深谷の旅
作成日2021年9月6日 2021年NHK大河ドラマの主人公の渋沢栄一の生家を訪ねた、場所は、埼玉の 深谷で、本人の略歴は次の通りです。
<渋沢栄一の略歴> 1840.2.13(天保11年)武蔵血洗島(埼玉・深谷)で 生まれ、1931.11.11(昭和6年) 東京で没。
雅号(本名 以外での別名) 青淵
明治・大正期の実業家、財界の指導者で、生家は村名主で、農業 のほか藍玉(染料)の商業も営んでいた。 栄一は、年少の頃から家業に従事したが、のち、才幹を認められ て一橋慶喜(のちの将軍)に仕え慶応3年(1867)年将軍の 弟昭武に随行して、渡欧し、明治維新後明治政府に仕官した。
近代的財政、金融、貨幣制度の導入に尽力したが、1873年 退官し第一国立銀行の頭取となり、以後明治期を通して民間の銀行 ・産業及び実業家団体の育成と指導に大きな役割を演じた。
関係会社は、設立に関わった会社数は500以上 6割程度の300 社は、合併や社名変更などを経て、現在も事業している。
深谷駅
ラッシュにかからないように気をつけて、早い時間を意識して、東京駅7:17発の 高崎線にて深谷に向かう、乗車時間1時間半、だが大宮を過ぎ上尾にくると、通勤客 が増えてラッシュかかってしまったが、熊谷を通過すると乗客が減り深谷駅に到着し た。
深谷駅は、近くに学校があるみたいで、学生が多かった、駅舎をみると、レンガ造りで、 東京駅を小さくしたような雰囲気がある。
調べてみると、東京駅の駅舎と同様に、は渋沢栄一を中心に設立された、日本初のレン ガ工場で造られたと言われている。
駅を降り、観光場所を聞くところがないので、駅前の交番に行き聞いてみると、渋沢栄 一の関連した史跡は、駅から車で20分ぐらいかかる所にあり、土曜・日曜以外は、 観光用のバスが1時間に1回ずつ出ているとの事でした。
観光に便宜がはかられていないので、史跡を回るのは大変そうなので、客待ちのタクシ ーが5台ほど待っているタクシー乗り場に行った。順番があるので、商売気のなさそう だが、先頭の運転手と交渉し、観光しながら案内をしてもらう事にした。
運転手は、65歳くらい、渋沢栄一に関してあまり勉強もしていない、ただ目的地に人 を運ぶだけで、サービス精神が欠如していることを感じていたが、ともかく対応しても らった。
尾高惇忠 の生家
最初に案内された所は、渋沢栄一の従兄に当たる人で、尾高惇忠(おだか じゅん ちゅう)の生家に案内された、惇忠は論語はじめ、多くの学問を栄一に教えた、 また、娘の千代は栄一の妻になったという。
尾高惇忠生家は、車で20分、外観が立派な豪農で、深谷市指定文化財になっている、 建物は2階建て、庭にはレンガ造り土蔵などもある、若い時、この2階で、高崎城乗 っ取り計画の密議をしたりしていたと言う。(但し 2階は見学できない)
時代は変わり、惇忠本人は明治になり、高岡製糸場の初代場長にもなったという、運転 手は、別に説明するわけでもなく、ここの道をまつすぐ行くと栄一の生家があるので、 「1時間45分後ここで待ちあわせしましょう」と運転手に言われた、
何のため案内を頼んだかわからないと、不満を感じながら、別れた、栄一の生家に 向かって、15分ほど歩いて行くと、コンクリート建ての大きな建物が右側に見えて きた、
渋沢栄一記念館
説明は無かったが、渋沢栄一記念館だ、業績とか・生い立ち・家系とかが、が展示 されている、展示内容は、知識も無いうえ、内容が細かすぎて、よく分からなかった、 ただ驚いた事には、子供は、先妻・後妻含めて延べ11名の子供がいたという。
又この記念館の2階では、栄一のアンドロイド(人間そっくりなロボット)があり、 2時間毎に、身振りをつけて、実演をしていたが、時間帯が合わず見られなかった。
記念館の近くを流れている清水川に沿って、歩いていくと、栄一の生家旧渋沢邸 「中の家」の裏にでた。
「中の家」の裏口
パンフレットによると、渋沢一族は、この地の開拓者のひとつとされるが、分家して 数々の家を起こした、「中の家」はその一つで、代々農業を営んでいたが、「名字帯刀」 を許されている家である。
「中の家」正門 渋沢栄一 生家
屋敷は、主屋・副屋・正門・東門・土蔵(4つ)等があり、非常に大きな建物がり、 風格もある、この屋敷の前には、諏訪神社があり、血洗島という名前の書かれた旗 が飾られていた。
「中の家」 主屋 渋沢栄一 生家
血洗島は、おそろしい名前なのでしらべてみると、 後3年の役で、(1083〜87)の時、 源義家の家臣が、片腕をきり落とされ、その血を洗ったことに由来する(諸説あり)
また、利根川は洪水が多く地が洗われたという意味で、地荒いと呼ばれていたのが血 洗島になったと言われている。(島は川の中にある中州の事をさす、)
待ち合わせの時間も近づいたので急いで戻り道を歩き始めた、すると気の利かない 運転手が車で探しにきたので、戻る途中で車に乗せてもらい、駅に戻った。
駅で、食事場所をさがした、やっと見つけたが、すべてがのどかでした。
―――終わり――
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