石垣山一夜城  17.11.30  天笠 富夫


  石垣山一夜城の話を聞いたのは、小学校5年生の修学旅行(箱根)の説明会の

時でした、その時から興味がありました。

<石垣山一夜城について>

  石垣山は、標高257メートルの高さで、小田原城から直線で3km、

  声が聞こえる範囲で、JR東海道線早川駅から2.5kmの位置にある。

 

  石垣山城が一夜城と呼ばれるのは理由がある、戦国時代の終わり天正

  18年(1590)に豊臣秀吉が小田原北条氏を15万人大軍で包囲して

いた時、本陣を石垣山におき、山頂に城を築城した、方法として、

 

山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を貼って、城壁のように見せ

かけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、一夜で城ができたように見せた、

 

  それを見た北条氏側の将兵は、士気を失しない降伏したと言われている。

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       東海道線 早川駅

 

石垣山へ行くために、小田原駅で乗り換えて東海道線の早川駅に着いた、場所は

位置は、なんとなく分かるが、どっから登っていくのかわからない、道を聞くと、

地元の人は分かっているが、曲がり角が多くこちらには、よく分からない。

 

3回ほど道を聞いた、最後に70歳くらいのおばさんに聞くと、途中まで案内して

くれた。曲がり角が多く判断できない、ともかく時間がかかっても、分かりやすい

道を教わった、それは海蔵寺の脇にある、広い車道で、ここから2.5kmある。

 

道は、連続した登り道、この道に沿って200〜300メートル毎に案内版がある、

案内版には、「石垣山に参陣した武将たち」が紹介され、石垣山一夜城歴史公園の

距離と早川駅への距離が表示されている。

 

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    石垣山の案内版

道に沿って、登って行くと両側にミカン畑が続いていた、50分ほど歩くと石垣山

一夜城歴史公園に着いた、ここには、左側には、大きな駐車場とレストランがあり、

右側が石垣山一夜城になっていた。

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  公園入り口

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    城の石垣

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   二の丸

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    本丸跡

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     小田原城が包囲されている状況(水・陸)

 

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     石垣山からの小田原の海

 

石垣山の南曲輪の石垣があり、更に奥にいくと、二の丸広場がひろがっていた、そこ

の左側の坂を登っていくと本丸だ、石碑のみしか残っていない。本丸の脇には物見台

があり、看板があり、眼下を見下ろすと小田原の市内が良くみえるが、小田原城は樹

木に隠されよく見えない。

 

看板をみると秀吉の小田原攻め状況が、描かれていた、小田原城は、海と陸両方

から封鎖されていた。

 

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    石垣城天守台跡

 

また、小田原市内と反対側を見ると、天守台の目印がおかれていた、これより元の道

に戻り、石垣山一夜城の見学は終わった。帰りぎわ石垣城のほうを見て、何度確認し

ても、崩れていて、どこが城だかわからない、ただミカン畑があり印象的でした。

 

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    海蔵寺

早川駅に降りる途中で海蔵寺に寄って、堀政秀の墓を見て、早川駅の近くで、「石垣

城はどうでしたと、」声をかけられた、思い出せば、朝、道を案内してくれたおば

さんが犬を散歩させていた、偶然とは面白いものですね!

<堀政秀>

  織田信長に仕えた後、秀吉に仕えかなり有能な武将でしたが、あまり

  注目されていない人です、小田原征伐に参陣し、海蔵寺に陣をひいたが、

疫病を患い陣中で急死したという、詳しく調べると面白そうな人物です。

 

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    石垣山途中からの小田原城の景観

 

<参考>

  石垣山の案内版の「石垣山に参陣した人達」に

  掲示されている人物(8名)

   豊臣秀吉   ・淀殿       ・千利休     ・羽柴(豊臣)秀次  

   徳川家康   ・宇喜多秀家    ・伊達政宗    ・堀秀政

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