両国 2017.07.10 天笠富夫
○はじめに 江戸・東京博物館を見にいくために、両国に行った、今では開発され、普通の駅 になっているが、なぜか、60年くらい前、新宿から総武線で?両国駅を通ると進 行方向左側に蒸気機関車の列車がいつも止まっていた。
この頃、房総半島では、鉄道がまだ、電化されておらず、他の地域で蒸気機関車が 珍しくなり始めた頃の千葉への入口の起点だったのを思い出します。
両国駅 ○江戸東京博物館 日本橋
江戸・東京博物館は、以前に来たことがあったが、今回も、何を見るかの目的もな く、何が展示されているかぐらいの興味でいった、中で目をひいたのは、東海道の 出発地点の日本橋の復元と、江戸城の縮尺1/200分模型です、
江戸城を説明するのには資料が不足し、奥が深く今回は説明を割愛します。(折り をみてとりあげたいと思っています)
江戸・東京博物館の外に出ると、道路の脇に案内板があり、歴史があり、名所・史跡 などが沢山掲示されていたが、一度に見られそうもないので、吉良邸跡・両国橋・国 技館に絞り行ってみることにしました。
○吉良邸跡 両国小学校のそばで、広い通りに面していなく、分かりづらく探すのが面倒でした が、赤穂の四十七士の討ち入りがあった、吉良邸跡が残っている、昔はこの屋敷は 広大で8400平方b(2千550坪)もあったと言われているが、現在残ってい るのは、八十六分の一の大きさしかないという。
吉良邸跡
残っているものは高家の格式を表す「なまこ壁」とか吉良上野介の首を洗ったと言わ れる「吉良公みしるし洗い井戸」などが残っている、非常にきれいに保存されてい る。 <吉良上野介義央(きらこうずけよしひさ)> 吉良家は、清和天皇の後裔で、先祖は足利氏で、江戸城における 一切の典礼をつかさどる地位についていて、非常に格式が高い 人物でした。
吉良公みしるし洗い井戸
そして、現在でも地元商店が、中心になり、吉良家の供養を行うため「義士祭」・「吉 良祭」を催して、いまでも行われていると言う。
○両国橋 両国は、江戸時代寛永年間(1622〜1643年)まで、現在の隅田川で、下総の 国と武蔵の国の国境になっていて、ここにかかっている橋を両国橋と呼んでいた。
ここには、軽業や歌舞伎芝居を見せる見せ物小屋とか、食べ物屋とか、船遊びで、大 いに賑わったそうですが、テレビの時代劇には良く出てくるが、橋を見たことがな かったので、鉄骨と石で造られた橋を見てきた、探し方が悪かったせいか、あまり 江戸情緒は感じなかった。
両国橋
○国技館 両国国技館は、JR両国駅の並びにあり、両国駅の一部は、ちゃんこ鍋・寿司・深川 飯・天ぷら屋など、古くから伝えられている食べ物屋と土産物屋が、きれいに整備さ れていた。
行った当日は、夏場所巡業をやっていて、国技館の出入り口には、力士の名前の入っ た旗が飾られ、出入りしている力士に、声をかけ外人が一緒に写真をとっていて、外 人にも人気があるのに驚いた。
○おわりに 両国の場所を中心に広く見ていくと、神田・浅草・日本橋とも近く、つながりを追っ ていくのも楽しいが、
両国の町だけを見ても、相撲部屋が多いせいか、チャンコ屋とか、整骨院が多い、 「江戸・東京博物館」は、視点を変えると見所の多い所で、多分何度通っても見切 れないのではないかと思うほど奥が深い。
また、この周辺を見ても、吉良邸跡・勝海舟生誕の地・両国花火資料館・回向院・ 葛飾北斎の美術館・安田庭園・復興記念館などがあるので、皆さんも訪れたら如 何でしょうか。
国技館入口 ―――END――― 17.05
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