私と碁                                                      2009.08.28 吉田頼平

 

囲碁は、昔からいろんな人がしている、鎌倉時代の日蓮上人も若い修行時代碁をやっており碁譜が残っている、江戸時代では、俳人の松尾芭蕉が「奥の細道」を旅したとき、弟子と歩きながら碁盤なしで対戦したと言う、実力はプロ級であると想定される、明治時代になると、正岡子規は四段位で句に「碁に負けて忍ぶ恋路や春の雨」と残り楽しんでいた。

 

私も碁が大好きで、生き甲斐といえば少しばかり大げさであるが、それは、それは、面白いからである。私の人生で碁を覚えた事が良かったか悪かったか定かではないが、生きている間は碁をうち続けるだろう。

 

碁は会社に入り覚えて以来40年間あきもせずうち続けてきた、会社では昼休みに、仕事が終わってからうち、休日は碁会所に通い、定年になり近所の碁のクラブに入り午後1時から7時まで、週に5日通って碁三昧、年間にすると2000局を越す対戦、クラブの会員の中には学校の先生・医者など多彩な人が集まってきて楽しいが、

 

ある時、Tさん(70歳を越す年配者)と対戦したとき、いつものように自慢話をし、いつも聞き役にまわっていたが、囲碁の方は100%私の勝ちなのに、相手が負けを認めないで、だらだらとうつているのでイライラし、こちらから頭を下げて「負けました、2度と貴方とは対戦しません」と言ってしまった。

 

                                                                            

 

長い間碁を楽しんできたが、こんな不愉快な対戦は初めてで、Tさんの自慢話も2度と聞きたくないので、この会に未練があったが退会してしまった。

 

                                                       そして新しい囲碁クラブに入会した、会員は少ないが家族的雰囲気があり、見ていると、会長は話し  好きで、碁の対戦中での局中もよく喋るので、出来るだけ近づかないようにしていたが        ていた。

 

 

 

 ある時捕まって対戦した、腕は5段ぐらいで、あまり勝負にこだわらず、碁に対する姿勢は良い。

本人の話だと読書好きで寝るのは午前2時頃で碁の本を書き、囲碁俳句集を作った。彼の作品に「碁きちがい、ヘボを相手に苦戦をし」がある、また会長から小学校の頃から現在に到るまでの話など聞いている面白いし、今後どんな話がでるのか楽しみである。

 

碁のクラブは変わったが、私自身も、以前は何時間もうち続けなければ満足できなかったが、今は一日三局程度で満足し、勝負にあまりこだわることがなくなった、不思議な事です。

 

囲碁俳句 「我が人生、碁と共に、終わりけり」

                             ――END―――

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