大月 岩殿城跡 2016.08.20 天笠富夫
高尾駅から大月駅に向かっていく、猿橋駅を過ぎ中央線の右手の車窓に、巨大な 岩の上に、岩殿城跡の看板が見える、いつもここを通るたびに、ゆっくり登ってみ たいと、思っていた、
岩殿山の岩壁
岩殿山は、40年ほど前、12月にMさんと富士五湖の西湖に行く時、大月駅前で、 途中下車し途中まで行ったことがあった、当時から少し登ると小屋があり、上を見 ると、大きな岩が見え、道が続いていたが、そこで下りて戻ってきた事がある。
又、今回NHK大河ドラマの「真田丸」の中で、天正10年(1521)織田・徳 川の連合軍が甲斐に侵攻された際、武田勝頼は築城中の新府城を棄て、真田昌幸の 勧める「岩ビツ城」へ移るという進言を避け、小山田信茂が守る、岩殿城へ退避す ることにしたが、
笹子峠で小山田信茂が叛乱したため、勝頼は岩殿城に入る事ができず、頼るあてもな く、織田方に追われ、天目山で自刃した、その後信茂は織田信長に帰参を申し出た が、不忠者として成敗された、武田氏・小山田氏の亡くなった後、この城は、徳川の 手に渡った。
今回一念発起し岩殿城跡に向かう!
中央線で大月駅を降り、地図を持たないで、特徴のある岩壁のある山を捜し、桂川を渡 ると岩殿山の案内版が見えてきた、中央高速道路に沿って進んでいくと、岩殿城跡入り 口に来た。
岩殿城跡入口
入口より、なだらかな坂道を登っていくと、岩殿山の登山口に出る、下 を見ると大月の町並みが見え、前面には雲がかかった富士山が見える。
岩殿山登山口入口
更に登っていくと、お城のような型をした建物が見えてくる、ここが「ふれ あいの館」といい、休憩場で富士山の写真が掲示されている、景色は非常 に良い、昔来たときは、もっと粗末な休憩所があり、ここまでで下りて帰った。
ふれあいの館と岩殿山 自然を利用した防御の道 岩殿城内の図 円通寺も書かれている
岩壁を利用した関所
細い山道を登っていくと、岩を利用し防御できるように関所などがあり、山頂にで る、岩殿山は634メートルスカイツリーと同じ高さである。ここには広場があり、 馬場などがあり、本格的な山城である。
岩殿山山頂
ここより下山する、今回ふれていなかったが、「稚児落とし」という、場所が山頂 に行く時左手分岐する道のその先にあり、鎖場で難所の所があったが、準備をして いなかったので、近づかなかった。
また、この岩殿山の歴史をさかのぼると、806年に円通寺(天台宗)が、岩殿 山南東麓に開創され、岩殿山を修験道の場として、使用していた、これは、城跡の 歴史より古い。
明治の始めの頃この寺には、観音堂や三重塔 新宮などの伽藍が配置されていた というが、神仏棄釈令により取り壊され残っていないと言う、本当に歴史をたど る事は楽しく面白い。
―――END――― 2016.07.11 |