高麗(こま) 17.09.30 天笠 富夫
駅の案内
高麗駅は、西武池袋線の飯能駅の2つ先にある駅名で、駅名が変わっているのは、 716年天智天皇の時代、高句麗系の移民者が、高麗郡を設置した場所です。 <高麗> 936年朝鮮半島をはじめて統一した国家で、別称 高句麗(こうくり)と言われていた。
駅前のポール 駅の改札口を出ると、赤い異様なポールが2つ建っていた、天下大将軍・地下女将 軍と書かれていた、調べてみると韓国の民間信仰の一つで、村の不祥事を防ぐ、守護 神だそうだ。
産物を売る店
駅より、地元産の産物を売っている店の間をとり、高麗川にかかっている、鹿台橋 を渡り、進と、「高麗山 聖天院」案内板があったので、30分ほど歩いていくと、左 手の山沿いに、「高麗山 聖天院」の寺が見えてきた。
高麗山 聖天院の全景
山頂にそって、階段になっていて、雷門・書院・本堂とそれぞれ階段を登り結ばれ ていた、非常にきれいなお寺だ、この寺は、奈良時代に高句麗より渡来した、高句麗 王若光の菩提寺として751年に創建され、1345年に真言宗に改宗されたという。
山門(雷門) 早速、2つの白いポールをとり雷門に向かう、ここより階段を登ると中門にはいり、 庭園・庫裡(くり)をみて、長い階段を登ると本堂につく、本堂から下の景観は良い。 庭園・書院・庫裡 本当に寺全体がすっきりしている寺だ。
本堂
巾着田の案内板(川に取り囲まれている)
ここで地図を確認しなかった ので、失敗をした、ここより更に5分ほど奥に、高麗 神社があったのだが、気づかず、巾着田(きんちゃくだ)の方向に向かってしまった。
巾着田は、高麗川の蛇行により、長い年月をかけつくられ、その形がきんちゃくの形に 似ていることから、きんちゃくだと呼ばれた。
元の道に戻り、鹿台橋より、ゆっくり高麗川の流れを見て、巾着田の方向へ行った、 川に囲まれた平地には、少ないがコスモス咲き、毎年秋の彼岸の頃咲く、曼珠沙華 (まんじゅしゃげ)を見に来た観光客が大勢いて行列していた。
曼珠沙華 高麗川の流れ 曼珠沙華の開花は、今年は少し早めで、枯れ始めていたのが気になった。でも高麗川 の蛇行を見ると、気持がゆったりしてきて、気持が良い、暫く川の流れを見ていた後 に駅に戻り帰った。
日曜日のせいか、ともかく観光客が多かったが、非常に気持が良かった。
巾着田の川に囲まれた内側からの景観 ―――END――― 17.09
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