行田 忍城(おんじょう)   2016年12月20日天笠富夫


 

 埼玉県熊谷市の近くの行田に城があり、2012年に「のぼうの城」として、映

画化され、非常に気になっていた。(映画は見ていない)

 

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          忍城祉の碑

 <忍城の歴史>

   忍城は、室町時代に、成田氏により、築城され、戦国時代

   の終わりに秀吉の関東平定に際して、石田三成により水攻め

   を受け開城した、その後家康の関東入国で、徳川の家臣が

   代々入城し、明治を迎えたが、明治6年に取り壊され、

   昭和63年に「忍城御三階櫓」を再建して現在にいたる。

 

 <小田原の役での忍城合戦>

   湿地帯にあった、忍城が一番、脚光を浴びたのは、15

   90年(天正18年)豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めた

   時、忍城の城主成田氏直は、北条氏の家臣として、小田原

   城に籠城したため、留守を守る城代成田長親(ながちか)

   が、残った士卒・兵・農民ら3千人が忍城に立て籠もり

   徹底抗戦をした。

 

   それに対して、秀吉軍の総大将になった石田三成の2万人

   の軍勢で攻めたが、落ちず、全長28kmの堤をつなぎ合わせ

盛土をし、わずか1週間で造りあげ、包囲したが、堤が決壊し

て水攻めは、失敗したといわれている、また小田原にいる北条

氏は降伏したため開城をしたという。 

 

さつそく、行田に行くことにした、地図を見ると、近くに利根川が流れ、周りには

支流で、見沼代用水が流れていたりし、沼が多い所である。

 

新宿からの最短時間でいくために、調べてみると、平塚からくる湘南ナイナーの普

通を利用するのが一番便利な事が分かり、午前8時8分に新宿より乗って出発した。

 

1時間ほどして行田駅についた、駅の周りは、店はないが、道路も広く整備されて

いてのどかである。観光案内所を探し、忍城への行き方の説明を受けた。

 

方法として、バスと貸出自転車(無料)の方法があると説明を受け、地図をもら

い、自転車で行くことにした。駅前の道をまっすぐ行けば、案内板があるから、分

かると言われ、稲を刈った田んぼを見ながら、どんどん進んで行った。

 

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      道路からの景色

道が二つに分かれていて、案内板も表示されていない、地元の通行人に聞き方向

が分かったが、城は見えない、水城公園の沼の近くで再度聞きやつと分かった。

 

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       木橋・東門

沼に沿っていくと、古い門(冠木門)が見え左に曲がると、やっと忍城が見え

てきた。堀があり、その堀に木橋がかかり、東門が見えてきた、城らしくすば

らしく良い景観だ。

 

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       忍城御三階櫓

木橋を渡り、東門くぐり城内部に入ると、城が城壁で囲まれているのがわかり、更

に奥へいくと郷土博物館の入口にくる、ここより郷土博物館の展示物をみながら、

「忍城御三階櫓」の内側に入る事ができる、小さな城だ、なぜか建物内撮影禁止に

なっている。

 

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      水城公園の景観

城の最上階にのぼっても、建物が低いせいから上かからの景観がよくない。帰りぎ

わ、博物館の受付の女性に「小さな城ですね」といったら、「これより大きい、復

元されていない、本丸は、小学校のあたりあった」と言っていた。

 

出口で、梵鐘を見て、沼や池がある、水城公園をゆっくり見て行田駅に帰った。

 

終わりに、再建された「忍城御三階櫓」の近くにある、立派な橋は木橋、門は東門

といい、案内板もなく、名前の付け方からしても、昔からあったと思えない。

 

また、この城の水攻めに関しても、石田三成が1週間で28kmの堤を造くらせた

というが、そんなに短い期間で、できるとは、考えられない、なにか歴史的な話し

に、疑問を感じた。

 

                            ――――END―――

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