つつじヶ丘 常楽寺 2019.06,15 天笠 富夫
地下鉄で、銀座駅で降りると、「銀座の恋の物語」メロデイが流れているのを、知っ ているが、地元の京王線の「つつじヶ丘」駅のプラツトフォームでも、電車が来ると、 音楽が流れている。
曲だと分かった、曲の内容は次の通りです。 いつのことだか 思いだしてごらん あんなこと こんなこと あったでしょう うれしかったこと おもしろかったこと いつになっても わすれない。
この歌、このメロデイを聞くと、自分の昔の光景が浮かんでくるのは、何故だろう!
「つつじヶ丘」駅のプラツトフォームで聞いた、音楽を調べてみた。
「思い出のアルバム」の歌碑 江東橋保育園の園長の増子としの作詞、神代幼稚園園長の本多鉄麿の作曲で生まれた もので、保育現場から生まれた音楽です、面白い事に、ふたりは、宗教家で、 増子はクリスチャン・本多は、常楽寺住職でした。
常楽寺本堂
寺はきれいに清掃されていて、正面に本堂があり、左側に「思い出のアルバム」の歌 碑が飾られていて。そこには、楽譜・本多鉄麿の略歴が記載されていた。 <略歴> 1905年(明治38年) 天台宗 大僧正 本多綱祐の長男で群馬で生まれ 1951年(昭和26年)常楽院住職 神代幼稚園園長就任 1966年(昭和41年)当地で死亡 1996年(平成8年) 鉄麿を慕い歌碑を建立
持って探すと他にも面白い発見があるかも知れない。 ――――END――― <追記> 鉄麿は、戦後荒廃した時代に、子供のために「常楽文庫」を 開設したり、大人のために読書会・俳句会・合唱団も組織した り、したそうです。生涯で生み出した童謡などの作品は、2000 曲に及ぶという。
一方、増子としは、幼児教育の専門家として活躍した、 晩年に脳に障害を発生し、記憶が薄れていった。ある日 芹洋子が歌う「思い出のアルバム」を聞きながら、自作 であるのを忘れて、「いい曲だ、この歌は・・・」と、 つぶやいたと言われる。
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