第五福竜丸 2012.05.30 天笠 富夫 先月に、花旅で「夢の島」に行った時、熱帯植物館をでて、新木場駅に向かう、途中 に第五福竜丸の展示場があった。昔(30年くらい前)に見たときは、何の感じもうけ なかったが今回は、新鮮な気持ちで見られた。
ここ20〜30年の間に、それほど興味はなかったが、色々な船を見てきた、小さな船 では、北朝鮮のスパイ船、大きな旅客船では、東京と小笠原間に就航している小笠原丸 等がある。今ここで「第五福竜丸」の構造をみると大きな木造船でこんな小さなスクリ ュウでよく動くのかと感心した。 <参考> 総トン数 140.86トン 長さ 28.56m 幅 5.9m 高さ 15 m 深さ 3 m
第五福竜丸は、昭和29年(1964年)3月1日に太平洋のマーシャル諸島へマグロ 漁に出かけ、ビキニ環礁でアメリカが行った、水爆実験で被害を受けた、3月14日 に静岡県にある焼津入港した後、水爆の「死の灰」を浴び、乗組員23名は全員急性放 射能症で東京の病院へ入院し放射能が原因で多数の人が亡くなった。
また、この時各国が、核実験をしたため、放射能は、地球上全体に広がったが、影響が はっきりつかめず、今ほど、問題にならなかった。東京都は、原水爆による惨禍が再 び起こらないように願いをこめてこの展示場を造ったそうだ。
この事件が起きて、48年後の現在をみると、昨年の福島の原発事故後、原発の後始末 をどうするのか・原発でまかなっていた電力のエネルギーをどうするか、北朝鮮・イラ ンの核実験など原子力に関わる問題が相変わらず起きている、「第五福竜丸」をみて、 混迷の時代に、「何かすっきり解決できないのか」、「人間はそんなに馬鹿なのか」と痛 切に感じた。 ――――END――――
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