回の幹事はK氏である、当初日本橋から品川を考えていたが、今回の散策の後でI氏を含めて
飲み会をするため、時間の都合でどこまで歩けるか不明であった。また私自身東海道53次という
が、日本橋が起点であるのはわかるが、どのようなルートを昔の人が歩いていたのかまったく知
らなかった。
―――――――――――――――――日本橋・京橋―――――――――――――――――
日本橋という名の橋は、JR東京駅八重洲口より徒歩5分のところにあり、今でも石と鉄で造られ
た橋が日本橋川に架けられているが、上には首都高速環状道路があり、自動車文化の波に頭
から押さえつけられている感じがする。そのたもとに遠慮がちに、こじんまりと石碑がたっていた。
東海道の出発起点だ、今でいうと東京からの出発拠点JR東京駅だ、ここでは効率第一主義に
なった日本には江戸時代の浮世絵に出てくる木でつくった橋を想像もできない、ともかく東海道
散策の第一歩を開始した。
日本橋を出て中央通りをそって歩くと京橋だ、京橋は橋が残っていないが、東京と新橋の
間にあるからそれぞれ一字ずつとって「京橋」の名がついたのかと思っていたが、本当の
地名の由来は日本橋より京へ向かう最初の橋だから京橋と名付けられたそうです。更に
銀座方面に歩いていくと、交差点のところで警察博物館を見つけて中に入る。
警察博物は、もと京橋警察署があった場所だそうだ、入り口にはヘリコプターの運転席や
白バイーの運転席があり、擬似的に操縦を体験できるようになっている。階段を昇って中
にどんどん入っていくと、展示場があり、警察の歴史・警察階級を表す徽章が飾ってあっ
たが、さすがに手錠だとか取り調べ室だとかは展示されていなかった、そのうえ案内人
もいかめしい人もいなかつた。
――――――――――――――――――銀座・新橋―――――――――――――――――
中央通りをさらに進むと銀座だ、銀座は三越・松坂屋・松屋等の一流のデパート・宝石・
ブティクなど、日本で一番高級品を扱う店が多く、いつもお客で賑わっている。休日のた
め道路を解放し歩行者天国を実施していた、道路の真ん中を歩いていくと銀座4丁目の
時計台がある和光だ、和光を見ると、銀座らしさを感じるとともに、小学生時代に読んだ
江戸川乱歩の小説「青銅の仮面」を思い出すのは何故だろう。和光を通りすぎて左手
に松坂屋デパート・銀座の柳の碑を見ながら、新橋駅の近づくと歩行者天国も終わりだ、
新橋から汐留を左手に見ながら第一京浜国道(中央通りが新橋を越えると名前が変わ
る)を浜松町に向かう
<参考>
・銀座の由来他
銀座の名前は、江戸時代銀の鋳造所があったところから名付けられた、だがなぜ
銀座の地名は残ったが、大判・小判などで金も扱っていたのだから金座の地名が残っ
ていないのはなぜか気になったので調べてみると、現在の日本銀行本店の場所に金
座があり商業的に発展しなかったそうだ、なんとなく納得した。
・銀座の柳(並木)由来
明治時代になり、銀座通りを東海道から近代的な幹線道路に変貌させ煉瓦街を造ろ
うとした。大通りの脇に欧米並の並木を植え、日本を代表する樹木は桜・松・楓(カエ
ダ)の3種を検討したが、銀座は元々海で埋め立て地であり、水中の水気が多く、潮
風も強いので、強い植物の柳を植えたが、大正10年頃この柳も大きくなりすぎたの
で撤去し代わりに銀杏(イチヨウ)を植えた。しかし、関東大震災で燃えてしまい、そ
こで当時を偲んで「銀座の柳を碑」を建てたそうです。
―――――――――――――――――−浜松町・田町――――――――――――――――
浜松町にはいり、進行方向右手の奥にある芝大神宮に立ち寄る、千年たっている神社
であるが神木があるわけでもなくコンクリートで固められただけで何の感銘を受けなか
った、再建する時にもう少し考えてもらいたいものだ。浜松町の貿易センタービルを左
手に見て第一京浜国道をさらに進むと、第一田町ビルが見えてきた、ここは江戸時代
薩摩藩の屋敷跡で西郷隆盛と勝海舟が会見の碑が飾られている(江戸時代末の頃、
官軍と幕府の代表として、会見し話し合わされた結果、江戸城無血開城を決められ江
戸市内は焼かれないで官軍へ政権交代が行われたと、いわれている。)
この第一田町ビルには三菱自動車の本社があったがなくなり、ドコモショツプとスター
バックスに変わっていた、隣の第二田町ビルは、取り壊され同じ敷地に新しいビル工
事をしていた、また後ろを振り返って見ると、いつ出来たのか10階建てクラスの比較
的高いビルが乱立し、そのビルに囲まれてNEC本社ビルが見えた、時代の流れの
速さを感じながらJR田町駅に向かい今回の散策は終わった。
―――――――――――――――――― 後記 ――――――――――――――――――−
この散策を通じて、いろんな事が発見できた。日本橋の下に流れている川の名前は
日本橋川といって永代橋で隅田川に合流しているとか、東海道は銀座の「中央通り」
をえて新橋から「第一京浜国道」に続く道だとは、いままで全く気がつかなかった。
反面探し方が足りなかったのか、歴史的なものは石碑ぐらいしか発見できず寂しい感じ
するが、この東海道はいろんな物が凝縮されており、あまりにも奥が深いので、各自で多様
な観点で味わう事をおすすめします。(例えば、流行・ショピング・食事・娯楽・老舗巡り・建
物・歴史など)
今回の散策は、時間がうまくとれなかったので田町駅で散策を終わらせた、その後、飯田
橋駅で技術にいたI氏と待ち合わせて神楽坂で居酒屋をやっているS氏のところに寄った。
事前に連絡をとっていなかったためS氏には会えなかったが、この店のおすすめの「おでん」
をつつきながらビールを飲み、お互いの近況報告をしあった。