韮崎 新府城 17.01.30 天笠 富夫 新府城は、中央線で甲府駅から3つ先の新府駅から15分ほど歩いた所にある。
<新府城の歴史> 1575年武田勝頼が、長篠の合戦で織田・徳川の連合軍に敗れて、 余裕がなくなり、1581年(天正9年)に勝頼によって築城された。 (今までは、武田節にあるように、「人は石垣」と唱われたように、 信玄は城を造らなかった)
場所は釜無川を直下に見下ろす断崖の上に造ったが、まだ、未完の城で 1582年に織田・徳川の連合軍に敗れ、勝頼が火をかけた、(その後、 勝頼は、大月の岩殿城の方へ移動して行く途中天目山で亡くなった)
武田氏が亡びた後、城は、武田領を徳川氏と北条氏との争奪戦が起き たが、徳川が勝ち、その合戦が終わると廃城になった。
新府城 全体図(復元図) 新府駅で降りた時、驚いた事に無人駅だ、パスモで高尾駅から乗って来て、駅員 とかパスモに対応する改札がない、キップの回収BOXと、乗車駅証明書発行機だ けはあった。
ともかく駅からでて、周りを見渡すと、住宅はあるが、店はまつたくないが、親 切に新府城へ行く案内看板は立てられている、しかも新しい、多分NHKの大河 ドラマ真田丸に取り上げられたので急遽造ったのではないかと思われる。
案内板に沿って進んでいくと、黄色くいろづいた木々とか、ススキがあり、非常 に気持が良い、しばらく行くと、中味がない白い袋がかけられた桃の木が目につ いた。
桃の木 更に進と、村の鎮守様にあるような鳥居が見えてきた、鳥居をくぐり下ると、丘 陵に階段が見えて、入口に新府城の石碑がたっていた。
新府城入り口
この急な階段の参道を昇っていくと平地がひらけて、藤武神社(武田勝頼が新府 城築城の際鎮守として祀った)あり、
藤武神社
城の遺跡として、本丸・二の丸があった、また神社の脇には、武田勝頼の霊社・長 篠の戦いの供養塔などがあり、地元の人が勝頼に対して脈々として、大切に供養し ていることがよく分かった。
本丸跡
城の遺跡は細かく見ていくと、まだ沢山見ていない所もあるが、資料不足と、 未整備の部分も多く、分からないため、今回の見学はやめて、駅に向かった。
武田勝頼の霊社と長篠の戦いの供養塔
見学していて、小春日和で天気か良く、周りの山が良く見え気持が良かった、 途中誰にもあわなかったが、駅で列車を待っていると60歳くらいの女性に会 い話しをしてみると、彼女は東京から引越してきたらしい、駅前に店がないの で、列車に乗り隣の韮崎駅で買い物をするそうだ、ともかくのどかだ。
城跡からの景観
列車がきて、甲府で途中下車をして帰った。 ―――END――― 2016.11.18
|