散策 信濃町から祐天寺 天笠 富夫
2006.11.5
――――――――――――――は じ め に――――――――――――――――
今回の散策は、普段歩いているところで気になる所をつないだため、特にテーマはな
い。 しいて言えば街の観察かもしれないし、これが本当の散策かもしれない。
――――――――――――信濃町・絵画館・表参道――――――――――――――
新宿で待ち合わせて総武線で信濃町へ行く。 ここは国立競技場も近く、そのそばに
絵画館がある。絵画館を見ると屋根は丸くなっているが国会議事堂を連想させる。
中では展示会をやっていたが、有料なので中を見ないで絵画館を出てイチョウ並木
の方向に向かった。イチョウの葉が黄色くなっているのかと思っていたが、残念だが
まだ緑だ。 この並木路を通るとギンナンの匂いがして季節感を感じる。
イチョウ並木を出て青山通りを渋谷方面に向かう。 どんどん歩いていくと表参道
に着く。 ここは「旧同潤会青山アパート」の跡地に、建築家安藤忠雄氏が再開発し
2006年2月にオーブンした。 大きなファツション性のある街になり人を引きつける
街になった。
参考 「旧同潤会青山アパート」80年前造られた、日本で初めて鉄筋コンクリート
造りの集合住宅。
―――――――――――――国連大学・子供の城・渋谷・代官山―――――――――
人通りが多いのとあまりファツションに興味がないので入り口で戻ってきた。「青山通
り」を更に渋谷方向に向かうと左手に青山大学・右手に国連大学がある。国連大学は
普段展示をやっていたのだが、当日は日曜日のため、中にも入れず見られなかった。
国連大学の隣は「子供の城」だ。中に何が入っているかわからない名前に引かれて、
今回は入場料を払い中に入った。5階からザアット見ると、子供の健康相談・劇場
・ビデオライブラリ・造形スタジオ・音楽ロビー・人形劇・遊び場等があった。
対象者としては小学生の低学年もいたが幼稚園児ぐらいがちょうど良いくらいだ。
人形劇も人気があるが、一番人気は遊び場のトランポリン、大きな声を出して幼児
が喜んでいるが今ひとつなにかピンとこない。世代間の問題か?
子供の城を後にして宮益坂を下りると渋谷だ。渋谷から玉川通り東急ホテル・NEC
健保会館を経由して代官山にいく代官山も青山もファツションで有名であるが、青山
のほうが高い建物も多いうえ、少し大人らしい感じがする。比較した時間帯でも差が
あるかもしれない。(青山は3時頃・代官山は4時半頃)
―――――――――――――中目黒・祐天寺―――――――――――――――――
代官山から中目黒に近づく。東横線で代官山駅から中目黒駅にいく途中の電車線路内
にある日比谷線の慰霊碑(脱線事故より発生)に、一度いってみたかったので立ち寄
る事にした。入り口は高架な線路の下にあり、警備の人が常駐していた。
慰霊碑を見せて下さいというと見学者の台帳を取り出し記帳をして下さいとの事。他の
者はどんどん中に行ってしまい、私が記帳せざる得なくなってきた。記帳もマジックで
なく毛筆で住所と名前を書くようになっていた。
前の人の書き込んでいる字を見ると習字の先生か坊主みたいに達筆だ。本当にきたない
字で良いかと萎縮しながら書いてきた。階段を上がると線路内だ。三塔の慰霊碑がたつ
ており花が活けてあった。日常手入れがされていると思われる。慰霊碑に頭を下げ帰る。
<参考>日比谷線脱線事故について
2000年3月8日日比谷線車両と東横線の車両がこの場所で側面衝突して、
死者5名・負傷者64名を出した。
しばらくすると中目黒だ、祐天寺に向かう。時間は午後五時を過ぎた周りもだいぶ暗くな
ってきたがやっと寺に着いた。周りは暗くなって見物どころではないので早々に引き上げた。
参考 「祐天寺」 浄土宗の寺、徳川吉宗より祐天寺の寺号を授けられ、それ以後
徳川家と因縁のある寺として栄えてきた。
―――――――――――――おわりに――――――――――――――――――――
信濃町から祐天寺ほぼ徒歩で3時間半、電車の感覚だと随分距離があるように思える
が、都内から歩くと思っていたより歩けるものだと感心した。今回の散策は見てまわ
ったが消化不良な点が多い。
絵画館の中の見学・国連大学の見学・「子供の城」のつまらなさ(大人が考える「子
供の城」はあんな人工的名な物で良いのか?もう少し工夫をしないと少子の時代につい
ていけないのではないか?等感じる)。偶然にも青山と代官山の街並みを見たが、違い
があるが観察力不足のため、言葉としてはっきりしない。祐天寺の歴史等、まだまだ
見たいところ・調べたいことなど沢山あるが、またの機会にとっておきたい。
―――おわり――――