私の地震体験記 2011.03.25 天笠 富夫
―――――――――――――――は じ め に―――――――――――――――――― 地震が発生し、3月21日でちょうど10日になる、まだ余震も時々あり今後どう変 わっていくかわからないが、一応私の地震体験をまとめてみました。
――――――――――――――地震発生時とその対応――――――――――――――― 3月11日(金)午後2時46分、勤務先の銀行で、大型地震を受けた、それは急に地 面が大きく揺れ始め、すぐ揺れが止まると思ったが、いつまでも止まらない、これは大 きな地震だ、前のスカイラーク系の食堂ガスト(2階)の入っているビルから人が飛び 出してきて、道路にたむろする人、建物がしっかりしている銀行に飛び込んで来る人も いた。
火がでていない、大きく崩れる家もない、震源地がどこだか分からない、大きい余震 も続いている、駅の方向を見ると、電車も止まっている。銀行内を見るとATMが4割 ほど急に止まってしまった、本当はここで帰宅したいのだが、仕事も午後5時まである。
今日の仕事を終わらせ、テレビ・ラジオから地震情報を収集した、震源地は三陸沖を震 源とする地震で震度7・マグネチュード8.8(後日9.0に変更)で東京は震度5強で 津波が発生したそうです。放送によると交通網は通行不能になり、JR線は、今日は動 かない、私鉄も動くかどうかはっきりしない。
ともかくこれからどうしようか決めなければならない、まず、携帯電話で自宅へ連絡す る、全然つながらない、許可を得て、銀行の固定電話から連絡をとる、この電話は回線 が強化されていて非常用に対応していた、自宅に接続はできたが不在で留守電で無事な 事を記録しておいた。(通常の固定電話からは連絡不可)
また、一番気になる、一人住まいの義母の家に連絡をした、出てきたのは義妹がでてきた 、たまたま義母を病院に連れて行くために、義母の所に来ていた。最悪の場合一番近い 所にいる私が行かなくてならないではないかと思ってホットした。再度自宅に電話をす ると妻が帰宅しており、義母の状況、今日は帰れそうもない事など伝えた。
気になる家族の状況がつかめたので少し安心した、余震が何時発生し、電気もいつ切れ るかわからない中4時間歩くのはきつそうなので、銀行で泊まる事に決めた。だが、 午後11時頃東急線と京王線が開通したとの連絡が入り、急いで東急電車に乗り込む、 車内は少し混んでいたが、酒のにおいがしていた、多分どこかの居酒屋で時間調整し ていたのかもしれない。
渋谷駅に着くと、改札口で入退の制限をしていて、乗る人が多数並んでいた、井の頭線 に乗るために階段を降りJTBの前に来た時、列がずっと続いていた、並んでいる人に、 「この列は何を並んでいるのですか」と聞くと、「多分、井の頭線を待っている列だと思 います」との答えが戻ってきた、この列が井の頭線につながっていれば良いが、この列 が別の線を待っていたらたまったものではない。
しかも井の頭線の入り口までこの列は400メートルぐらいありそうだ、渋谷駅のバス ターミナルを越えて、井の頭線の方向を見ると、道路から井の頭線の入り口に入るエレ ベーターが動いていたので列に並ばないで、道路を越えてエレベーターに近づき乗る と、改札口に出て、行列があったがそこに合流しやっと乗車でき、帰宅できた。 (車内は乗車制限をしているため朝のラッシュほどこんでいなかった。)
三陸海岸の被害
――――――――――――――出勤・退社状況―――――――――――――――――― 3月12日(土)〜13日(日)外出は控えめにしていたが、時々余震があり、いつ でも揺れているような感じがしてならない。3月14日(月)出勤日だ、朝からテレビ 及びラジオを聞き、交通状況を調べる、電力需要がひっぱくしているため、京王線は始 発から動くが、午後5時から午後10時まで新宿から調布までしか走らず、午後10時 以降は全線通るとの話しであった、これを聞くと本当に電車が動くのかと心配であった。
自宅の最寄り駅は新宿と調布の間の千歳烏山駅だ、電車の間引きが心配で、いつもより 20分ほど早く家を出て、駅に行く、普段より乗客が多いが、入場制限はしていなかっ たが電車がなかなか来ない、乗る場所を比較的乗客の少ない電車の最後尾の方へ移動し た。
電車が入ってきたが、満員なうえ降りる客はおらず、強引にドアーより飛び乗ったが、 混んでいて体が半分しか入らず困っていたが、次の電車を待っている40歳くらいの体 格の良い男の人に声をかけて、ドアーが締まる時押してくれと頼み、押してもらって やっと乗車できた。こんな出勤をくり返すと行くだけで疲れてしまう。帰りは、何時余 震及び電力不足になり電気が止まり、電車が動かなくなるか分からないので、退社時間 になるとサツサ電車に乗り帰ってきた。 (15日以降は、私の乗る範囲は間引き運転であるが、全線通り、通勤の足が確保された)
―――――――――――――電 力 事 情―――――――――――――――――――― 福島県の海沿いに、東京電力の第一原発と第二原発があるらしい、第一原発は地震の津波 の波をかぶり、原子力の冷却用装置が壊され、原子炉内の燃料棒が加熱し放射能が放出 し始めた、ここで復旧作業する人は大変だ、ともかく放射能放出を停めてほしい祈る気 持ちだ、この影響は、放射能で汚染され野菜とか牛乳とか食べ物に表れはじめている上、
福島の第一原発
遠く離れた東京にも電力不足として表れている、現地の被害者と比べると影響は小さい が電力量抑制のため東京電力の利用者を5つのグループに分け、停電させる通達がでて いる。指定されたグループの全体が停電するのではないかと思っていたが、その地区の XX市と絞られている、1グループ4時間の停電の可能性があり、順番・時間帯などが 変わっていく、また指定された所でも、電力の使用量に基づき回避する事がある、
非常に曖昧なスケジュールである、また雪が降ったり、気温が下がったりすると変化を する。だから、場所によっては、信号機が停止したりして事故をおこしている、スケジ ュールをたてている人は大変でしょうが、反面出かけていて、いつ交通事情が変わるの が、わからないため大変である。街の中も本格的節電に取り組み、エスカレーターを停 めたり・緊急に必要もない広告塔・街灯を消したり・空調機を停めたり節電に協力して いるため街の中は何となく暗い。
――――――――――――――お わ り に――――――――――――――――――― 地震以後、朝起きると、鉄道網に異常はないか?・計画停電の影響はないか?・原子力 発電所はどうなったか?とのチエックで一日が始まる。仕事が終わるとサッサと帰るパ ターンが定着しつつあり、いつまで続くのかわからない。
テレビによると、今回の地震は、死者と行方不明者と合わせると2万人以上になり、建物 ・道路・生活基盤を失った人は大勢いる。特に津波の力に驚かされる、3年ほど前に行 った三陸海岸の気仙沼の海岸沿いの路が破壊され壊滅状態なのがよくわかり、津波の恐 しさをつくづく感じた。
また原発の事故が非常に気になってしょうがない、こんな恐いものを使い電気をおこし ていたのか、今後もこのような物を使わざる得ないのか、本当に世界の英知を集めて考 えてほしいものだ、このまま収まり地震については、あまり書きたくない心境である。 ―――END―――― <補足> 写真はすべて朝日新聞より引用
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