「兵馬俑展」 石田 晴康 旅行好きな人なら、兵馬俑を見たという人はいるでしょう。 中国の秦の時代の始皇帝が作らせた兵馬俑はそのスケールの大きさや 精緻で美しい群像が見る人を圧倒する。 下図が兵馬俑の全景です。写真で右端に小さく見学者達が見える。 それぞれの像の表情や体型が異なる。
私も中国に観光旅行するなら、ぜひ行きたい所だ。 たまたま、兵馬俑展が東京、上野の国立博物館で開催されていると 知って、行ってきました。(平成28年2月21日まで開催) えっ入場料が1600円だと聞いて、高いなあと思ったが、 来た甲斐がある中味の濃い内容だった。
始皇帝の時代は紀元前221年〜紀元前207年で、日本では 弥生時代に相当する。 いまの時代に例えていえば、中国が先進国ならば、日本はアフリカの 原住民に相当するような、文明の格差だ。
中国の文明は紀元前11世紀頃に始まる。
これは中国王朝興亡表である。 紀元前11世紀の周王朝から幾多の国の興亡がくりかえされた。 年表だけではわからないが、その詳細は何冊もの本で記述しても 書ききれない複雑な歴史が展開された。
その頃から、金属加工の技術があったのには驚く。 春秋時代半ばには、鉄の加工ができた。 鍬等の農具に鉄が使われた。
紀元前3世紀頃の王様の宮殿には雨水を貯めるために受けた雨を 導水する水道管があった。水道管は円筒状の陶器でできていて、 それをつないで管を伸ばしていた。下図参照
写真の馬車は始皇帝の時代のものだが、銅を溶かして、青銅の車輪や スポーク(傘状に車軸と車輪をつなぐ)、軸受を作っていた。
また、金メッキの技術もあった。 水銀に金や銀を溶かし、像の表面に 塗って、熱して水銀を飛ばすと金、銀のメッキがほどこされる。
秦の始皇帝が天才的であらゆる文化の創始者と思っていたが、 その前、十数世紀間に文明の発展があった。 春秋時代から秦まで、国の興亡があり、それぞれ文化を 築いてきた。従って、始皇帝はいままでの文化を集大成した点で 優れた王として称賛されたのだと思う。
中国の文明は内陸の黄河流域が中心となって発展してきた。 今の西安付近が中心である。
始皇帝が統一する前の勢力図である。 当時、秦(しん)、魏(ぎ)、 韓(かん)、趙(ちょう)、燕(えん)、斉(さい)、楚(そ) 七大王国が覇権を争っていた。(当時の国の名前を知っただけでも、 親しみを憶える)。 司馬遼太郎の作品にもこの頃の項羽と劉邦の小説が あったなあ。 海岸沿いには文明は発展していなかったようで、意外であった。 この点の違いに興味がわく。
兵馬俑に驚かされるが、この近くに、役人の同様の遺跡や 芸人の同様の遺跡もあるそうだ。 スケールの大きさにさらに驚く。
歴史に興味がある方には必見です。
完
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