「静かな冬の北海道」         2010.01.09 古川 浩

 

―――――――――――――――は じ め に――――――――――――――――――

 この作文は1998年2月に、北海道に一緒に行った時書かれたもので、本人の了解をえて掲載しました。この旅は今思い出しても非常に面白い旅でフエリー・丹頂鶴・摩周湖・砕氷船・海の妖精クリオネ・アイヌの娘などと巡り会い等があり、そのうえ、古川さんのすばらしい観察力で書かれ、いまだに忘れられない紀行文です、私も旅についていつか書いてみたいとおもい刺激を受けた作品です。

         天笠富夫

 

―――――――――――――――本  文―――――――――――――――――――――

1.     釧路行きのフエリー

 

 避暑地とか、避寒地という言葉があるので、冬の旅は少しでも暖かいところを選び、東北や北海道の寒い地域の旅は夏に行くものと、私は信じていた。

 

今年の二月末に、流氷を見に行こうと誘ってくれた友人がいた。北海道旅行は夏だけだと信じている私だから、何の迷いもなくこの誘いはお断りしていた。それなのに断り切れない浮き世の義理で、この季節はずれの狂人の旅に参加せざるを得なかったのである。「旅は行ってみろ」という言葉はないかも知れないが、今の私は「北海道を旅するなら冬に限る」とまで言い切れるほど、感動の多い旅だったので、皆さまに紹介したい。

 

狂人の旅は船に乗ることから始まった。乗船するのは東京フエリーターミナルである。東京フエリーターミナルなんて、何処にあるのか知る人は少ないと思う。

経験者として、どの辺にあるのかお知らせしたい。京葉線か地下鉄有楽町線の新木場で降りてバスに乗るのが正解である。タクシーなら約2千円ほど、住所は江東区有明415という所である。

 

東京フエリーターミナルから、私たちは釧路行きのフエリーに乗った。このフエリーを近海郵船(株)ではクルージングフエリーと呼び、ホテルの雰囲気を海の上で、と宣伝しているだけあって、全体にゆったりしたきれいな船室であった。

私たちの乗った船の名は「サブリナ」であった。映画「麗しのサブリナ」を意識して、船内に若き日のオードリーヘップバーンのポートレートがずらり、懐かしい思いがした。

 

季節はずれの狂人の旅が感動の旅に変わったのは、この船に乗った時からである。サブリナ丸は内装がきれいで、床の絨毯が豪華客船のようにふんわりしているのである。

我々はエコノミークラスなので二段ベッドの個室に入り、すぐ風呂に入った。

 

フエリーボートだから、シャワーでもあれば上等だと思っていたが、温泉のような立派な浴槽に、熱い湯が溢れているのにまず驚かされた。5メートル四方の浴槽が二つ繋がっているように見えたが、中央の板は浴槽の底に達しない仕切りであった。

まるで露天風呂の雰囲気である。大きなガラスの向こうは太平洋の大海原、水平線に仕切られた空と海しか見えない。

 

風呂に入って気づいたことだが、浴槽が二つ繋がっている訳がわかった。浴槽の水面に仕切りがしてある。その訳は、船は前に進む時に波を乗り越えるのでピツチングといって、大きく前後に揺れる。すると浴槽のお湯は、船の傾きに合わせて動こうとする。

 

だが水面を仕切られているので動けない。傾きのエネルギーは繋がっている底の方で、二つの浴槽を行ったり来たりしていたのである。従って二つの浴槽の水面の高さは、船の揺れに合わせて高い漕と低い漕の違いが出来るが、決して水面が傾いたり、波立つたり、パシャン、パシャンと湯が跳ねるような、不愉快なことの無い浴槽の構造に感動した。

 

さて、風呂から上がると船内を歩き回った。冬の旅だからデッキに出ることはしない。広い通路にソフアーが置いてあって、ここに座るとガラス越しに海に向かって座ることになる。上等な席なのに座っている人が少ないので静かなものである。

 

それもそのはず、船客定員694名のサブリナ丸に50人足らずのお客だから、すべてがゆったりしていた。全長186メートル横幅25メートルの船内を歩いてもほとんど人影はない。しばらくすると、乗客が少ないから船のサービスとして「操舵室を見学させる」というアナウンスがあつた。しかし10名ほどしか集まらない。

 

操舵室は船の一番高いところにあるので、狭い階段を昇っていった。前方を監視するのであるから、総ガラス張りの見晴らしのいい部屋で、エンジン音などまるで聞こえない静かな部屋である。

 

室内ではレーダーや人工衛星からのナビゲーターで、付近を航行する船の進路を予測する画面など、若い船長が親切に説明してくれた。お互いの船の進路を予測するという事は、数分後にお互いの船は、どういう位置関係にあるのか判るというので感動した。

 

この船の旅は30時間ほど続くのであるが、広い船内を自由に歩き回れるので、まったく苦にならない。これが新幹線や飛行機の旅となれば、指定の席にずっと同じ姿勢で座るのであるが、船の中はゴロ寝よし、飲んでよし、テレビ、ビデオも自室で操作できるので暇つぶしには何の不都合もない。

 

また、この長い時間は、季節や風土の異なる土地に移動するための、頭の切り替えにも貴重な時間だったように思う。船は東京フエリーターミナルを出航してから、休むことなく太平洋を滑るように走り続けていた。航海速力は約23ノット(約40キロ)というから中々のスピードである。

 

2.     千円札の丹頂鶴

 

 釧路港に着いたのは朝の7時半。そこには阿寒観光のバスが待機していて、10人ほどお客を乗せるとすぐに発車した。広大な釧路湿原を見晴らしながら走り、まずは丹頂鶴の見物をした。

