「加藤 登紀子」のコンサート 2012.03.04 天笠 富夫 娘が加藤登紀子のコンサートの入場券2枚買ってきて、妻と私にくれた、日にち は12月26日(月)で有楽町の「よみうりホール」だ、考えてみると歌手のコンサー トにはほとんど行っていない、加藤登紀子といえば、「知床旅情」「ひとり寝の子守歌」 「百万本のバラ」「琵琶湖周航の歌」ぐらいしか知らない、ともかく厚意に甘え行くこと にした。
会場の「よみうりホール」は、有楽町の昔のそごうデパート、今のビックカメラの7階 にある、開場は午後4時30分、開演は午後5時だそうだ、午後4時半にビックカメラ の商品を見ながら7階に向かった、7階近くになると60〜75歳くらいの人が多くなり、 男女別でみると女性が7割ぐらいであった。
切符を切り中にはいると、「加藤 登紀子 ほろ酔いコンサート」の名がでていた、入口 では、日本酒の入ったカミコップを渡された、コンサート会場の席でゆっくり日本酒を 飲もうと、予約席のある2階に行こうとすると、席の周りは撮影禁止・飲み食い禁止だ と立っている案内の女性に注意された、しょうがないから廊下で立って飲んだ、立って 飲んだ割には、味はよかった、席に座り舞台を見ると人はいないが楽器が置いてあった。
午後5時楽器の奏者が5人入場し、しばらくすると、中年の小太りの女性が入ってきた、 加藤登紀子だ、歌をあまり知らないだから、「色即是空」とか「悲しみにバイバイ」を歌 い始めた、観客は手で拍子をとって、のりはじめた人かいたが、加藤登紀子の新しい歌 をあまり知らないだから、「時代遅れの酒場」とか「ひとり寝の子守唄」など歌いはじめ るやっと落ち着いた。
歌の合間に軽妙なトークをしていた、ビートルズのジョン・レノンの妻オノー・ヨーコ に手紙を出した事があったそうだ、その時のジョン・レノンは亡くなっていたが世界中 から手紙が沢山きていて全部は見られない状況であったが偶然に加藤登紀子の手紙を見 つけられ、会いにいった事を話していた。
ジョン・レノンの目指していたものは、ソロの時代の代表作「イマジン(Imagine)」の詩 を朗読しているのが加藤登紀子(東大 入学後の学生運動の闘士)だからこそ印象的で した。
<参考 イマジンの詩>
想像してごらん、国境なんてないんだ むつかしくないだろう 殺したり死んだりすることもないんだから 宗教もない 想像してごらん
想像してごらん、財産なんてないんだ 君にできるかな 欲ばったり飢えたりすることもないんだ みんな兄弟なんだ 想像してごらん みんな世界を共有しているんだ
一部のゲストコーナーで、ジャーナリストの鳥越俊太郎(71歳)が登場した この人の存在はしっていたが、少し反社会的な言動が多く今まであまり興味がなかっ た、本人を見て、直腸ガンにかかったりしているが、元気で、見ているだけで人に元気 を与えている、この元気の素は、自分でやりたいことをもつているからだと思った。(但 し考え方の方向性はわからない)
休憩後二部に入ると、私でも知っている「知床旅情」「百万本のバラ」「アメジング・グ レイス」などを歌いはじめ、本人(加藤登紀子)は舞台でお酒を飲みながら唄っていた、 どうもお酒は酒造元大関から提供されているみたいだ、最後の歌として、加藤登紀子が 作詞・作曲した「君が生まれたあの日」を歌い始めると、舞台前列の人が立ち上がり、 手拍子で調子をとっていた、多分ファーンクラブの人達であろう。
現在の加藤登紀子は歌手活動の他、女優として映画に出たり、千葉の鴨川で農業をした り、ボランティア活動をしたり幅広く活躍している、歌手活動として、12月だけで13 回も行われている、また舞台で酒を飲みながら歌うのはどうも昔からやつていたみたい です。
おわりに、コンサートの印象として、今後のヒツト作を期待して新しい歌が多かったが、 客層(60〜75歳くらい)を対象にプログラム組むともっと良いとおもわれた、本人 としは、今後のヒツト作を期待して新しい歌が多かったが、あまり共感しなかったが、 やっぱり「知床旅情」は良かった。
観客は、今は歳をとり元気はないが、学生運動に共感した人・そのエネルギーを横にみ て、懐かしい自分の青春時代の思い出をだいて見にきている人が多いように思えた。 ――――END――――
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