烏山(カラスヤマ)川 2010.03.24天笠 富夫

現在住んでいる京王線の千歳烏山に引っ越ししてきたのは25年前だ、近くには1.5
メートル位の幅の比較的きれいな水が流れている用水路があり、一応名前として烏山川と
名付けられていたが、20年ほど前から、川の上に蓋をして、歩行者や自転車の通行がで
きるように道路として整備をし始めていた、私は、何の興味もなく、まったく気にも留め
ていなかった。
4年ほど前に、勤務先に良く来る散策好きな人に、烏山川の源流は、烏山の寺町にある高
源院の池だと教わり、急にこの川はどこに流れているのかが知りたくなってきたので、
自宅より川に沿ってずうっと上流に歩いて行ったが、高源院とは違う方向の三鷹方面に
続いていて、蓋がされているため、川が消えてしまいどこが源流だか分からなかった。
<烏山の寺町の説明>
烏山の寺町は関東大震災の時、被害を受けた下町(浅草・本所・深川・築地・麻布)
から烏山に寺が移転してきて、26もの寺が集まっている場所で小京都とも呼ばれ
ている。
さっそく高源院の池を本で調べて見ると確かに烏山川の源流となっていた、ともかく現在
は治水のため川の流れは複雑になったが、烏山川の源流を高源院の池と解釈して、源流を
求めて高源院に行く、場所は千歳烏山駅から甲州街道を越えて「烏山の寺町を通り」の一
番奥の寺で、その寺には弁天池という名の池があり水が湧き出ていている、この池には冬
にシベリアから鴨などの渡り鳥が飛来してくる、ここらへんでは有名な場所です。

源流探訪はここまでにして、烏山川の下流を追いかけていくことにした、道は暗渠<ア
ンキョ>(小川や水路に蓋をする)になり、はっきりした道が分からない所も出てきた
が、旧甲州街道を横切ると、道は有料駐輪場に使われ、京王線千歳烏山駅の近くで線路
下を横切って進むと、その先は遊歩道になっていて、川が見えないのに橋の名前が残さ
れている。

この道の名前は烏山川緑道と名付けられ、世田谷区の粕谷を通り芦花公園にぶつかる、こ
こまでの道ははっきりしているのだが、烏山川緑道が突然消えてしまった、あわてて、
まわりを一生懸命探しまわった、すると公園側から環状八号線に面した所の歩道橋を越
えた所が連続した茶色で舗装された道があり、なんとなく烏山川緑道らしく見えたので
行ってみたら烏山川緑道の看板が出ていた。
<芦花公園の説明>
明治・大正期の文豪徳富蘆花(作品 不如帰・自然と人生が有名)が後半生を
過ごした場所で、武蔵野の風景が保存されていて現在、東京都の公園となって
いる。
緑道を更に進むと希望ヶ丘団地に入る、団地はだいぶ建て替えられたらしく、5階建ての
ものが10階建てに変わっている、団地を越えると小田急線にぶっかる、場所は経堂駅と
千歳船橋駅の間だ、昔と違い線路は複々線で高架になり様変わりをしていた。
経堂からは、はっきりした緑道を進むと東急世田谷線(下高井戸と三軒茶屋の間を走る
電車)の宮の坂駅の近にくる、ここから東急世田谷線にほぼ平行して歩く、道は平らで
手入れがされていて歩き易い、立派になった国士舘大学の建物の間を通り、環状七号線
を越え三軒茶屋までいく、
三軒茶屋から水車小屋(地名で残る)があったと思われる場所から東急田園都市線の池
尻大橋駅に向かっていくと、池尻という場所で北沢川緑道と合流して目黒川になり、こ
こが烏山川の終点となる、合流地点から池尻大橋駅までの道は、小川の流れを人工的に
整備して花を飾り、その小川には鴨や鯉などがみられ、見応えがあり、散策にお勧めし
ます。




最後に、この烏山川の散策は、道はわかりづらく、時々消えてしまいますが、根気良く
捜していくと道は見つかります、振り返ってみると、行程は3回に分け歩きました、途
中で終わった場合は、近くの交通機関を利用し再度その場所からスタートをしました、
また今後は烏山川の下流目黒川が東京湾に流れ込む所まで歩いてみたいと思っておりま
す、皆さんも近所の身近な川に沿って歩いてみませんか、いろいろな発見がありますよ。
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