 

はじめは十羽ほどの鶴だったが、続々と飛来する時刻のようだ。我々観光客は柵で仕切られたところから見るので、頭の赤い色は見えないが双眼鏡で見ると、なるほど丹頂鶴であることがわかる距離であった。

 

我々が日頃お世話になっている千円札の裏に、鶴の絵があることは記憶にあるが、この絵が丹頂鶴の雄と雌とは知らなかった。「真ん中の白い部分は鶴の卵なんです」と地元のバスガイド嬢から説明された。よく見れば雄と雌の区分ができる。

 

30分ほどしてバスは摩周湖に向かった。摩周湖はカルデラ湖なので水辺に降りる事はできない。高い所の淵から見下ろすわけだが、岸の周囲30メートルほどは凍結していた。俗に霧の摩周湖といわれるほど霧の日が多くて「運の良い人でないと摩周湖は見られない」とガイド嬢は言っていた。そして「昭和天皇は3度来て、3度とも見られなかった」とも言っていた。北海道までは神風も届かないのであろうか。

 

    摩周湖

 

3.     流氷砕氷観光船オーロラ号

 

 昼近くに網走に着いて目的の流氷見物となった。平成3年から観光砕氷船オーロラ号が就航してから、冬の網走観光が活気を見せているという。

この旅で多くの観光バスが集まっていたのはここだけだった。オーロラ号は港から10キロほど沖に出るが、見渡すかぎり氷の海で、オホーツク海の氷平線に感動した。海は全面凍結しているから流氷見物ではなく砕氷見物である。

氷の厚さは20センチ程もあろうか、オーロラ号は厚い氷の中に無理に突っ込むのだから、割れた氷が左右に動いてくれる訳ではない。船は氷の上を乗り越えるようにして進むため、氷塊は船底をこすってガガツ・ガガツと激しい音を響かせて観光客を興奮させる。

しかし、この砕氷船も何度か氷に閉じこめられた事があったという。だから二隻の観光砕氷船が同時に港を出発するのは、お互い助け合う為であるという。

 

最近テレビで紹介されていたのが、クリオネという全長3センチほどの魚類?である。水の中を泳いでいるから魚類であろうと思うが、どこから見ても魚らしい部分はない。強いて形容するなら、小さな子が足を隠すような長いマントを着ている感じがした。

 

両手に相当する部分にヒレがある。特徴は全身が透明なことで、頭と腹の部分に真っ赤な血液のような色が透けて見える。流氷にくっついて暮らしているらしいが、私達が見たのはコップの中で泳ぐ姿、みやげ物として売っているが、冷蔵庫で飼育するものだと言っていた。

 

     砕氷船

 

4.  阿寒湖の妖精

 

 泊まりは阿寒湖のほとり。ここはさすがに寒くて、話す言葉が白い蒸気となって漂う。気温はマイナス5度というが、風がないので湖上の雪の上を歩いても、震えるほどの寒さではなかった。今どきの阿寒湖はスノーモービルが走り回っている。

 

夕食をすませてアイヌコタンを散策した。木彫りの熊やペンダントを並べたみやげ物屋の横丁である。その中に一人で店番をしながら、一心に針仕事をしている若い娘さんの姿が目に入った。店には木彫りの人形などが並んで、他の店と変わりはないが、看板に喫茶という字があり、よく見ると店の奥には丸い小さなテーブルが見えた。

 

コーヒーを飲むなら喫茶店のほうが良いと決めて、店を出ようと歩き出したその時、娘さんが我々の気配を感じてフツと顔をあげた。なんと美しい笑顔であろうか。男たちの足は迷う事無く、店の奥のテーブルに向かっていた。近くで見る娘さんの目は、アイヌの神様の使いシマフクロウのようにパツチリと見開き、アイヌ系の彫りの深い顔に、長いまつげと濃い眉がくつきりと整えられていた。

 

ゆっくりコーヒーを飲みながら、彼女と話し合うことが出来た。彼女の縫い物は民族舞踊のための衣装ということで、アイヌ民族の女性は一番に火を大切にすること、次に針を大切にする事を躾られるという。娘が嫁にいくとき母親は一本の針しか持たせないという、何本も持たせると針を粗末に扱うからだと話してくれた。アイヌ民族にとって鉄の針は貴重なものであった事を今でも受け継いでいるようだ。

 

気が付くと、店の中には心地良い神秘的音楽が流れていた。娘さんに聞くと、この店のオーナーはアイヌの音楽家で、カムイ(神)に感謝をこめて魂の歌を演奏しているという。CDはすでに11集まで発売し、全国で演奏活動しているらしい。このCDを録音したとき「私はムックリを奏でたんですよ」と話すので「あなたはこの店でアルバイトしているの?」と聞けば「私はオーナーの娘です」と恥ずかしそうに答えた。

 

彼女は民族舞踊団の一員で東京や大阪に公演旅行をしているという、打楽器を使わないアイヌの踊りは「手拍子と掛け声だけでリズムをとるんですよ」と楽しく話してくれた。

話上手な美しい女性がいれば、一杯のコーヒーで何時間もねばってしまう私達グループが、アイヌモシリ(静かな大地)でも迷惑をかけてしまったようだ。アイヌ模様の民族衣装に刺繍をしていたピリカメノコ(美しい娘)に、二度と会うことはないと思うが、歯並びのきれいな彼女の笑顔との出会いは、今回の冬の北海道旅行の想い出を忘れられない旅にしてくれた。・・・もしかしたら、あの娘は阿寒湖の妖精だったのかも知れない。〔98‐03‐01)                   

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