豪徳寺 2017.10.20 天笠 富夫 現在、毎週日曜日に放映される、NHKの大河ドラマ「おんな城主景虎」で、井 伊家をとりあげている、なんとなく、東京で井伊家とつながりのある寺、豪徳寺を 訪ねてみた。
場所は、小田急線に、豪徳寺駅がありますが、道も分かりづらいので、一番近い路 面電車の東急世田谷線を利用し「宮の坂駅」で降りて、行った。
東急世田谷線
5分ほど歩くと、石の山門があり、松並木を通ると豪徳寺に着く。
豪徳寺山門
豪徳寺は、曹洞宗の寺で、山号は大𧮾山(だいけいざん)と呼ばれている。この寺 は1633年彦根2代目藩主、井伊直孝が、鷹狩りの途中雨宿りに寄り、和尚の法 話を聞き喜び、後に井伊家の菩提寺としたという。
<井伊家の話> 彦根藩主初代は井伊直政です、(養母として、NHKの大河ドラマの「お んな城主井伊景虎」がいる、直政の子供には、長男直勝・次男直政がいたが、 直勝が病弱なため、なぜか2代目藩主として直勝が数えられていないで、 直政が2代目藩主として認知されている。
なお、子孫として17代藩主として、大老井伊直弼(なおすけ)がいる。
(井伊直弼) 井伊直虎の子孫、幕末に登場して、1858年に日米修好通商条約 を締結する、これに反対する人々を弾圧し、安政7年(1860年) 江戸城の桜田門にて、水戸の脱藩浪士に殺された、その後幕府の指 導力が弱まり、明治維新に変わって行
山門
さらに進むと、木造でつくられた、山門があり、ここを越える豪徳寺内に入る、道 は本堂へ続く道と墓地へ続く道に分かれる、まず有名な大老井伊直弼の墓を見に いく、墓の入り口は、案内版があり、石の門と塀で囲まれていた。
墓の入り口
案内版で井伊直弼の墓の位置を確認してから中に入っていく、この墓所には、古 い井伊家一族の墓が並んでいたが、墓石は古くなっててるせいか、全く読めない。 でも、前後関係と花が飾られていたので、これが井伊直弼の墓だと分かった。
右側 井伊直弼の墓
だが、後で調べたら、井伊直政の墓も少し離れた所にあったのが分かった、また 豪徳寺の名前の由来は、直政の戒名だそうだ。
元の道に戻って、本堂の方向に向かう、左側に三重の塔・仏殿があり、右側には、 梵鐘(ぼんしょう)があり、見所が沢山ある。
左 三重の塔 右 仏殿
本堂は、外観はコンクリート製で、他の建物が木造であったので、少し残念だ。
本堂
ここより、近くにある、世田谷城址に寄り帰った。 <世田谷城> 南北朝時代に、足利氏と同族の吉良氏が築城した、その後北条氏の 直轄となったが、小田原の役では、攻略され、その後廃城になった、 ただ、世田谷城址公園として残り石垣だけが残っている。
復元された世田谷城の石垣 <追記> 井伊家の墓所は、彦根市と東近江市にもある、また豪徳寺は、願が成就した と、いうことで「招き猫」で 有名、現在でも「招き猫」が奉納されている。
奉納された招き猫 ―――END―――― |