つつじヶ丘 常楽寺   2019.0,15 天笠 富夫


 

 地下鉄で、銀座駅で降りると、「銀座の恋の物語」メロデイが流れているのを、知っ

ているが、地元の京王線の「つつじヶ丘」駅のプラツトフォームでも、電車が来ると、

音楽が流れている。


曲名は、当初わからなかったが、良く聞いてみると、「思い出のアルバム」という

曲だと分かった、曲の内容は次の通りです。

いつのことだか 思いだしてごらん

あんなこと こんなこと あったでしょう

うれしかったこと おもしろかったこと

いつになっても わすれない。

この歌、このメロデイを聞くと、自分の昔の光景が浮かんでくるのは、何故だろう!
 

「つつじヶ丘」駅のプラツトフォームで聞いた、音楽を調べてみた。
 

「思い出のアルバム」の歌碑

江東橋保育園の園長の増子としの作詞、神代幼稚園園長の本多鉄麿の作曲で生まれた

もので、保育現場から生まれた音楽です、面白い事に、ふたりは、宗教家で、

増子はクリスチャン・本多は、常楽寺住職でした。


 

 常楽寺本堂


早速調べて、「つつじヶ丘」駅の近くにある、常楽寺に行った、正門から入ると、

寺はきれいに清掃されていて、正面に本堂があり、左側に「思い出のアルバム」の歌

碑が飾られていて。そこには、楽譜・本多鉄麿の略歴が記載されていた。

 <略歴>

    1905年(明治38年) 天台宗 大僧正 本多綱祐の長男で群馬で生まれ

    1951年(昭和26年)常楽院住職  神代幼稚園園長就任

    1966年(昭和41年)当地で死亡

    1996年(平成8年) 鉄麿を慕い歌碑を建立


長年近くに住んでいて、この事は、全然気がつかなかった、もっと好奇心を

持って探すと他にも面白い発見があるかも知れない。

                     ――――END―――

<追記>

    鉄麿は、戦後荒廃した時代に、子供のために「常楽文庫」を

   開設したり、大人のために読書会・俳句会・合唱団も組織した

   り、したそうです。生涯で生み出した童謡などの作品は、2000

   曲に及ぶという。

   

   一方、増子としは、幼児教育の専門家として活躍した、

   晩年に脳に障害を発生し、記憶が薄れていった。ある日

   芹洋子が歌う「思い出のアルバム」を聞きながら、自作

   であるのを忘れて、「いい曲だ、この歌は・・・」と、

   つぶやいたと言われる。

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