宗閑寺 2015.11.20 天笠 富夫
古い地図で見ると、八王子城の近くにある、八王子城の最後の城主・北条氏照の墓の 近くに旧宗閑寺(氏照の菩提寺)という名があった、3度ほど捜しに行ったが場所が分 からなかった。
先日も懲りずに、また、北条氏照の墓を見にいった、道路に面して案内板があり、右に 曲がり石畳の道を登っていき、右に曲がり小さな橋を渡ると、階段があり、以前来た時 よりきれいになっている。この200段近くある階段を登っていくと、北条氏照の墓と その家臣の墓があり案内板もあり良く整備されていた。
調べてみると、この北条氏照の墓は、氏照100回忌を機に中山信治によって建てられ たという、氏照の墓を中心に、左に中山家範・右に中山信治の墓があり、その背後に小 さな墓が沢山あり、北条氏照の家臣団の墓と言われている。 <中山信治について> 中山信治は、八王子城落城の際、討ち死にした氏照の重臣・中山家範(勘解由) の次男の中山信吉の四男で、常陸松岡藩2万石の大名になった人物。 詳しくはインターネットで調べて見て下さい。
旧宗閑寺を捜しに、墓の上の丘の方へ15分ほど登って行ったが、分からなかった。
北条氏照の墓(中央) 今回も諦めて帰ろうとし、小さな橋の近くで、孫を連れた75歳くらい農夫が いたので声をかけた、「ここらへんに旧宗閑寺を知りませんか」と聞いた、すると男の 人は、「見たいですか」と案内してくれた、人の家の敷地内なので、迷惑がかかりそう なので、場所は書きませんが、
山門跡
そこは、竹で囲まれた小道を入って行くと、左側に一段高くなっている所があり、ここ に昔山門があり、修行僧もいたという、奥の方丘に沿って墓があったが、2年ほど前に 片づけ整理されたという、又、山門の左側には、大きな深い古井戸があり今でも残って いる。
井戸
更に奥へ行き、右側にいくと本堂跡があり、建物はないが礎石が残っていた。礎石の位 置からすると、思ったより大きい本堂だ。
旧宗閑寺跡を偶然に見ることができたので、現在の宗閑寺をもう一度ゆっくり見たくな り、帰りに立ち寄った、この場所は、現在バス通りに面していて、氏照の家臣横地監物 の屋敷跡で明治時代に旧宗閑寺から移ってきたという。
宗閑寺
宗閑寺裏手から、古いお墓を見ながら、奥の小高い丘に登っていくと、丘の中腹にお堂が あり八王子城址のある深沢山(445メートル)が良くみえる。
深沢山
考えてみると、八王子城址付近は、何回いっただろう、今回みたいに農夫に声をかけ、 気になっていた旧宗閑寺を見つけられて満足した、ともかく声をかけて聞いてみるもの だと、つくづく感じた。
また、私の推測ですが、北条氏照の墓の場所は、前から家臣団の墓があって後から、氏 照の墓を建てたのではないかと思っている。
本当に史跡めぐりは意外な発見があり楽しいものだ。 ―――END――――― 2015.11.01 |